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第32回 与野七福神めぐり
2018年1月3日(水)

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武蔵浦和駅から富士山を望む
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さいたま市中央区役所(スタート)
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さいたま市中央区役所(スタート)

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さいたま市中央区役所(スタート)

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〒338-0002 埼玉県さいたま市中央区下落合7丁目8‐13
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〒338-0011 埼玉県さいたま市中央区新中里3丁目14‐9
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与野七福神鈴谷大堂
与野七福神鈴谷大堂

与野七福神鈴谷大堂

真言宗智山派寺院の鈴谷大堂は、さいたま市中央区鈴谷にある仏堂です。鈴谷大堂の創建年代等は不詳ながら、境内石碑によると「六地蔵の銘文から江戸時代前期の寛文7年(1667年)には存在していたことがわかる」といい、江戸時代には村民が管理していたといいます。与野七福神の毘沙門天です。

出典:猫の足あと

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〒338-0013 埼玉県さいたま市中央区鈴谷7丁目2‐19
〒338-0013 埼玉県さいたま市中央区鈴谷7丁目2‐19
与野の大カヤ
与野の大カヤ

与野の大カヤ

金毘羅天堂の境内にそびえ立つ「かや」の木は、全高21.5m、樹齢1000年と伝わる関東随一の巨木で、国の天然記念物に指定されており、与野の大カヤとして親しまれています。

また、金毘羅天堂には、金毘羅天立像が安置されており、毎年210日にはダルマ市が開かれます。

ダルマ市:毎年210

 

<妙行寺>

隣の妙行寺には、県指定天然記念物で樹齢600年のモッコクの木や、芭蕉門下の与野の俳人「鈴木荘丹」の墓と、彼が詠んだ『 蓬莱 (ほうらい)や心に花のよし 埜榧(のかや)』の句碑もあります。

出典:公益社団法人さいたま観光国際協会

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伝説 大榧と金毘羅天
伝説 大榧と金毘羅天
大榧と金毘羅天
大榧と金毘羅天

伝 説

大榧と金毘羅天

今からおよそ千年の昔、後一天皇の長元年間、鈴谷に一本の榧の木がうえられた。それからおよそ三百年ほど経った鎌倉時代になると、榧の大木の傍らに心浄寺(弾宗建長寺派)の寺が建てられ、その榧

の木の神木として崇め、金毘羅天も祀られた。

時は応永15年(1408年)の春、時の住僧周如弾師は法華経を信じるようになった。そしてある名月の夜深く、一心に座禅していた周如弾師の前に守護神の金毘羅天がまぼろしの如く現れ、「明日高僧来たり厚く尊信せよ」とのお告げがあった。その当時、下総中山の法宣院という日蓮宗では寺格の高い寺に、日英上人という高僧がおり周如弾師と時を同じくして「わたしは武州鈴谷郷に鎮座する金毘羅天なり。この地にようやく布教の機が熱したので上人が来て教えを広め、衆生を救え」というお告げを受けた。

日英上人は感極まって、ただちに身支度を整え、はるばる鈴谷の周如弾師を訪ねてきて、お互いに霊感があったことを語り合り、法論を重ねること数日、周如弾師は日英上人の弟子となって、名も日性と改め、寺名も法華道場(妙行寺)と改宗したということである。

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〒338-0013 埼玉県さいたま市中央区鈴谷4丁目12‐3 (有)鯉沼商店
〒338-0013 埼玉県さいたま市中央区鈴谷4丁目12‐3 (有)鯉沼商店
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場

彩の国 さいたま 芸術劇場

概要

昭和50年代末に、埼玉県の中期計画で「県民芸術劇場(仮称)」として建設が計画されたことに端を発する複合文化施設で、建設予定地決定・建設用地取得までが昭和に、基本計画の決定 及び 建物の着工・竣工が平成の初頭に行われ、1994年(平成6年)10月に「彩の国さいたま芸術劇場」として開館した。

施設設置者は埼玉県で、指定管理者は(公財)埼玉県芸術文化振興財団である。埼玉県芸術文化振興財団の芸術監督を務めた蜷川幸雄が手がける演劇公演を数多く上演した劇場の1つである。また、欧米の著名なコンテンポラリー・ダンス・カンパニーの首都圏における代表的な公演劇場として定着している。

優良ホール100選に選ばれている。2016年にはさいたまトリエンナーレの会場となった。

2011年に、施設の修繕・維持管理を目的として、約半年間の工期にて改修工事を実施した。

 

建物の特徴

建築家の香山壽夫(香山アトリエ + 環境造形研究所)が設計。施工は株式会社間組、大成建設株式会社、八生建設株式会社の共同企業体による。構造は鉄骨構造(S造)、鉄筋コンクリート構造(RC造)、鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)を併用した複合構造で、地下2階・地上4階建て(この他に塔屋1階)となっている。また敷地面積は18,970.30m2、建築面積は10,713.81m2、延床面積は23,855.81m2である。

1995年には第8回村野藤吾賞、第36回BCS賞(建築業協会)を、1996年には日本建築学会賞(作品賞)をそれぞれ受賞している。

 

