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師走の寒空の下、北の丸公園から皇居乾通り経由大嘗宮(仮設建物)を見学し千代田区立スポーツセンターまでのウオーキング.jpg

師走の寒空の下、北の丸公園から
皇居乾通り経由大嘗宮(仮設建物)を
見学し千代田区立スポーツセンターまでのウオーキング

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千代田区役所から清水門を眺める
千代田区役所から清水門を眺める
千代田区役所から清水門を眺める
千代田区役所から清水門を眺める
清水門(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)遊歩道から日本武道館を眺める
清水門(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)遊歩道から日本武道館を眺める
清水門(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)遊歩道
清水門(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)遊歩道
吉田茂像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2)
吉田茂像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2)

吉 田 茂 像

古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉

昭和五十六年九月

舟越保武 作

安岡正篤 文

桑原翠邦 書

 

吉田茂像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2)
吉田茂像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2)
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
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北の丸公園露場(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺.
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)
北の丸公園多機能トイレ(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
北の丸公園多機能トイレ(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
東京国立近代美術館 工芸館
東京国立近代美術館 工芸館
竹工芸名品展
竹工芸名品展
北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)
北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)

北白川宮能久親王銅像

北白川宮(きたしらかわみや)(のう)(ひさ)親王(しんのう)184741日〈弘化4216日 〉– 1895年〈明治28年〉1028日)は、日本の皇族。陸軍軍人。幼名は満宮(みつのみや)。最後の(りん)王寺宮(のうじのみや)として知られる。 伏見宮邦家親王の第9王子。生母は堀内信子。幕末に活躍した山階宮晃親王と久邇宮朝彦親王の弟で、仁孝天皇の猶子にもなっているため、孝明天皇の義弟、明治天皇の義理の叔父に当たる。

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北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
北白川宮能久親王銅像(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1)周辺
東京国立近代美術館 工芸館(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)周辺
東京国立近代美術館 工芸館(〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1)周辺
首都高速都心環状線(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
首都高速都心環状線(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)から千鳥ケ淵戦没者墓苑 六角堂方面を眺める
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)から千鳥ケ淵戦没者墓苑 六角堂方面を眺める
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵さんぽみち(〒102-0091 東京都千代田区 代官町通り)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
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千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)
千鳥ヶ淵公園(〒102-0082 東京都千代田区麹町1丁目2)

対墨(たいすみ)日本人(にほんじん)移住(いじゅう)百周年(ひゃくしゅうねん)記念(きねん)

所在地 千代田区麹町1-2 (千鳥ヶ淵公園)

対墨日本人移住百周年記念

メキシコ国民より日本国民へ贈呈

18971997

作者:セバスティアン

作品名:「移住」

製作年:1997

材質:スチールプレート

寸法:420×420×240cm

重量:1,000kg

麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
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麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
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麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
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麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
麹町警察署半蔵門警備派出所(〒102-0083 東京都千代田区麹町1丁目2−1)
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠遊歩道
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠遊歩道
桜田濠遊歩道
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
桜田濠遊歩道
桜田濠遊歩道
祝田橋交差点
祝田橋交差点
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場

楠公レストハウス

東京都が推奨する「東京食材使用店第1号」に登録された和食レストラン。「一汁三菜」形式の伝統的な日本食を提供。英語メニューあり。

出典:楠公レストハウス

楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)駐車場
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)
楠公レストハウス(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1)
馬場先門交差点
馬場先門交差点

馬場先門橋

内濠に架かり、丸の内二・三丁目の間から皇居正面に通じる土橋です。馬場先門は寛永6年(1629)に広島藩の初代藩主浅野長晟らによって造られました。門名の由来は、三代将軍徳川家光が門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、馬場先の名が付けられました。橋の北側は馬場先濠、南側は日比谷濠です。日露戦争勝利の提灯行列が、この門にはばまれて大勢の死傷者が出たため、明治39年(1906)に枡形は撤去されました。現在は石垣の一部だけ残っています。

出典:千代田区役所

江戸城 馬場先門跡(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1)
江戸城 馬場先門跡(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1)
江戸城 馬場先門跡(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1)周辺
江戸城 馬場先門跡(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1)周辺
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)

皇居外苑の見所1

和田倉噴水公園

昭和36年に、今上天皇陛下のご成婚を記念して造られた大噴水を、皇太子殿下のご成婚を期に平成7年に再整備したものです。

周辺で働く人々の憩いのな場としても、親しまれています。

楠正成公銅像

楠正成公は、今から700年ほど前の南北朝の時代に活躍した忠臣として名高い武将です。

本体の高さが4メートルあるこの銅像は、明治33年に住友家により寄贈されました。

皇居外苑の見所2

二重橋

一般的には、皇居前広場から正門を経て宮殿へいたる濠に架かっている、「正門石橋」と「正門鉄橋」の総称です。厳密には奥のほうの橋を指します。

桜田門

万延元年(1860年)、江戸幕府の大老井伊(なお)(すけ)が暗殺された事件の門で著名な門です。

現在の門は、関東大震災で破損したものを改修しています。

皇居外苑の見所3

千鳥ヶ淵

上から見た時の姿が千鳥に似ていることから、この名がつけられたといわれています。

岸辺で咲く四季折々の花が、訪れる人を楽しませてくれます。

田安門(国重要文化財)

江戸城の北部・田安台と呼ばれた場所に位置し、現存する門の中では最古のものです。寛永13年(1636年)の再建です
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
皇居前広場(〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)

江戸城 坂下門

坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2115日(1862213日)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名。

出典:東京とりっぷ

江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 坂下門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
皇居宮殿 豊明殿(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)方面
皇居宮殿 豊明殿(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)方面
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
乾通り(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)周辺
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
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大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
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大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
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大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
大嘗宮(仮設建物)(〒100-0001 東京都千代田区1)
諏訪の茶屋(〒100-8111 東京都千代田区千代田1丁目1−1)周辺
諏訪の茶屋(〒100-8111 東京都千代田区千代田1丁目1−1)周辺

諏 訪 の 茶 屋

諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられたものです。

その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。

昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。

二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)
二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)

二の丸雑木林

昭和天皇のご発意により、失われていく雑木林を再現しようと、昭和58年から60年(1985)にかけて造成されました。造成にあたっては、東京近郊の開発予定地にあった雑木林の表土を移したため、植物の種子や根、昆虫の卵、土の中の生物も一緒に運ばれ、早期に再生することができました。平成14年(2002)から雑木林としての管理を進め、大きくなりすぎた樹木を間引き、萌芽(ほうが)更新(こうしん)を行うとともに、林床の下草を刈って野草が生育できる環境を維持しています。

二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)
二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)
二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)
二の丸雑木林(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−4)
二の丸休憩所(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)
二の丸休憩所(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)
二の丸休憩所(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)周辺
二の丸休憩所(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)周辺
江戸城 梅林坂(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)
江戸城 梅林坂(〒100-0001 東京都千代田区千代田1−1)
江戸城 平川門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)
江戸城 平川門(〒100-0001 東京都千代田区千代田1)

江戸城 平川門

太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)という強固な枡形門のスタイルとなりました。

出典:東京とりっぷ

大手町仲通り(〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目)
大手町仲通り(〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目)

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6月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019

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千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

千代田稲門会

千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

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千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

千代田稲門会

千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

千代田稲門会

千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

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千代田区役所(スタート)
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大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

千代田稲門会

千代田区役所(スタート)
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千代田区役所(スタート)
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中部日本放送 東京支社脇
中部日本放送 東京支社脇
清水門遊歩道から武道館を望む
清水門遊歩道から武道館を望む

