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第23回ウオーキングフェスタ東京
5月4日金曜日 第2日目

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小金井公園(スタート)
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玉川上水緑道
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珈琲館くすの樹
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玉川上水緑道
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清流の復活 -玉川上水-
清流の復活 -玉川上水-

清流の復活 ―玉川上水―

玉川上水は、約330年前(承応2~3年)江戸の飲料水供給のために作られた上水路です。

この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的を果たす以外に、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水・かんがい用水・水車の動力として武蔵野の開発に大きな役割を果たしました。

近年まで、この上水路はそのまま淀橋浄水場への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止に伴い、昭和40年以降小平監視所より下流については、水がとだえていました。

しかし、このたび東京都の清流復活事業により、野火止用水に続き玉川上水にも清流がよみかえりました。

19868

出典:小金井市

 

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玉川上水の碑
玉川上水の碑
国指定史跡 玉川上水
国指定史跡 玉川上水

国指定史跡 玉川上水

江戸・東京の水道に果たした役割

玉川上水は、羽村取水口から四谷大木戸までの約4.3㎞にわたる水路で、承応31654)年に完成しました。

多摩川の水が江戸市内の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。

その後、明治311898)年に完成した淀橋浄水場(今の新宿区)への水路として、昭和401965)年に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。

現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、都民の生活を支えています。

貴重な土木施設・遺構としての歴史的価値

玉川上水は、約43kmの区間を約92mの標高差(100mでわずか約21cmの高低差)を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。

特に、小平監視所から浅間橋までの中流部には、開削当時の素掘りの水路・法面(のりめん)が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。

玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成152003)年8月、開渠(かいきょ)区間約30kmが国の史跡に指定されました。

多摩川上水と国木田独歩

玉川上水は多くの文人に愛され、各地に文学碑やゆかりの場所が残っています。

明治期の小説家・詩人である国木田独歩もその一人です。

写真は、現在地から約600mほどの下流の桜橋付近にある国木田独歩の石碑です。

石碑には、代表作である「武蔵野」の第六章の書き出しが刻まれており、独歩が玉川上水付近を散策した様子がうかがい知ることができます。

 

昭和611986)年からは、東京都の清流復活事業により、小平監視所から浅間橋までの区間に下水高度処理水が流され、水辺空間が復活しています。

出典:東京都水道
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玉川上水緑道
玉川上水緑道
境水衛所跡について
境水衛所跡について

境水衛所跡について

 

(すい)衛所(えいじょ)(すい)番所(ばんしょ) )とは

水衛所とは、江戸市中への水を確保するため、(みず)番人(ばんにん) と呼ばれる人が常駐していた場所です。水番人は、玉川上水 に流れる水量の確認や周辺の巡回、流れてくる落ち葉の掃除などを行っていました。

水衛所は、江戸時代には奉行の支配下におかれ、「水番所」と呼ばれていました。

 

境水衛所について

境水衛所は、明治維新後、東京市水道部(現在の東京都水道局 )が管理することになったことから、明治27年に水番所を水衛所と名前を変え、引き続き職員(水衛)が常駐し、玉川上水の点検や清掃などを行っていました。

その後、淀橋浄水場 の廃止に伴い玉川上水への通水を停止したことから、境水衛所は昭和55年3月に廃止されました。水道局では、史跡である玉川上水をより身近に感じていただくため、境水衛所跡地を散策路として、平成24年度に整備しました。

 

境水衛所跡(昭和62年頃撮影:武蔵野市教育委員会から提供)

昭和61年からは、東京都の清流復活事業により、小平監視所から浅間橋までの区間に下水高度処理水が流され、水辺空間が復活しています。

出典:東京都水道局

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国木田独歩の碑
国木田独歩の碑

国木田独歩の碑

 

『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、 』

「武蔵野」第六章の書き出し

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国木田独歩文学碑
国木田独歩文学碑
東京都武蔵野市 武蔵境通り
東京都武蔵野市 武蔵境通り
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清流の復活 -玉川上水-
清流の復活 -玉川上水-

清流の復活 ―玉川上水―

玉川上水は、約330年前(承応2~3年)江戸の飲料水供給のために作られた上水路です。

この上水は、江戸市中への飲料水の供給という本来の目的を果たす以外に、武蔵野台地の各地に分水され、飲料水・かんがい用水・水車の動力として武蔵野の開発に大きな役割を果たしました。

近年まで、この上水路はそのまま淀橋浄水場への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止に伴い、昭和40年以降小平監視所より下流については、水がとだえていました。

しかし、このたび東京都の清流復活事業により、野火止用水に続き玉川上水にも清流がよみかえりました。

19868

出典:小金井市

 

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〒181-0012 東京都三鷹市上連雀1丁目18‐11
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中島飛行機 武蔵野製作所 工場引き込み線 橋台跡
中島飛行機 武蔵野製作所 工場引き込み線 橋台跡

武蔵野の戦争の記憶を訪ねて

中島飛行機 武蔵製作所

工場引き込み線 橋台跡

現在の都立武蔵野中央公園から市役所あたりまでには、かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機 株式会社武蔵製作所という軍需工場がありました。

工場は、昭和131938)年から201945)年まで稼働し、零戦 や隼 などの軍用機のエンジンを生産していました。

この工場への物資輸送のため、武蔵境駅から工場まで引き込み線 が敷設されました。

戦争末期、工場はアメリカ軍による激しい空襲を受けましたが、その際、この引き込み線や隣接する境浄水場も被弾しました。

戦後、昭和261951)年、工場跡の一角に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、引き込み線は敷き直され、三鷹駅からの国鉄「武蔵野競技場線」として生まれ変わりました。