施設の特徴
大ホールと音楽ホールの音響設計は、ヤマハが担当。ホールを含む全ての施設が貸館可能である。また、155台収容の駐車場を併設している。

列柱と半透明のガラスブロックで取り囲まれ、劇場の中央に位置する円形広場「ロトンダ」や、ガラス屋根から自然の光が入る幅5m、長さ100mにも及ぶ通路「ガレリア」など、内外装に特徴的な面が数多く見られる。その為、テレビドラマのロケ地として使われることもある(例:TBS系列日曜劇場『砂の器』、フジテレビ系列『役者魂!』等)。

ソース: 彩の国さいたま芸術劇場 – https://ja.wikipedia.org

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円福寺
円福寺

圓福寺

真言宗智山派北明山龍光院 圓福寺は、埼玉県さいたま市「与野本町駅」より徒歩12分。閑静な住宅街の中にありアクセスも便利でお参りもしやすい寺院です。

大永元年(西暦1521年)に示寂(じじゃく)した圓海上人が開山しました。江戸幕府より寺領五万石の朱印状を拝領したと伝えられています。五百有余年の間、歴代の住職及び檀徒により法燈が守り続けられて今日に至ります。

平成31年にはライフスタイルの多様化に合わせて「樹木葬(自然葬墓地)」、「永代供養墓やすらぎ」、「永代供養付個別墓」、「永代供養付個別墓冥福五輪塔」を建立。宗旨宗派を問わず、すべてのお墓が年間管理費・護持会費も不要です。どのお墓も圓福寺が責任を持って供養・管理してくれるので、安心してお任せいただけます。

与野はさいたま新都心・中心部に位置しています。大宮・浦和から電車で5分。大宮と浦和の中心ともいえます。近年、埼玉のベッドタウンとしても急成長をみせている与野。さいたまスーパーアリーナやけやき広場にコクーンシティなど大型商業施設も充実していて、住みやすい街として人気を博しています。

お正月には、与野七福神めぐりも開催され、与野七福神を巡る人々が福徳のご利益をもとめて賑わいをみせます。

出典:永代供養墓普及会

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円乗院
円乗院

圓 乘 院

真言宗智山派寺院の円乗院は、安養山西念寺と号します。円乗院は、畠山重忠が建久年間(1190-1199)道場村(現桜区道場)に創建、慶長年間(1596-1615)に当地へ移転、慶長19年(1614)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していたといいます。与野七福神の大黒天、北足立八十八ヵ所霊場初番札所です。

出典:猫の足あと

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円乗院

円乗院
円乗院

円乗院
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円乗院

円乗院
円乗院

円乗院
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円乗院

円乗院
天祖神社

与野天祖神社

与野天祖神社は、さいたま市中央区本町西にある神社です。与野天祖神社の創建年代等は不詳ですが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたのではないかといいます。明治8年天祖神社として与野町の村社に列格したといいます。与野七福神の寿老神です。

出典:猫の足あと

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天祖神社

天祖神社
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与野御嶽社
与野御嶽社

与野御嶽社

与野御嶽社は、さいたま市中央区本町西にある神社です。与野御嶽社は、御嶽講の四大講祖の一人である一心行者を支援していた名主の伊原平八が、明治初年前後に創建したといいます。与野七福神の弁財天です。

出典:猫の足あと

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与野御嶽社

与野御嶽社
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大國社 足の神様
大國社 足の神様

大國社 足の神様

与野大國社は、さいたま市中央区本町西にある神社です。与野大國社の創建年代等は不詳ながら、円乗院の守り神として祀られたとも伝えられ、江戸期には蔵王権現社と称されていたといい、明治初期に大国社と改めたのではないかといいます。

出典:猫の足あと

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大國社 足の神様

大國社 足の神様
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〒338-0004 埼玉県さいたま市中央区本町西3丁目2‐6
〒338-0004 埼玉県さいたま市中央区本町西3丁目2‐6
一山神社
一山神社

一 山 神 社

一山神社は、さいたま市中央区本町東にある神社です。一山神社は、与野の御嶽講(一心講)を建て直した一山を慕った講員が、八幡社の境内に御嶽大神を勧請、一山神社と称して嘉永年間(1848-53)に創建したといいます。与野七福神の恵比須神です。

出典:猫の足あと

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一山神社

一山神社
一山神社

一山神社
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一山神社

一山神社
一山神社

一山神社
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一山神社

一山神社

保存樹木

イチョウ

指定番号 316

平成28年3月1日指定

公益財団法人 さいたま市公園緑地協会

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氷川神社
氷川神社

武蔵一宮 氷川神社

概要

埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布しており、当社はその中心である。「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する普通名詞から転じたものである。埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(警察調べ)は全国10位以内に数えられる。特に全国的に初詣客が増加した2008年(平成20年)以降は毎年200万人以上が訪れている。

神社の境内は、見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。神社の南側に広がる神池(かみいけ)は、神社の西側から涌き出た地下水が溜まったものであり、かつて見沼の一部であった。神社に隣接する埼玉県営大宮公園は、明治期に神社周辺の森を取得して整備したものであり、神社のある小山を見沼の入江が囲んでいた、という地形の特徴をよく保存している。

大宮の氷川神社、見沼区中川の中氷川神社(現 中山神社)、緑区三室の氷川女体神社は、いずれも見沼の畔にあり、かつ一直線に並んでいる。この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)がよく混同されるが、別のものである。

ソース: 氷川神社 – https://ja.wikipedia.org

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