日本武道館

東京都千代田区北の丸公園2-3にある武道館。日本伝統の武道を普及奨励し、心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とする。日本武道協議会加盟。武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される。管理運営者は公益財団法人日本武道館。単に「武道館」といえば一般的に当館の事を指す。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia

清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段(北の丸公園)
清水門内階段(北の丸公園)
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から千代田区役所方面を望む
清水門内階段(Toilets)から清水門
清水門内階段(Toilets)から清水門
清水門内階段(北の丸公園)
清水門内階段(北の丸公園)
吉田茂像
吉田茂像

吉 田 茂 像

古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉

昭和五十六年九月

舟越保武 作

安岡正篤 文

桑原翠邦 書

気象観測露場
気象観測露場
気象観測露場
気象観測露場
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
旧陸軍 近衛歩兵第二連隊 跡 周辺
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園の池
北の丸公園の池
北の丸公園の橋
北の丸公園の橋
北の丸公園の橋
北の丸公園の橋
北の丸公園 多機能トイレ方面
北の丸公園 多機能トイレ方面
北の丸公園の池 流れ込む小川
北の丸公園の池 流れ込む小川
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
北白川宮能久親王銅像 周辺
北白川宮能久親王銅像 周辺
江戸城 北桔橋門前 陸橋
江戸城 北桔橋門前 陸橋
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門

北 桔 橋 門

北桔橋門は、竹橋から千鳥が淵に抜ける通称 代官町通りの北の丸公園入口の正面にある小さな橋であり、皇居の天守台北側と北の丸方面をつなぐ城門でもある。ここは、東の 平川濠 と西の乾濠を分ける土橋になっている部分で、いわゆる橋になっているのは、皇居東御苑の入口から僅か56mの部分のみである。

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江戸城 北桔橋門から三日月濠(乾濠)を眺める
江戸城 北桔橋門から三日月濠(乾濠)を眺める
江戸城 北桔橋門から平川濠を眺める
江戸城 北桔橋門から平川濠を眺める
北桔橋門
北桔橋門

北 桔 橋 門

北桔橋門は、竹橋から千鳥が淵に抜ける通称 代官町通りの北の丸公園入口の正面にある小さな橋であり、皇居の天守台北側と北の丸方面をつなぐ城門でもある。ここは、東の 平川濠 と西の乾濠を分ける土橋になっている部分で、いわゆる橋になっているのは、皇居東御苑の入口から僅か56mの部分のみである。

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天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
至 江戸城 北桔橋門
北白川宮能久親王銅像 周辺
北白川宮能久親王銅像 周辺
江戸城 北桔橋門前 陸橋
江戸城 北桔橋門前 陸橋
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門
江戸城 北桔橋門から三日月濠(乾濠)を眺める
江戸城 北桔橋門から三日月濠(乾濠)を眺める
江戸城 北桔橋門から平川濠を眺める
江戸城 北桔橋門から平川濠を眺める
北桔橋門
北桔橋門
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ

天 守

日本の城の天守は、住宅として利用された天正期の安土城(織田氏)や大坂城(豊臣氏)などの例は別格として、江戸時代を通して居住空間として使用された例は少ない。姫路城や熊本城などの江戸時代初期までに建てられた天守内には、井戸を伴う台所や便所、畳敷きの部屋など居住設備を設けていた例もあるが、城主は本丸や二ノ丸、三ノ丸などに建てられた御殿で政務や生活を行い、天守はおもに物置として利用されることが多かった。

江戸時代初頭、徳川幕府に届出をする際に天守の名称を憚った櫓の例があり、現在ではそれらの象徴的役割にあった櫓も天守に分類し、それらを総称して天守建築ということがある。外観で2重から5重のものがあり、安土桃山時代の末には最終防衛拠点としての位置づけがされており、本丸に築くことが多かった。本丸の中で天守をさらに囲う郭を造り、この郭を天守郭・天守曲輪(てんしゅくるわ)や天守丸(てんしゅまる)などと呼んだ。ちなみに、天守や櫓を建てることを「を上げる」という。

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天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
天守台(江戸城跡)とアジサイ
桃華楽堂
桃華楽堂
桃華楽堂
桃華楽堂

桃 華 楽 堂

香淳皇后の還暦を記念して建てられ、香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名された音楽堂で、昭和41年(1966年)に完成しました。

屋根はデッセンの花紅を(かたど)り、八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれています。

 

天守台(江戸城跡)
天守台(江戸城跡)
天守台
天守台
天守台
天守台

江戸城 天守台

徳川家康の入城以来、江戸城では、慶長度天守(1607年)、元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は、地上からの高さが約58mあったといわれています。

この天守台は、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が下され、この天守台には天守が建てられないままになりました。

江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守がない状態が210年間続いたことになります。

 

 

天守台
天守台


天守台(江戸城跡) 方向盤
天守台(江戸城跡) 方向盤
江戸城本丸御殿
江戸城本丸御殿

江 戸 城 本 丸 御 殿

この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、(おもて)中奥(なかおく)大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。

表は、将軍の謁見(えつけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(おだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。

 

 

竹林
竹林

竹 林

竹 林

この竹林は上皇陛下のお考えから、平成8年(1996年)に整備されました。

昭和天皇がそのお印であった「若竹」にちなみ喜寿の記念等に宮内庁職員から送られ、吹上御殿にお植えになっていたものを、こちらに移したものです。日本と中国の竹・笹類13種類が植えられています。

インヨウチク島根県比婆山特産で、葉はクマザサのように大きく、緑色。
カンザンチク中国産で、ササの中で最大級
シホウチク中国原産で、稈は四角形。
undefinedコンシマダケマダケの変種で、葉に濃紺色の縞模様。
undefinedラッキョウヤダケヤダケの品種で、節間が膨れてラッキョウ型。
undefinedホウショウチクホウライチクの変種で、葉に白い縞模様。
undefinedスホウチクホウライチクの変種で、稈に紅黄色の縦縞。
undefinedホウライチク中国産で、稈が密生。
undefinedオウゴンチクマダケの変種、稈は黄金色。
undefinedキンメイチクマダケの変種、稈は黄色に緑色の縦縞。
undefinedギンメイチクマダケの変種、稈は緑色に黄色の縦縞。
undefinedキッコウチクモウソウチクの変種で、下部
の節間が交互に膨れて亀甲
状。
undefinedキンメイモウソウモウソウチクの変種で、稈に黄色の縦縞。
竹 林

※竹の幹を稈(かん)と言います。

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キンメイモウソウ
キンメイモウソウ
キンメイモウソウ
キンメイモウソウ

イネ科

キンメイモウソウ

キッコウチク
キッコウチク
キッコウチク
キッコウチク

イネ科

キッコウチク

ギンメイチク
ギンメイチク
ギンメイチク
ギンメイチク

イネ科

ギンメイチク

キンメイチク
キンメイチク
キンメイチク
キンメイチク

イネ科

キンメイチク

オウゴンチク
オウゴンチク
オウゴンチク
オウゴンチク

イネ科

オウゴンチク

スホウチク
スホウチク
スホウチク
スホウチク

イネ科

スホウチク

ラッキョウヤダケ
ラッキョウヤダケ
ラッキョウヤダケ
ラッキョウヤダケ

イネ科

ラッキョウヤダケ

コンシマダケ
コンシマダケ
コンシマダケ
コンシマダケ

イネ科

コンシマダケ

シホウチク
シホウチク
シホウチク
シホウチク

イネ科

シホウチク

カンザンチク
カンザンチク
カンザンチク
カンザンチク

イネ科

カンザンチク

インヨウチク
インヨウチク
インヨウチク
インヨウチク

イネ科

インヨウチク

ナンテン
ナンテン
ナンテン
ナンテン

イネ科

ナンテン

石室
石室

(いし) (むろ)

