10月のハイキングガイドツアー
「大垂水峠から初秋の高尾山へ」
氷川神社の歴史
高尾山口駅近くにある「氷川神社」は応永年間(1394~1428)に片倉城主大江備中守師親が武蔵一の宮氷川神社の祭神を勧請したのが始まりと言われております。
古くは下椚田村大牧(椚田町)にあったと伝えられ、寛文2年(1662)に再建されました。
現在は高尾地区の鎮守として地元の方に崇敬され、8月の第3土日の祭礼では、神輿の巡行や獅子舞の奉納が行われております。
氷川神社の獅子舞
獅子または龍と呼ばれる面をかぶり、三人一組で舞を舞う三匹獅子舞は、現在、八王子で8か所、舞を伝えています。
その中のひとつ、氷川神社の獅子舞は明治4年(1871)行政区画の変更により、狭間の獅子舞から分かれ、現在も五穀豊穣、天下泰平を祈願して、奉納されています。
獅子舞は、8月の第3土、日の土曜日には東浅川町の熊野神社で舞が奉納され、翌日曜日には氷川神社で舞が奉納されます。
氷川神社の獅子舞は昭和35年(1960)には市内の他の獅子舞とともに八王子市の無形民俗文化財に指定されました。
出典:公益社団法人 八王子観光協会
歴史と文化の散歩道
この散歩道は、長い歴史が育んだ伝統と新しい東京の文化を訪ねる道です。
私たちの、ふるさと東京を知る道しるべとして下さい。
多摩御陵・銀杏並木散歩は、高尾山口駅から蛙合戦で有名な真覚寺までの約4.6㎞のみちのりです。
関東屈指の修験場の場であり、今なお豊かな自然をとどめる高尾山から、大正、昭和の二代の天皇が眠る武蔵陵墓地、そして甲州街道の銀杏並木をめぐります。
高 尾 山
高尾山は標高599mの山である。
昔から信仰上、政治的または軍事的に庇護(ひご)され、明治には皇室御料林(ごりょうりん)として保護されてきたため、自然林の□をそのまま残し動植物の宝庫となっている。
特に植物は、暖地性のものから寒地性のものまでと広く、日本の全植物の約1/4にあたる1600種あまりがみられる。
昭和25年(1950年)都立高尾陣場自然公園に、そして昭和42年(1967年)明治百年の記念事業として明治の森高尾国定公園に定められた。
昭和45年(1970年)には大阪府箕面(みのお)市までの東海自然歩道の起点として整備され、また現在は関東ふれあいの道ともつながり広域のハイキングの出発点となっている。
高尾山は関東屈指の修験道(しゅげんどう)の道場としても有名で、山頂近くにある古刹薬王院(こさつやくおういん)には多くの修験者や参拝者が訪れている。
関東ふれあいのみち
湖のみち
大平地区 歩道案内図
東 海 自 然 歩 道
案 内 図
東海自然歩道は「明治の森高尾国定公園」と大阪の「明治の森箕面国定公園」を結ぶ、緑豊かな自然と貴重な歴史を伝える文化財をたずね、心身の健康と安らぎを与える総延長1697.2㎞の長距離自然歩道です。
出典:高尾自然公園管理センター
高尾鳥獣保護区・特別保護地区
区域案内図
鳥獣保護区では、狩猟の捕獲が禁止されています。
鳥獣の保護増殖に、ご協力をお願いします。
なお、有害鳥獣等の捕獲を行う場合は許可が必要です。特別保護区地区内での建築物その他工作物の新増改築、水面の埋立て、又は木材の伐採は許可が必要な場合があります。
出典:東京都環境局多摩環境事務所鳥獣保護管理係
「高尾山江川スギ展示林」
江 川 ス ギ
江戸時代末期に韮山代官の江川太郎左衛門が植えたと言われています。
江川家は平安時代から明治維新にいたるまで、38代続いた家であり、代々が太郎左衛門を名乗っていました。
※林業に精通していた36代の英龍(1801~1855年)が、植林の必要性を考えて植えたと言われています。樹齢およそ150年になり、高尾山では一番古い人口林です。
また、英龍は日本で始めてパンを焼いた人物で、パン祖と言われています。
他にも絵画、美術、蘭学など、幅広い分野で活躍しました。
面積:0.12ha 本数:55本
一番大きな木:高さ39m/胸の高さの直径94㎝
所在地:高尾山国有林225林班は小班
2011年3月現在
出典:林野庁関東森林管理局東京神奈川森林管理署
高尾山頂
洗心の山 祈りのお山
お導きの「天狗の落とし文」を
心に刻み 日々を過ごしましょう
百八階段