しかし、間もなく野球場は閉鎖され、引き込み線も昭和341959)年に廃止になりました。

その後、玉川上水から北側は、「グリーンパーク遊歩道として、また南側は「堀合(ほりあい)遊歩道」(三鷹市)として生まれ変わりましたが、この場所には、コンクリート製の橋台だけが残されました。平成242012)年都道の建設に伴い、橋台の上に「ぎんなん橋」が設置されました。

この橋台跡は、工場への引き込み線の遺構で唯一残った戦争遺跡です。

出典:武蔵野市非核都市宣言平和事業実行委員会

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玉川上水緑道
玉川上水緑道
石造庚申供養塔
石造庚申供養塔

三鷹市指定文化財

石造(せきぞう)庚申(こうしん)供養塔(くようとう)

種             別 重宝

年             代 享保14年(1729)

指定年月日 昭和53年(1978)5月8日

所      在   地 三鷹市上連雀1-2-1

庚申信仰は中国から伝わり、平安時代の貴族社会に行われた。

その後庶民の間に伝わった。

近世になると、農村社会に庚申講が広まり庚申供養塔が建てられた。

これは庚申塔 の建立が盛んなころのものである。

農村が安定した時期で、人々の生活を反映しているかのように塔型も整っている。

平成4年(1992)7月31日

出典:三鷹市教育委員会

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〒181-0013 東京都三鷹市下連雀3丁目45‐15 アサショウビル三鷹駅前
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〒181-0012 東京都三鷹市上連雀2丁目8‐17
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三鷹八幡大神社
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〒181-0013 東京都三鷹市下連雀7丁目8 ハイメゾン三鷹
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三鷹市役所前交差点
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三鷹福祉会館南交差点
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航空宇宙技術研究所交差点
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〒182-0012 東京都調布市深大寺東町8丁目1 三鷹通り
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東京都調布市 三鷹通り
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遊びと花木の広場 公園35号地
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調布市総合体育館
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調布市総合体育館の使用案内
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調布市総合体育館入口
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神代植物公園案内図
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東京都立神代植物公園
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東京都立神代植物公園
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深大寺山門
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深大寺地区案内図
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深大寺
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御塔坂橋(おとざかばし)
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武蔵境通り
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御塔坂橋(おとざかばし
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御塔坂橋(おとざかばし
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野川遊歩道
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野川遊歩道 おおさわばし
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野川遊歩道 三鷹市大沢
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野川遊歩道 鯉のぼり
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野川遊歩道 三鷹市大沢6丁目
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のがわ
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野川遊歩道 大沢の里
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/野川公園
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野川公園 自然観察園
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〒184-0011 東京都小金井市東町5丁目11‐21
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武蔵野公園
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野川周辺案内図(天神橋~小金井新橋)
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前原坂下交差点
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〒184-0014 東京都小金井市貫井南町2丁目13‐14
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滄浪泉園緑地
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〒184-0005 東京都小金井市桜町3丁目6 小金井街道
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名勝 小金井(サクラ)
名勝 小金井(サクラ)

名勝 小金井(サクラ)

小金井堤の桜は、元文(げんぶん)2年(1737)頃、八代将軍徳川吉宗の時代、幕府の命により川崎平右衛門定孝が、大和(奈良県)の吉野や常陸(茨城県)の桜川など各地の桜の名所から種苗を取り寄せ、小金井橋を中心に玉川上水両岸の6キロメートルにわたり植えたものです。

これは、新田の賑わいのためのほか、桜の根が土手の崩壊を防ぎ、花びらなどが水の毒を消すなどの理由によるものといわれています。

植樹されておよそ60年後の寛政9年(1797)、多摩地域(現東大和市)出身の漢学者大久保(きょう)(なん)が『武蔵野八景』の一つとして世に紹介すると、江戸からの花見客が増え、佐藤一斎『小金井橋観桜記』や大田(おおた)南畝(なんぼ)『調布日記』など文人による紀行文等に登場するようになりました。

特に初代歌川広重が描いた「江戸近郊八景之内小金井橋(せき)(しょう)」などによって富士山を背景とし、玉川上水に映える桜並木の風景が有名になりました。

天保15年(1844)の将軍世子(せいし)(のちの十三代将軍家定)の観桜を契機に、幕府の命により近隣村々によって大規模な補植が行われ、桜並木の景観が整いました。

明治16年(1883)には、明治天皇が騎馬で行幸されるなど、関東第一の桜の名所として、西の吉野と並び称され、明治22年(1889411日、甲武鉄道が開通すると、いっそう多くの花見客で賑わいました。

小金井堤の桜は、東京大学三好学博士(植物学)の調査研究により、若葉の色、花の色、形の大きさ、早咲き、遅咲きなど一本一本が異なるほど多様な天然変種があり、他に類を見ない山桜の一大集植地として、大正13年(1924129日「史跡名勝天然記念物保存法」により、吉野・桜川等と共に名勝に指定されました。

この名勝指定には、小平村・小金井村・保谷村・武蔵野村の村長等を中心として大正2年(1913)に設立された「小金井()(ぞう)会」による官民一体となった保存活動が大きく寄与しました。

戦後、名勝小金井(サクラ)は、樹木の老化や周辺の都市化などによって年々衰えましたが、平成15年(2003827日に玉川上水が史跡に指定されたことを契機に、東京都・地元自治体・市民団代の協働により、吉野や桜川等の系譜を引き継ぐ山桜の苗が補植され、名勝小金井の桜並木の再生・復活が図られます。

平成二十三年八月

出典:小平市教育委員会

出典:小金井市教育委員会

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名勝 小金井(サクラ)
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小金井公園西門
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金井公園西門
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