この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが、火事などの非常の際に、大奥用の稠度などの避難場所と考えられています。

石室
石室
石室
石室
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓

江戸城 富士見多聞櫓

 

「多聞」は、長屋作りの防御施設です。

江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在の富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。

「御休息所前多聞」とも呼ばれています。

 

江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓
至 江戸城 富士見多聞櫓

午 砲 台

()砲台(ほうだい)とはかつて報時のための午砲(空砲)を撃っていた場所のことである。午報所とも呼ばれた。1871年、午砲の制が定められ全国各地に設置されている。空砲の音はドンとも呼ばれ親しまれたことから、後にドン山などという愛称が付けられた午砲台も存在する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓 周辺
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓
江戸城 富士見多聞櫓

汐 見 坂

徳川家康による江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたといわれています。

この坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂上には、汐見坂門が設けられています。

アサザ
アサザ

アサザ

アサザはミツガシワ科アサザ属の多年草。ユーラシア大陸の温帯地域に分布し、日本では本州や九州、稲美町などに生育する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒメコウホネ
ヒメコウホネ

ヒメコウホネ(姫河骨)

地下茎は太く、白色、水底の地中を這い、横へ 広がる。葉は束生し、長い円筒状の葉柄がある。水中葉(沈水葉)は質が薄く、縁が波打つ。水上葉(浮葉)は水面に浮かび、水面が低下すると、水面から出て抽水葉となる。水上葉は長さ610㎝、幅58㎝の広卵形、質がやや厚く、全縁、無毛、表面に光沢があり、基部は深く切れ込む。花柄は長く、水面から上に出て、花を1個上向きにつける。花は黄色、直径34㎝。花弁状に見える萼片は普通5個。花弁は小さく、多数。

コウホネ Nuphar japonicum 水中葉は膜質で細長く、水上葉は光沢があり、長さ2030㎝の長卵形、水面から出る(抽水形)。花は直径約5㎝のわん形。花弁状に見えるのが萼片で、5個。花弁はへら状で小さく、多数が1列に並ぶ。雄しべ、多数、花糸の幅が広い。雌しべの先は広がり、柱頭盤を形成し、柱頭は放射状に並ぶ。

オグラコウホネ Nuphar oguraensisはヒメコウホネに似るが、葉柄が中空、葉が水面に浮かぶ。

ネムロコウホネ Nuphar pumilum は葉が水面に浮かぶ。

出典:三河地方の植物・地衣類・きのこなどを紹介

ヒメコウホネ
ヒメコウホネ
二の丸庭園
二の丸庭園

二の丸庭園(皇居東御苑)

江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置しました。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものです。

出典:東京とりっぷ

二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸池
二の丸池

二の丸池

この二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、アサザの4種類の水生植物が生育しています。初夏から秋にかけて水面を覆い、それぞれ黄色や白色の花を咲かせます。アサザは赤坂御用地の池から株を移したものです。

アサザヒメコウホネ
① アサザ
ミツガシワ科
➂ヒメコウホネ
スイレン科
㋄中旬~㋉中旬、対生する葉のわきに数本の花茎をだし、黄色の花を開く。コウホネの小型種。葉は、広卵形。㋄中旬~㋈下旬、黄色い花を開く。
コウホネヒツジグサ
② コウホネ
スイレン科
➃ヒツジグサ 
スイレン科
㋃下旬~㋈下旬、長く直立した円柱形の花柄の先に黄色の花を1個上向きに開く。河(こう)骨(ほね)の名は、川に生え、根茎が白骨のように見えることによる。㋄下旬~㋉下旬、細長い根生の花柄の先に白色の清楚な花を1個開く。未草(ひつじくさ)の名は、未の刻(午後2時)に花が開くことによるが、開花時間は必ずしも一定しない。
二の丸池の浮葉性植物
菖蒲田(二の丸庭園)
菖蒲田(二の丸庭園)

菖蒲田

この菖蒲田には、84品種のハナショウブが植えられています。皇居東御苑造成中の昭和41年(1966)に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。

二の丸庭園のハナショウブ
二の丸庭園のハナショウブ

花の見頃:6月上旬~中旬

アヤメの仲間の生育場所の違い

二の丸庭園のハナショウブ
二の丸庭園のハナショウブ

ハナショウブ

ハナショウブは、山野に自生するアヤメ科のノハナショウブをもとに改良された園芸品種です。品種改良は江戸時代から盛んになり、改良された地域によって、江戸系、肥後系、伊勢系の三系統に大別され、ここには江戸系が植えられています。

🔶江戸系
 庭園などで群生の美しさを鑑賞するのに向き、風雨に強く、草丈の高いものが多いです。また、平咲きの花が多いのも特徴で多様な花形が見られます。
🔶肥後系
 金屏風の前で鑑賞するなど鉢植えに適し、大輪の豪華な花が多いのが特徴です。
🔶伊勢系
 鉢植え向きで、花弁が垂れ下がり、優美で繊細な花が多いのが特徴です。
江戸系、肥後系、伊勢系の三系統

アヤメ科の植物は、「いずれあやめかかきつばた」というように区別が難しいので、その違いを解説します。

 

アヤメの仲間の見分け方

カキツバタハナショウブノハナショウブアヤメイチハシ
カキツバタハナショウブノハナショウブアヤメイチハシ
花期:5月中旬~下旬
外花被片の中央部に白斑があり、基部は帯黄色
花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
花期:5月上旬~中旬
外花被片の中央
から基部にかけて黄色の網状の模様
花期:4月下旬~5月中旬
外花被片の上面中央にとさか状の突起
カキツバタ葉ハナショウブ葉ノハナショウブ葉アヤメ葉イチハシ葉
幅が広く、中脈はない幅は中位で、中脈が太い幅が細く、太い中脈が目立つ幅が細く、中脈はあるが目立たない幅が広く、中脈は目立たない
アヤメの仲間の見分け方
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸池
二の丸池
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
二の丸庭園 花菖蒲(ハナショウブ)
菖蒲田(二の丸庭園)
菖蒲田(二の丸庭園)
至 江戸城 百人番所から大手町方面を望む
至 江戸城 百人番所から大手町方面を望む
至 江戸城 百人番所から大手町方面を望む
至 江戸城 百人番所から大手町方面を望む
白鳥濠
白鳥濠

白鳥濠(皇居東御苑)

江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる(ほり)白鳥(はくちょう)(ぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、濠に湛える水は湧き水と雨水のみになっています。家康時代に積まれたという石垣も必見です。

出典:東京とりっぷ

江戸城 百人番所
江戸城 百人番所
江戸城 百人番所
江戸城 百人番所

江戸城 百人番所

江戸城本丸への道を厳重に守る中之門に向き合って設けられた警備詰所です。甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は20人の与力と、100人の同心で構成されていました。

三の丸尚蔵館から大手町方面を望む
三の丸尚蔵館から大手町方面を望む
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館

アジサイ(Hydr angea)ノリウツギ(Panicle hydrangea)
本丸では、天守台や富士見多聞(たもん)の付近、二の丸では、各所で見られます。青紫、赤紫など様々な色で初夏から夏を彩っています。二の丸雑木林付近で見られる落葉高木です。たくさんの花が円錐(えんすい)状に集まって咲いています。花びらのように見えるのは装飾(そうしょく)花(か)です。
カイコウズ(Common Coral-Tree)タイサンボク(Grand Magnolla)
鹿児島県の県木として、二の丸にある都道府県の木のコーナーに植えられています。南国らしい深紅色の蝶形の花が咲いています。アメリカデイコとも呼ばれます。ハクレンボクとも呼ばれます。本丸天守台付近で見られ、甘い香りのする大きな白い花が目立ちます。
富士見多聞(Fujimitamon)二の丸雑木林(Ni-no-maru grove)
多聞(たもん)は、防衛と装飾を兼ねた長屋造りの櫓(やぐら)の一種類で、江戸城本丸には15棟がありましたが、今では現存する唯一の遺構です。昭和天皇の御発意で、昭和57年~60年に、武蔵野の雑木林の面影を持つ樹林を整備しました。
今では、昆虫や野鳥のすみかともなっています。
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館
皇居東御苑管理事務所 周辺
皇居東御苑管理事務所 周辺
江戸城 大手門
江戸城 大手門

