TOKYOウオーク2018
狭山丘陵と瑞穂の街歩きを楽しむ
ウオーク 7/7<土>
瑞穂・武蔵村山エリア
多摩川水系一級河川
残 堀 川
上流瑞
多摩川合流地点まで14㎞
出典:東京都西多摩建設事務所
高根山遊歩道 都立野山北・六道山公園
狭 山 懸 橋 広 場
狭山懸橋広場の周辺は、狭山丘陵の西側に面し、狭山丘陵の中で標高が一番高いところです。現在、橋の下を通る道路が出来るまでは山深い場所でした。
また、狭山懸橋の南には、かつては狭山谷という谷戸が広がっており、この谷には、天狗に関する昔話が伝っています。学校通り(町道2号線)で分断されていた場所が狭山懸橋の完成(平成23年㋂)で尾根道がつながったことからこのお話を紹介します。
狭山谷の天狗
昔むかし、石畑に大変な豪傑がいた。
ある日この豪傑が、狭山谷へ山仕事に出かけたところ、3人の天狗が話し込んでいるのを見つけた。この豪傑は怖がりもせず。
「わしも仲間に入れてくれ」と話しかけた。
「だめだ、これは天狗だけの話じゃ」と断られてしまった。
すると豪傑は、いきなり天狗の花をもぎ取って自分の鼻にくっつけ、「どうだ、これでわしも天狗だ、文句はなかろう。」
と胸を張った。
「鼻がないと天狗の世界の戻れないから、返してくれ。」と何度も頼んだが、この豪傑は天狗の鼻を持ち帰り、家の宝にしてしまったそうな。
現在、狭山谷は、都立瑞穂農芸高校や図書館などができて、天狗は大変長生きだといわれており、もしもこのあたりで鼻のない天狗を見かけたら、天狗の世界に戻れなくなった、あの狭山谷の天狗に違いありません。
出典:瑞穂町教育委員会
この林はどうなっているの?
林のむかしむかし ものがたり
雑木林の木は薪にして、ごはんをたいたり、あたたまるための燃料に使われました。落ち葉は畑の肥料に使われました。
・ごはんたき
・おちばあつめ
・まきづくり
今、目の前にある林はコナラやキヌギが主の「雑木林」です。これは昔の人が生きるためのかてとして植えたものです。
昔の人にとっては雑木林は大切な資源のもとだったので、林を大切にしていました。
①大きくなった木は20年に1度くらいの間隔で伐採(冬)します。
②切り株からひこばえという芽がでてきて大きくなりました。
③もやわけという作業をして何本かに整理しました。
④ひこばえ(芽)を大きく成長させるために日があたるように保護しました。
⑤毎年のように下草刈り、落ち葉はきを行いました。
・いま、私たちにできることは、雑木林について学んで、保全していくことです。
・雑木林は未来に残したい身近な自然だね!
出典:東京都西部公園緑地事務所
野山北・六道山公園事務所
六地蔵
六地蔵 都立野山北・六道山公園
野山北・六道山公園 雑木林
雑木林
かつて、里の人々は雑木林から薪や炭に適した太さの木をえるために、15~20年ごとに伐採を行ってきました。
その伐採した切り株からは、芽(萌芽)がのびて、それを育てるために、下草刈り・萌芽整理などの作業をおこなっていました。それによって一定の環境が保たれ、多くの草花が育ち、四季折々の景色を見せていました。しかし、近年の人々の生活では、薪を燃料としたり落ち葉を肥料とすることも少なくなり、雑木林は放置され、多様な植物が保たれなくなっています。
そこで、公園という新たな形で雑木林の環境維持に取り組んでいるのが本公園です。
里山の四季は雑木林によって移ろう
●春・・・・・
桜が満開となる頃、カタクリ・ニリンソウ・アマナなど春植物と呼ばれる草花が一斉に花開き、木々も芽吹き始め、淡い黄緑で山がおおわれます。
●夏・・・・・
緑の葉で木々が生き生きしている夏。クヌギ・コナラの幹には樹液を求めてカブトムシ・オオムラサキなどの昆虫が群がります。
●秋・・・・・
木々の葉が色づく。コナラなどの落葉が道をおおい、リンドウ・オミナエシ・ホトトギスなどが花開きます。
●冬・・・・・
葉を落とした木の梢に小鳥達の姿が観察でき、樹肌で木々の種類を知ることができます。
出典:東京都
野山北・六道山公園インフォメーションセンター(管理所)
山口貯水池堰堤工事
村山貯水池に多摩川の水を引くため、羽村の堰から導水管を埋設しました(大正13年完成)。その工事の資材を運搬するため、軽便鉄道「羽村・村山線」を敷設しました。その後、山口貯水池堰堤工事(昭和7年完成)に多摩川の砂利や材料を運ぶため、導水管の上に軽便鉄道「羽村・村山線」を敷設し、横田・赤堀・御岳・赤坂トンネル等も掘りました。現在の野山北公園自転車道は、その軽便鉄道の跡地を整備したものです。
この看板はスポーツ祭東京2013の開催を記念して作成しました。
平成24年10月
出典:武蔵村山市教育委員会
蛇食い治右衛門
昔、狭山池「筥ノ池」と呼ばれ、18町歩(17.8ha)もある大きな池でした。
とても暑いある日、百姓の次右衛門「筥ノ池」で水遊びをしました。すると小さな蛇が絡みついてきました。必死で放そうとしましたが、さらに体を引き締め付けてきます。力持ちの次右衛門はその蛇をつかみ噛みつきました。途端に空は大荒れとなり、小さな蛇はたちまち大蛇となり、傷口からは血が七日七夜流れ続きました。退治された蛇とともに池の水は枯れ、小さな池となりました。その時の水の流れが、さながら大蛇のようであった様子から「蛇堀川」と呼ばれ後に「残堀川」となりました。
このおはなしは、狭山池(筥ノ池)から残堀川へ堀をつなき、池の水を玉川上水の助水としたことを反映して生まれました。
平成25年㋂吉日
出典:瑞穂町
石畑 都立野山北・六道山公園