第41回日本スリーデーマーチ
2日目 11/3土曜日
吉見百穴・森林公園ルート20㎞
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
松葉町1丁目16−19周辺
松葉町1丁目21−12周辺
本町2丁目1−1周辺
本町1丁目3−36周辺
日吉町2−62周辺
上沼公園
上沼・下沼公園
上沼公園と下沼公園の中心にある沼を囲むように桜が植えられています。開花期間中は桜のライトアップが行われ、夜桜見物を楽しむことができます。
出典:東松山市役所 環境産業部 商工観光課
上沼公園
上沼公園
小松原町9周辺
小松原町11−2周辺
小松原町11−2周辺
砂田町7周辺
砂田第2公園
砂田第2公園
松本町2丁目5−34 国道407号高架下
松本町2丁目7−7周辺
ディアナ・マニエール
ディアナ・マニエール
松山412周辺
松山412周辺
松山412周辺
當選寺
妙 法 山 當 選 寺
吉見町北吉見309周辺
吉見町北吉見309周辺
岩室観音堂
岩 室 観 音
弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。武蔵松山城跡跡主が代々信仰し護持していたと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に武蔵松山城跡跡の落城に伴い建物の全てが焼失したといわれている。
現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいものである。 岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の第三番であるが、札所めぐりとしては「西国三十三所」「坂東三十三所」「秩父三十四所」が有名で、「比企西国三十三所」は、それほど知られてはいない。比企西国三十三所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保8年(1723年)に開設されたと言われており、江戸時代にはこうした地域ごとに完結する札所めぐりが数多く創設されたようである。
また、ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したものである。この弘法大師が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所めぐり」とは区別される。
出典:吉見町役場
松山城跡
松 山 城 跡
この城跡は、戦国期における山城の姿がほとんどそのままに残されている貴重な文化財である。
市野川に突き出た部分から本城(本丸)、中城(二の丸)、春日丸、三の丸と南西から北東に向って一線上に並び、その両側に多くの曲輪や平場をもっている。この主曲輪群の東方にも第二次的な施設があったが、太平洋戦争後の土地開発で全く原形を失ってしまった。
城史は、古代にさかのぼるとも言われるが、一般的には鎌倉時代末期の新田義貞陣営説、応永年間初期の上田左衛門尉節、応永23年(1416年)ごろの上田上野介説などがある。しかしながら、城郭としての体裁を整えたのは、太田氏が、江戸、川越、岩槻の各城を築いた時期に近いものと思われる。
この城が天下に知られたのは、今から、4、5百年前の天文年間から永禄年間のことで、城をめぐっての上杉、武田、北条の合戦は有名である。のち、豊臣勢に攻められ、天成18年(1590年)落城した。歴代の城主上田氏の滅亡後は、松平家広1万石の居城となったが、松平氏が慶長6年(1601年)浜松に転封されたのを最後に廃城となった。
平成20年に国指定史跡となっている。

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松山城跡地
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松山城跡地
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平成10年3月
出典:吉見町・埼玉県
吉見百穴 入口
吉 見 百 穴
凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いていることから、一見異様な印象を受ける遺跡である。穴の数は219個と言われ、このような遺跡としては日本一の規模である。穴の入り口は直径1メートル程度だが、内部はもう少し広くなっていることが多い。古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)に造られたものであり、他の多くの古墳が土を盛った小山の中に1つだけ玄室が存在する構造であるのに対し、岩山の表面から数メートルの小穴(古墳の玄室に相当するもの)を多数掘って造られた集合墳墓である。多くの穴に古墳と同様の台座状構造があり、ここに棺桶を安置したとされる。なお、台座は穴によっては複数存在しており、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられている。多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、ここには緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の蓋がはめ込まれていた。これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、複数の台座状構造と合わせて同一の穴に追葬が行われたことを示すものと考えられている。場所により穴の並びが整然、不規則と差がある。不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられている。殆どの穴を自由に入り見学できるが、心ない者により損壊が行われた例もある。
岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。関東平野におけるヒカリゴケの自生地は非常に貴重であり、「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されている。近年は自生している穴の乾燥化が進み、ヒカリゴケが著しく減少したため、穴の中に水を満たした鉢を置いて湿度を保つ対策をしている。ヒカリゴケが自生している穴には鉄格子がはめられており入ることはできない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
吉見町 埋蔵文化財センター前
地下軍需工場跡地
地下軍需工場跡
構内の巨大な洞窟は、右の方500mから、左の方800mに亘り、山腹に掘られた30数か所の一部であります。
第二次世界大戦の末期昭和20年初頭前後から8月に至る間、地下軍需工場用に掘られました。
この戦争の末期に各地の軍事施設は、アメリカ軍B29爆撃機により大きな損害を受けました。
当時わが国で最大といわれた中島飛行機株式会社でも、その大宮工場(現在の富士重工)エンジン製造部門の全施設をこの地下に移転することになりました。
掘削は全国各地から集められた3000人から3500人といわれた朝鮮人労働者により昼夜を通した突貫工事として進められました。 ダイナマイトを使用した人海戦術でした。トンネルは、幅40m、高さ22mの馬蹄形で、現在公開されているのは、10分の1の広さにもおよびません。7月頃には完成した場所に工作機械が搬入され、大宮工場から転居した従業員や勤労動員学徒により、エンジンの部品が製造されましたが、本格的な生産活動に移る前に終戦となりました。掘削工事に従事した最後の朝鮮人と言われた人の帰国に際し関係者により催された懇談会の席上、日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの苗木は、現在も、この地で成長を続けています。
出典:吉見町
百穴コース
ふるさと歩道案内図
百穴コース

吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
松山1105−1 市野川歩道橋
松山1105−1 市野川歩道橋
吉見町北吉見1218 市野川遊歩道
東松山ふるさと自然の道 百穴・川堤コース
東松山ふるさと自然のみち
百穴・川堤コース
このコースは、水辺との出会いがテーマです。市野川、滑川、月中川の3つの川に沿って歩きます。また、角川を渡ります。
自然は人とのかかわりの中、その姿を変えてきました。そして、変えられた環境に応じて、生きものにも変化がありました。人と川について観察しながら歩きましょう。
川の堤防の上には、サクラやアメリカハナミズキの並木があります。秋にはナシ狩が楽しめます。
出典:東松山市・埼玉県環境庁
河川と川の生きもの
松山1496周辺
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園総合案内板
岩鼻運動公園総合案内板
・公園はいつもきれいに使いましょう。
・公園の施設は大切に使いましょう。
・他の人の迷惑になることはやめましょう。

出典:東松山市
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋から東松山庭球場中原コート
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
松山2458−1周辺
東松山市市民病院入口
松山2340周辺
松山2282−1周辺
松山2141−2周辺
松山2141周辺
野田1096−8周辺
野田903−2周辺
野田444−5周辺
大谷994周辺
至 東松山ぼたん園
至 東松山ぼたん園
ウオーキングトレイルルートマップ 大谷の伝説コース、ぼたん園コース、秋葉道コース
ウオーキングトレイルルートマップ
大谷の伝説コース
ぼたん園コース
秋葉道コース

東松山ぼたん園 入口
秋牡丹展
秋 牡 丹 展
秋に咲く貴重なボタンを展示します。
※秋牡丹(抑制ボタン)とは、開花時期を調整し「秋咲き」にさせたものです。
とき
平成30年11月3日(土)
9:00~12:00
ところ
東松山ぼたん園
出典:東松山市都市計画課
東松山ぼたん園
東松山ぼたん園
東松山カントリークラブ側道
滑川町山田1568周辺
滑川町山田1568周辺
大谷5289周辺
埼玉県道307号福田鴻巣線 歩道
源頼家と若狭局
伝承話
串引沼 伝説
源頼朝と
若さの局
周辺に残る
伝承話を
お聞かせ
しています。
大谷5280−1周辺
比丘尼山と横穴墓
比丘尼山と横穴墓
「比丘尼山」は、伊豆に流されていた源頼朝を援助した比企郡司遠宗の妻が、夫の没後、比企禅尼となりここに草庵を営んだ、ということから呼ばれています。周辺には二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝える場所などもあります。
また、この丘陵の斜面には、七世紀に出現した横穴墓郡が存在します。比企地方では吉見百穴、黒岩横穴郡などがあり市内では、この比丘尼山横穴墓郡のみです。これらの横穴墓郡は吉見百穴を中心に西に広がっており、同地方に移住した渡米系氏族の壬生吉志氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。

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比丘尼山
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横穴墓
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滑川町山田758 埼玉県道250号森林公園停車場武蔵丘陵森林公園線 歩道
国営武蔵丘陵森林公園中央口
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園は、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市にまたがる比企北丘陵にある国営公園。国の明治百年記念事業の一環として開設された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森林公園 中央口ゲート
森林公園 中央口ゲート
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園(中央口)
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国営武蔵丘陵森林公園
森林公園 中央口ゲート
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園(中央口)
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国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
埼玉県道307号福田鴻巣線の国営武蔵丘陵森林公園 陸橋
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園 野草コース花情報板
野草コース花情報板
この小径には、四季を通じてたくさんの野草が咲きます。
いろいろな姿で生きている花たちをよく観察して下さい。

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①キチジョソウ
(ユリ科)
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②サラシナショウマ
(キンボウゲ科)
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③コウヤボウキ
(キク科)
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➃ユウガギク
(キク科)
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⑤リンドウ
(リンドウ科)
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⑥フジバカマ
(キク科)
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⑦リュウノウギク
(キク科)
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⑧ツワブキ
(キク科)
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出典:国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園 記念塔
国営武蔵丘陵森林公園
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート 噴水
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
森林公園緑道
森林公園緑道

森林公園まで2.9㎞
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
滑川町羽尾350−6周辺
至 森林公園駅
松山町3丁目1−8周辺
松山町3丁目1−8周辺
東松山市役所
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)