江戸城 三ノ丸大手門

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっております。大き方の門は、昭和20年(1945年)4月の空爆で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。

 

江戸城 大手門 歩道
江戸城 大手門 歩道
日本歯科大学発祥の地の碑 周辺
日本歯科大学発祥の地の碑 周辺
鎌倉橋 周辺
鎌倉橋 周辺
鎌倉橋 周辺
鎌倉橋 周辺
鎌倉橋
鎌倉橋

鎌倉橋 (日本橋川)

鎌倉橋は、東京都千代田区にある日本橋川に架かる橋である。神田地区と大手町地区の境界に当たる。左岸は内神田一・二丁目、右岸は大手町一・二丁目となる。

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千代田区立スポーツセンター
鎌倉橋
千代田区立スポーツセンター
千代田区立スポーツセンター

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千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→東京国立近代美術館工芸館→麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所→駐日英国大使館→麹町警察署半蔵門警備派出所→桜田門→楠公レストハウス→大手門→二の丸雑木林→二の丸庭園→平川門→気象庁本庁 東京管区気象台→鎌倉橋→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

5月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019

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千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門
至 清水門

江戸城清水門

清水門は、東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門。東面する高麗門と南側に矩折りに建つ櫓門からなる桝形門である。1961年に「旧江戸城清水門」として国の重要文化財に指定されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
清水門内階段
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園

北の丸公園露場

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。

このような気象観測を行う場所を露場(ろじょう)と呼びます。

重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。

出典:東京管区気象台

北白川宮能久親王銅像 周辺
北白川宮能久親王銅像 周辺
北白川宮能久親王銅像 周辺
北白川宮能久親王銅像 周辺
東京国立近代美術館工芸館
東京国立近代美術館工芸館

東京(とうきょう)国立(こくりつ)(きん)(だい)美術館(びじゅつかん) 工芸館(こうげいかん)

工芸館の建物は、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したものです。この建物は、明治431910)年3月、陸軍技師田村(やすし)の設計により、近衛師団司令部庁舎として建築されました。2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物です。丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅していくなかで、官庁建築の旧規をよく残しており、日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な文化財です。

出典:独立行政法人国立美術館

代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
代官町 首都高速都心環状線陸橋
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所 前交差点
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所 前交差点
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所 前交差点
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所 前交差点
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所
麹町警察署千鳥ケ淵警備派出所
千鳥ヶ淵 交差点
千鳥ヶ淵 交差点
千鳥ヶ淵 交差点
千鳥ヶ淵 交差点
千鳥ヶ淵 交差点
千鳥ヶ淵 交差点
駐日英国大使館 前遊歩道
駐日英国大使館 前遊歩道
駐日英国大使館 前遊歩道
駐日英国大使館 前遊歩道
駐日英国大使館
駐日英国大使館
駐日英国大使館
駐日英国大使館
駐日英国大使館
駐日英国大使館

駐日(ちゅうにち)英国(えいこく)大使館(たいしかん)

駐日英国大使館は、イギリス政府が日本に設置している大使館である。所在地は東京都千代田区一番町一。

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半蔵門 交差点
半蔵門 交差点

(はん) (ぞう) (もん)

半蔵門は、江戸城にある門の1つである。 城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道に通じている。大手門とは正反対の位置にある。住所は東京都千代田区麹町1丁目。また東京メトロ半蔵門線半蔵門駅周辺の呼称。

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半蔵門 交差点
半蔵門 交差点
半蔵門 交差点
半蔵門 交差点
半蔵門 交差点
半蔵門 交差点

(はん) (ぞう) (もん)

江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれ、四谷門とともに甲州街道の要衝(ようしょう)となっていました。名前の由来は、伊賀者の服部半蔵がこのあたり配下とともに屋敷を拝領していたという説があります。ほかにも、この門から城内に入る山王祭礼の象の山車(だし)枡形門(ますがたもん)をくぐることができず。半分だけしか入らなかったという説もあります。門は1620年(元和6年)仙台藩(現在の宮城県)藩主伊達(だて)政宗(まさむね)ほか6名の東国大名により築造されました。

江戸時代には、半蔵門から入り北に進み、現在の代官町通りを通って、竹橋門(現在の竹橋駅付近)に抜けることができました。

1871年(明治4年)に(わたり)(やぐら)門は撤廃され、現在は高麗門だけが残り、皇室の皇居への通用門として使用されています。

 

半蔵門「旧江戸城写真帖1871年(明治4年)撮影

東京国立博物館蔵

 

江戸城を取り巻く地形と文化財

 

出典:千代田区

半蔵門 交差点
半蔵門 交差点
麹町警察署半蔵門警備派出所
麹町警察署半蔵門警備派出所
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
至 桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門から警視庁を望む
桜田門から警視庁を望む
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
旧江戸城 外桜田門
旧江戸城 外桜田門

重要文化財(建造物)指定昭和3667

旧江戸(きゅうえど)(じょう) (そと)桜田門(さくらだもん)

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(うちさくらだもん)桔梗門(ききょうもん))に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田(さくらだ)(ごう)と呼んでいたことに由来します。

外側の高麗門(こうらいもん)と内側の(わたり)櫓門(やぐらもん)の二重構造からなり、(そと)枡形(ますがた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(320坪)。建築されたのは寛永(かんえい)年間(162444)とされ。現存する門は、寛文3年(1663)に再建された門がもとになっています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。(まん)(えん)元年(186033日、この門外で大老(たいろう)井伊(いい)(なお)(すけ)が水戸藩脱藩士(だつはんし)に暗殺されました(桜田門外の変)。

 

旧江戸城と外桜田門 「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)

桜田門 高麗門
桜田門 高麗門
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
祝田橋 周辺
祝田橋 周辺
祝田橋 周辺
祝田橋 周辺
祝田橋 交差点
祝田橋 交差点
祝田橋 交差点
祝田橋 交差点
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
楠公レストハウス
楠公レストハウス


楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
楠木正成像
楠木正成像

(くすのき) () (まさ) (しげ)

楠木(くすのき) 正成(まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。

元弘の乱(1331 – 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。

南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄・名将)、「多聞天王の化生(けしょう)」(『太平記評判秘伝理尽鈔』、「軍神の化身」の意)、「日本開闢以来の名将」(江島為信『古今軍理問答』)と称された。『太平記』では奇想天外な策と智謀に長けた「不敵」(無敵)の戦術家としての活躍が印象的に描かれるが、それは正成の軍才のごく限定された一面に過ぎず、史実では刀を振るえば電撃戦を得意とし六波羅探題を震撼させた猛将であり(『楠木合戦注文』『道平公記』)、築城・籠城技術を発展させ軽歩兵・ゲリラ戦・情報戦・心理戦を戦に導入した革新的な軍事思想家であり(楠木流軍学の祖)、そして畿内にいながらにして日本列島の戦乱全体を俯瞰・左右した不世出の戦略家だった(『梅松論』『国史大辞典』)。

明治以降は「大楠(だいなん)(こう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。また、湊川神社の主祭神となった。

戦前までは、正成の忠臣としての側面のみが過剰に評価されたことで、対比として主君である後醍醐天皇やその建武政権の政策への低評価に繋がり、同時代への実証的研究を困難にさせた。しかし、2000年前後以降は、主君後醍醐の政策は前後の時代との連続性が見られることが指摘され、『太平記』で創作されたような暗君像は改められる方向にある。正成についても、何か一つの側面に縛られるような人間ではなく、武将・官僚・商人など、多面的な顔と才能を持つ人物であったことが明らかになってきている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

楠木正成像 周辺
楠木正成像 周辺
皇居外苑
皇居外苑

(こう) (きょ) (がい) (えん)

厳密には皇居前広場と1969年(昭和44年)に開園した北の丸公園、それに皇居の周りの内濠に沿った緑地も含まれるが、通常は皇居前広場だけを指すことが多いため、本項ではこれを扱う。都市計画法第11条(都市施設)に基づく名称は、北の丸公園、日比谷公園と合わせて「東京都市計画公園第5823号中央公園」である。広大な広場のほかに、桜田門や二重橋といった東京を代表する歴史的にも貴重な建築物を見ることができる。

入苑は無料。広く開放されており開苑・閉苑の概念自体ない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 交差点
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 遊歩道
大手門 渡櫓
大手門 渡櫓
大手門内
大手門内

(おお) () (もん)

元は追手門(おうてもん)と書かれ、高知城など、城によっては現在も追手門と表記しているところもある。これに対して背面の門は搦手門(からてもん)と呼ばれる。

防御のために厳重な築造がされ、大規模な櫓門を開いたり石塁などにより枡形をしていることが多い。見た目も大きく、目立つように造られる。また、橋は土橋であることが多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

大手門内
大手門内
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館

三の丸(さんのまる)尚蔵館(しょうぞうかん)

三の丸尚蔵館とは、東京都千代田区千代田の皇居東御苑内にある博物館施設。宮内庁が所管する。 昭和天皇の死後の19896月に昭和天皇の遺族から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、19929月に皇居東御苑内に建設され、1993113日に開館した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林 アマドコロ
二の丸雑木林 アマドコロ

ユリ科

アマドコロ

二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸庭園 菖蒲田
二の丸庭園 菖蒲田

菖 蒲 田

この菖蒲田には、84品種のハナショウブが植えられています。皇居東御苑造成中の昭和41年(1966)に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。

花の見頃:6月上旬~中旬

アヤメの仲間の生育場所の違い

 

ハナショウブ

ハナショウブは、山野に自生するアヤメ科のノハナショウブをもとに改良された園芸品種です。

品種改良は江戸時代から盛んになり、改良された地域によって、江戸系、肥後系、伊勢系の三系統に大別され、ここには江戸系が植えられています。

🔶江戸系
 庭園などで群生の美しさを鑑賞するのに向き、風雨に強く、草丈の高いものが多いです。また、平咲きの花が多いのも特徴で多様な花形が見られます。
🔶肥後系
 金屏風の前で鑑賞するなど鉢植えに適し、大輪の豪華な花が多いのが特徴です。
🔶伊勢系
 鉢植え向きで、花弁が垂れ下がり、優美で繊細な花が多いのが特徴です。
ハナショウブ

アヤメ科の植物は、「いずれあやめかかきつばた」というように区別が難しい

ので、その違いを解説します。

 

アヤメの仲間の見分け方

カキツバタハナショウブノハナショウブアヤメイチハシ
undefined花期:5月中旬~下旬
外花被片の中央部に白斑があり、基部は帯黄色
undefined花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
undefined花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
undefined花期:5月上旬~中旬
外花被片の中央
から基部にかけて黄色の網状の模様
undefined花期:4月下旬~5月中旬
外花被片の上面中央にとさか状の突起
undefined幅が広く、中脈はないundefined幅は中位で、中脈が太いundefined幅が細く、太い中脈が目立つundefined幅が細く、中脈はあるが目立たないundefined幅が広く、中脈は目立たない
アヤメの仲間の見分け方
二の丸庭園 菖蒲田
二の丸庭園 菖蒲田
←大手門 ↑平川門
二の丸庭園 菖蒲田
二の丸庭園
←大手門 ↑平川門

二の丸庭園(皇居東御苑)

江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置しました。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものです。

出典:東京とりっぷ

二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
ヒレナガニシキゴイ
ヒレナガニシキゴイ

ヒレナガニシキゴイ

二の丸庭園
二の丸庭園

上皇陛下の御発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれました。二の丸池で長い鰭や尾鰭をなびかせて泳ぐ姿が見られます。

二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
江戸城 帯曲輪門 周辺
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図

 

皇居東御苑のみどころ

大番所松の大廊下跡
富士見櫓石室
富士見多聞展望台
天守台北詰橋門(出入門)
桃華楽堂中之門跡
中雀門跡
本 丸
野草の鳥バラ園
果樹古品種園(東・西)桜の島
竹林本丸大芝生
ツバキ園
汐見坂白鳥濠
諏訪の茶屋平川門(出入門)
同心番所百人番所
二の丸二の丸雑木林新雑木林
梅林坂菖蒲田
二の丸庭園都道府県の木
三の丸三ノ丸尚蔵館大手門(出入口)
皇居東御苑のみどころ
平川門
平川門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門 交差点
平川門 交差点
平川門 交差点
平川門 交差点
平川門 交差点
平川門 交差点
気象庁本庁 東京管区気象台
気象庁本庁 東京管区気象台
気象庁本庁 東京管区気象台
気象庁本庁 東京管区気象台
大手町合同庁舎第3号館 周辺
大手町合同庁舎第3号館 周辺
大手町合同庁舎第3号館 周辺
大手町合同庁舎第3号館 周辺
鎌倉橋 周辺
鎌倉橋 周辺

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→ザ・フォレスト 北の丸→代官町→平川門→皇居東御苑→天守閣跡→富士見櫓→大手門→KKRホテル東京→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

2月度ちよだ皇居周辺リフレッシュウオーク2019

2月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019

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千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
至 清水門(清水濠)
至 清水門(清水濠)
清水濠
清水濠
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上の「シナマンサク」

シナマンサク

支那満作

マンサク科マンサク属

分布

日本(中国地方~四国)

清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上
清水門階段上
清水門階段上
清水門階段上
吉田茂像
吉田茂像
吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂像脇の「カンザクラ」

カンザクラ

( 寒 桜 )

花期 二月から三月中旬頃

花 淡紅色

吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂
吉田茂

吉 田 茂 像

古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉

昭和五十六年九月

舟越保武 作

安岡正篤 文

桑原翠邦 書

吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
コブシ
コブシ

コブシ

モクレン科

〇春に良い香りのする白い花を咲かせます。

〇花の咲く時期が農作業開始の暦になっていました。

〇実が「握り拳」に似ています。

コブシ
コブシ
サルスベリ
サルスベリ

サルスベリ

ミソハギ科

〇夏に咲く花は花期が長く、「百日紅(ひゃくじこう)」ともいいます。

〇サルも滑りそうなくらい、すべすべした幹で知られます。

サルスベリ
サルスベリ
ハクモクレン
ハクモクレン

ハクモクレン

モクレン科

〇庭や公園に植えられます。

〇春に芳香のある白い花が咲きます。

〇中国名の木蓮が名前の元になりました。

ハクモクレン
ハクモクレン
チャンチン
チャンチン

チャンチン

香椿

センダン科 チャンチン属

分布

中国~マレーシア山岳地帯

チャンチン
チャンチン
マンサク
マンサク

マンサク

別名:ハマサク属

マンサク科 マンサク属

原産

日本(関東西部以西~九州)

北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
千鳥ヶ淵さんぽみち
千鳥ヶ淵さんぽみち
千鳥ヶ淵緑道 (代官町通り経由) 1230m
千鳥ヶ淵緑道
(代官町通り経由)
1230m
千鳥ヶ淵緑道 (田安門経由) 420m
千鳥ヶ淵緑道
(田安門経由)
420m
千鳥ヶ淵さんぽみち
千鳥ヶ淵さんぽみち
北の丸公園から日本武道館
北の丸公園から日本武道館
北の丸公園の鳥のごちそう
北の丸公園の鳥のごちそう

北の丸公園 鳥のごちそう

シグミシロハラ アズキナシ多くの鳥たちに好まれます ゴンズイ
シグミシロハラ
アズキナシ
北の丸公園には鳥の好きな木の実のなる木が沢山植えられています。
鳥たちの食事の様子をそっと観察してみましょう。
多くの鳥たちに好まれます
ゴンズイ
ツグミコゲラメジロ マユミシグミヒヨドリ クロガネモチツグミヒヨドリメジロ ウメモドキ
ツグミコゲラメジロ
マユミ
シグミヒヨドリ
クロガネモチ
ツグミヒヨドリメジロ
ウメモドキ
メジロヒヨドリツグミ ガマズミコゲラツグミメジロ ハゼノキヤマガラヒヨドリキジバト エゴノキ
メジロヒヨドリツグミ
ガマズミ
コゲラツグミメジロ ハゼノキヤマガラヒヨドリキジバト
エゴノキ
北の丸公園 鳥のごちそう
至  代官町
至 代官町
毎日新聞社東京本社
毎日新聞社東京本社
竹橋
竹橋
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
江戸城築城 550年に当たって
江戸城築城 550年に当たって

1457年(直禄元年) 江戸城築城

江戸城は、上杉氏の家臣太田道灌(14321486)によりはじめて築かれた。のち、徳川氏15代の居城となり、明治初年より皇居となった。

江戸城築城 550年に当たって

左にある「追幕の碑」は、太田道灌公没後450年を記念して建立されましたが、今年は、道灌公が長禄元年(1457年)にこの千代田区の地に「江戸城」を築城してから、丁度550年に当たります。

この記念すべき時に当たり、都市東京と千代田区の今日の繁栄の基礎を築いたとも言える大田道灌公の遺徳を偲んで、顕彰の(しるし)とします。

太田道灌(143286)は、室町中期の武将で歌人、名は(すけ)(なが)、道灌は法名は。扇谷上杉家の重臣。1457年、この千代田の地に江戸城を築く。文武両道に優れ、30数戦して負けず知らずの名将だったが、山内上杉家の策謀により主君に暗殺された。江戸時代から語り継がれた山吹伝説の歌が、悲劇の名将の横顔をいまに伝えている。

千代田区観光協会(協力)

七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとうだに なきぞかなしき

平成19925

出典:千代田区

江戸城築城 550年に当たって
江戸城築城 550年に当たって
皇居東御苑
皇居東御苑

(こう) (きょ) (ひがし) (ぎょ) (えん)

皇室のお庭

入園無料

平川門
平川門
平川門
平川門

(ひら) (かわ) (はし)

平川橋は皇居北側の内濠に架かり、東京都千代田区一ツ橋一丁目から皇居東御苑に渡る木橋である。平川は神田川下流部の古い名で、日比谷入江に合流していた。流路はのちに東回りに変更され日本橋川や外濠川となった。平川の跡は大手濠などになっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平川門
平川門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門
平川門
平川門 案内板
平川門 案内板

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

江戸城 帯曲輪門
江戸城 帯曲輪門

帯曲(おびくる)輪門(わもん)不浄門(ふじょうもん)

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
天神濠 石碑
天神濠 石碑

天神濠 石碑


平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前のトイレ 周辺
平川門前のトイレ 周辺
苑内ご案内
苑内ご案内

苑内ご案内

最寄りの交通機関への所要時間

●北詰橋門から

地下鉄東西線竹橋駅まで、400m(徒歩約5分)

地下鉄九段下駅まで、約900m(徒歩約1520分)

●大手門から

地下鉄千代田線二重橋前駅まで、約700m(徒歩約10分)

JR東京駅まで、約1000m(徒歩約15分)

地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。

皇居外苑、約600m(徒歩約10分)

●平川門

地下鉄東西線竹橋駅まで、約200m(徒歩約5分)

JR東京駅まで、約1600m(徒歩約25分)

地下鉄各線大手町駅は、その手前にあります。

 

 

至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
梅林坂
梅林坂

梅 林 坂

この地に最初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたこたから「梅林坂」の名が付いたといわれています。

現在は約70本の紅白の梅が植えられており。

12月末から2月まで花が楽しめます。

梅林坂から大手町を望む
梅林坂から大手町を望む
江戸城本丸御殿
江戸城本丸御殿

江 戸 城 本 丸 御 殿

この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、(おもて)中奥(なかおく)大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。

表は、将軍の謁見(えつけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(おだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。

 

江戸城跡
江戸城跡

江 戸 城 本 丸 御 殿

この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、(おもて)中奥(なかおく)大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。

表は、将軍の謁見(えつけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(おだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。

 

天守閣跡
天守閣跡

天守閣跡 江戸城

江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。

天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44m四方、高さ18mで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。

しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mです。

本丸は二の丸と共に宮殿造営の際に整備され、皇居東御苑として一般に公開されています。

出典:皇居参観ガイド

天守閣跡から大手町を望む
天守閣跡から大手町を望む

(とう)()楽堂(がくどう)(皇居東御苑)

 

昭和412月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。

 

出典:東京とりっぷ

 

天守閣跡から大手町を望む
天守閣跡から大手町を望む
皇居 案内板
皇居 案内板

皇居 案内板


石室
石室
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡
松の大廊下跡

松の大廊下跡

江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。

事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。

 

富士見櫓
富士見櫓

() () () (やぐら)

「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています

 

反対からの眺め

 

櫓からの眺め

富士見櫓 案内板
富士見櫓 案内板
皇宮警察本部坂下護衛署三の丸尚蔵館前警備派出所周辺
皇宮警察本部坂下護衛署三の丸尚蔵館前警備派出所周辺
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡から大手町を望む
江戸城 大手門跡から大手町を望む
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡
〒100-0001 東京都千代田区千代田1 内堀通り
〒100-0001 東京都千代田区千代田1 内堀通り
KKRホテル東京 周辺
KKRホテル東京 周辺

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→皇居外苑 ザ・フォレスト北の丸→竹橋 交差点→平川橋→平川高麗門→皇居東御苑→二の丸庭園→同心番所→大手門→和田倉噴水公園→新丸の内ビルディング→アーバンネット大手町ビル→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

10月度JWAのウオーキング教室

10月度JWAのウオーキング教室

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千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
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千代田区役所から清水門
千代田区役所から清水門
千代田区役所から清水門
千代田区役所から清水門
千代田区役所前 歩道
千代田区役所前 歩道
千代田区役所前 歩道
千代田区役所前 歩道
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清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門向かう歩道
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清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
吉田茂像
吉田茂像
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
至 北の丸公園
東京管区気象台露場 モニター画面
東京管区気象台露場 モニター画面

北の丸公園露場

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。

このような気象観測を行う場所を露場(ろじょう)と呼びます。

重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。

出典:東京管区気象台

タイワンホトトギス
北の丸公園露場
北の丸公園のイチョウ
タイワンホトトギス
北の丸公園のケヤキ
タイワンホトトギス

タイワンホトトギス

台湾杜鵑草

Tricyrtis

ユリ科 ホトトギス属

分布

台湾、沖縄本島、西表島

 

北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園のケヤキ
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園のイチョウ
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園のイチョウ
皇居外苑 ザ・フォレスト北の丸
皇居外苑 ザ・フォレスト北の丸
皇居外苑 ザ・フォレスト北の丸
皇居外苑 ザ・フォレスト北の丸
北の丸公園1 周辺
北の丸公園 周辺
北の丸公園1 周辺
北の丸公園 周辺
北の丸公園1 周辺
北の丸公園 周辺
北の丸公園
北の丸公園 周辺
コムラサキ
コムラサキ

コムラサキ

一般名:コムラサキ(小紫)

学名:Callicarpa dichotoma

別名:コシキブ(小式部) :

分類名:植物界被子植物門双子葉植物綱シソ目クマツヅラ科ムラサキシキブ属

分布:日本、朝鮮半島、中国

樹高:200300cm 開花期:68月 成実期:912月 花色:薄紫 果実色:紫 果実径:0.35cm

シロヤマブキ
シロヤマブキ

シロヤマブキ

白山吹

バラ科 シロヤマブキ属

分布

日本(中国地方、□□産)

朝鮮、中国

北の丸公園

北の丸公園
北の丸公園
国立公文書館
国立公文書館

国立公文書館

日本政府の付属機関等から移管された歴史資料など重要公文書を一般公開している。

所蔵資料は明治時代以来の公文書が約60万冊(20063月現在)・旧内閣文庫約53万冊。

公文書を閲覧できるように閲覧室に常設したり常設展や企画展にて公開したりしている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国立公文書館
国立公文書館
毎日新聞社
毎日新聞社
清水濠
清水濠
竹橋 交差点
竹橋 交差点
清水濠
清水濠
清水濠
清水濠
東西線竹橋駅 周辺
東西線竹橋駅 周辺
江戸城築城 550年に当たって
江戸城築城 550年に当たって

江戸城築城 550年に当たって

左にある「追幕の碑」は、太田道灌公没後450年を記念して建立されましたが、今年は、道灌公が長禄元年(1457年)にこの千代田区の地に「江戸城」を築城してから、丁度550年に当たります。

この記念すべき時に当たり、都市東京と千代田区の今日の繁栄の基礎を築いたとも言える大田道灌公の遺徳を偲んで、顕彰の(しるし)とします。

太田道灌(143286)は、室町中期の武将で歌人、名は(すけ)(なが)、道灌は法名は。扇谷上杉家の重臣。1457年、この千代田の地に江戸城を築く。文武両道に優れ、30数戦して負けず知らずの名将だったが、山内上杉家の策謀により主君に暗殺された。江戸時代から語り継がれた山吹伝説の歌が、悲劇の名将の横顔をいまに伝えている。

千代田区観光協会(協力)

七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとうだに なきぞかなしき

平成19925

出典:千代田区

平川橋
平川橋
平川橋
平川橋

皇 居 東 御 苑

皇室のお庭

入園無料

平川橋
平川橋
大手濠
大手濠
平川橋
平川橋
平川門警備派出所
平川門警備派出所
平川門
平川門
皇居 東御苑 ランチタイムコンサート
皇居 東御苑 ランチタイムコンサート

皇 居 東 御 苑

ランチタイムコンサート

日 時 1031日(水)

12:1512:45

(雨天中止)

場 所 皇室(東御苑本丸)

曲 目 夢をかなえてドラエモン

テイ・ドリーム・ビリーバー

ほか

 

出典:皇室警察音楽隊

平川高麗門
平川高麗門

平川高麗門

平川門
平川門
平川門
平川門
平川門
平川門
帯曲輪門
帯曲輪門
平川門
平川門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
平川門
平川門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑
皇居東御苑と天皇皇后両陛下 案内図

皇居東御苑と天皇皇后両陛下

❶ヒレナガニシキゴイ❷二の丸池
① ヒレナガニシキゴイ② 二の丸池
天皇陛下のご発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれたものです。平成3年(1991)と平成24年(2012)に、両陛下が御放流になりました。都市化が進むにつれて池や沼が埋められ、かつては普通に見られた水生植物を見る機会が少なくなりました。ここには、ヒツジグサや御所の池から移植したコウホネなど4種類の水生植物が植えられています。
❸ 新雑木林❹ はるかのひまわり
③ 新雑木林④ はるかのひまわり
平成14年(2002)に雑木林を拡張しました。小さな流れを作り、野鳥や昆虫の好む木を植え、御所近くから季節毎に楽しめる様々な野鳥を移植しました。大震災で亡くなったはるかという名前の神戸の小学生の家の跡
に、人々を勇気づけるように咲いたことからそうよばれるようになったひまわりを全国に広げる活動の中で、両陛下にも種が献上され、御所で毎年大切にお育てになっています。そこで採れた種から育てているものです。
❺竹林❻ヨーロッパアカマツ
⑤ 竹林⑥ ヨーロッパアカマツ
「お印」の「若竹」にちなみ、昭和天皇の御所にはいろいろな竹が植えられていました。珍しい竹を多くの人が見られるようにとの天皇陛下のお考えで、平成8年(1996)にそこから13種類の竹を移植しました。平成20年(2008)に国賓として来日されたスペイン国国王王妃両陛下から天皇皇后両陛下に贈られたものです。両陛下がお手植えになりました。
❼バラ園❽フローレンス・ナイチンゲール
⑦ バラ園⑧ フローレンス・ナイチンゲール
日本や中国の野生のバラが植えられています。多くは御所近くのお庭から移植したものです。フローレンス・ナイチンゲール国際基金発足75周年を記念して作られたバラが献上され、両陛下が平成21年(2009)にお手植えになりました。
❾果術古品種園
⑨ 果術古品種園
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑
皇居東御苑

皇居東御苑 案内図

皇居東御苑のみどころ

大番所松の大廊下跡
富士見櫓石室
富士見多聞展望台
天守台北詰橋門(出入門)
桃華楽堂中之門跡
中雀門跡
本丸
野草の鳥バラ園
果樹古品種園(東・西)桜の島
竹林本丸大芝生
ツバキ園
汐見坂白鳥濠
諏訪の茶屋平川門(出入門)
二の丸同心番所百人番所
二の丸雑木林新雑木林
梅林坂菖蒲田
二の丸庭園都道府県の木
三の丸三ノ丸尚蔵館大手門(出入口)
皇居東御苑のみどころ
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
天神濠
天神濠
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
苑内のご案内
苑内のご案内

苑内ご案内

 

最寄りの交通機関等への所要時間

●北詰橋門から

地下鉄東西線竹芝駅まで 約400m(徒歩約5分)

地下鉄九段下駅まで 約900m(徒歩約1520分)

●大手門から

地下鉄千代田線二重橋駅まで 約700m(徒歩約10分)

JR東京駅まで 約1000m(徒歩約15分)

地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。

皇居外苑 約600m(徒歩約10分)

●平川門から

地下鉄東西線竹橋駅まで 約200m(徒歩約5分)

JR東京駅まで 約1600m(徒歩約25分)

地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。

皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
沖縄県 りゅうきゅうまつ
沖縄県 りゅうきゅうまつ

沖縄県 マツ科

りゅうきゅうまつ

皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
愛媛県 まつ
愛媛県 まつ

愛媛県 マツ科

ま つ

広島県 もみじ
広島県 もみじ

広島県 ムクロジ科

も み じ

二の丸雑木林
二の丸雑木林

二の丸雑木林

昭和天皇のご発意により、失われていく雑木林を再現しようと、昭和58年から60年(1985)にかけて造成されました。造成にあたっては、東京近郊の開発予定地にあった雑木林の表土を移したため、植物の種子や根、昆虫の卵、土の中の生物も一緒に運ばれ、早期に再生することができました。平成14年(2002)から雑木林としての管理を進め、大きくなりすぎた樹木を間引き、萌芽(ほうが)更新(こうしん)を行うとともに、林床の下草を刈って野草が生育できる環境を維持しています。

 

主な野草

タチツボスミレ スミレ科チゴユリ ユリ科
タチツボスミレ
スミレ科
チゴユリ
ユリ科
花期:㋂下旬~㋃中旬
花は普通淡柴色だが変化が多く、唇弁に紫のすじがある。
花期:㋃中旬~㋄上旬
茎の先に白い花を1~2個垂らしてつける。
キンラン ラン科ギンラン ラン科
キンラン
ラン科
ギンラン
ラン科
花期:㋃中旬~㋄上旬
茎の先が黄色い花を⒑個ほどつけ、花は平開しない。
花期:㋃下旬~㋄上旬
茎は先に白色の花を3~5個つけ、花は平開しない。
主な野草 春

主な野草

オカトラノオ サクラソウ科オオバギボウシ ユリ科キツネノカミソリ ヒガンバナ科
オカトラノオ
サクラソウ科
オオバギボウシ
ユリ科
キツネノカミソリ
ヒガンバナ科
花期:㋅上旬~㋆上旬
花穂の一方にかたよって白色の花を多数つける。
花期:㋅下旬~㋆下旬
花茎に淡紫色または白色の花を多数開く。
花期:㋆下旬~㋇下旬
葉が夏に枯れ、その後に花茎をだし、黄赤色の花が3~5個咲く。
主な野草 夏

主な野草

ノコンギク キク科カシワバハグマ キク科キバナアキギリ シソ科
ノコンギク
キク科
カシワバハグマ
キク科
キバナアキギリ
シソ科
花期:㋈上旬~㋊中旬
淡い青紫色の花が茎の先に多数つく。
花期:㋈中旬~㋉下旬
茎の上部に白っぽい頭花を穂状につける。
花期:㋈下旬~㋉上旬
茎の先の花穂に黄色の唇形花が段になってつく。
主な野草 秋
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸池
二の丸池

二の丸池

この二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、アサザの4種類の水生植物が生育しています。初夏から秋にかけて水面を覆い、それぞれ黄色や白色の花を咲かせます。アサザは赤坂御用地の池から株を移したものです。

二の丸池
二の丸池
アサザヒメコウホネ
① アサザ
ミツガシワ科
➂ヒメコウホネ
スイレン科
㋄中旬~㋉中旬、対生する葉のわきに数本の花茎をだし、黄色の花を開く。コウホネの小型種。葉は、広卵形。㋄中旬~㋈下旬、黄色い花を開く。
コウホネヒツジグサ
② コウホネ
スイレン科
➃ヒツジグサ 
スイレン科
㋃下旬~㋈下旬、長く直立した円柱形の花柄の先に黄色の花を1個上向きに開く。河(こう)骨(ほね)の名は、川に生え、根茎が白骨のように見えることによる。㋄下旬~㋉下旬、細長い根生の花柄の先に白色の清楚な花を1個開く。未草(ひつじくさ)の名は、未の刻(午後2時)に花が開くことによるが、開花時間は必ずしも一定しない。
二の丸池 水生植物
二の丸池
二の丸池
新雑木林の野草
新雑木林の野草

新雑木林の野草

雑木林では、吹上御苑から移植したものも含め様々な野草が見られ、四季を通じて花や実を楽しむことができます。

主な野草

ニリンソウ.エビネチョウジソウアヤメミヤコグサ
ニリンソウ
キンボウゲ科
エビネ
ラン科
チョウジソウ
チョウジソウ科
アヤメ
アヤメ科
ミヤコグサ
マメ科
花期:㋃上旬~㋄上旬
茎葉の間から普通2本の長い柄をだし、先端に白い花を開く。
花期:㋃下旬~㋄上旬
葉の間から花茎をだし、8~15個の花をつける。色は淡紅白色ときに淡緑、淡黄白色。
花期:㋃下旬~㋄上旬
茎の先端に多数の花をつけ、花冠は青紫色で下部は筒となる。
花期:㋄上旬~中旬
花は、紫色で2~3個が次々に咲く。外花被片3個の基部は黄色と紫色の虎班模様。
花期:㋄下旬~㋅中旬
茎のわきに花柄をだし、黄色い蝶形の花をつける。
ノカンゾウコオニユリヤマユリリュウノウギク
ノカンゾウ
ユリ科
コオニユリ
ユリ科
ヤマユリ
ユリ科
リュウノウギク
キク科
花期:㋅中旬~㋆中旬
葉の間から太い花茎をだし、橙赤色のラッパ状の花が10個ほど咲く。
花期:㋆上旬~下旬
茎の先端に黄赤色の花をいくつかつけ、内側に紫黒色の小点がまばらにある。
花期:㋆上旬~㋇上旬
花は大輪で、強い芳香がある。花の内側には赤い小点があり、中脈に黄色いすじが入る。
花期:㋉下旬~㋊下旬
花は、普通白色、のちに淡紅色となる。
アキカラマツフシグロセンアキノタムラソウキクタニギク
アキカラマツ
キンボウゲ科
フシグロセンノウ
ナデシコ科
アキノタムラソウ
シソ科
キクタニギク
キク科
花期:㋆中旬~下旬
茎の先に大きな円錐花序をだし、淡黄白色の小さな花を多数つける。
花期:㋆中旬~㋇中旬
茎の先に朱赤色の大きな花を平開する。
花期:㋆下旬~㋇下旬
茎が上部で枝分かれし、先端に青紫色の唇形花を何段かに輪生する。
花期:㋉下旬~㋊下旬
茎の先端に多数の黄色い頭花をつける。
新雑木林の野草
皇居東御苑
皇居東御苑
秋の七草
秋の七草

秋の七草

7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である「万葉集」第8巻に山上憶良(660-733)が秋の野の花を詠んだ「七草(ななくさ)の花」二首(1537番・1538番)があります。一首目は短歌であり、二首目は旋頭歌です。以後この七種の植物がわが国の秋を代表する「秋の七草」として、広く親しまれるようになりました。

尾花(ススキ)
尾花(ススキ)
葛(クズ)]
葛(クズ)
萩(ヤマハギ)
萩(ヤマハギ)
朝顔(キキョウ)
朝顔(キキョウ)
をみなへし(オミナェシ)
をみなへし(オミナェシ)
なでしこ(カワラナデシコ)
なでしこ(カワラナデシコ)
藤袴(フジバカマ)
藤袴(フジバカマ)
秋の七草
山上臣憶良詠 秋野花 歌二首
秋野尓 咲有花乎 指折 可伎数者 七種花
芽之花 乎花葛花 瞿麦野花 姫部志 又藤袴 朝皃之花
 
山上(やまのうへの)(おみ)(おく)()の、(あき)()(はな)()みし歌二首
秋の野に 咲きたる花を (および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
荻の花 尾花(おばな)(くず)(はな) なでしこが花 をみなへし また(ふじ)(はかま) 朝顔(あさがお)が花
新日本古典文学大系2 萬葉集二より

皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図

皇居東御苑のみどころ

大番所松の大廊下跡
富士見櫓石室
富士見多聞展望台
天守台北詰橋門(出入門)
桃華楽堂中之門跡
中雀門跡
本丸
野草の鳥バラ園
果樹古品種園(東・西)桜の島
竹林本丸大芝生
ツバキ園
汐見坂白鳥濠
諏訪の茶屋平川門(出入門)
二の丸同心番所百人番所
二の丸雑木林新雑木林
梅林坂菖蒲田
二の丸庭園都道府県の木
三の丸三ノ丸尚蔵館大手門(出入口)
皇居東御苑のみどころ
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居正門石橋飾電燈
皇居正門石橋飾電燈
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
百人番所
百人番所
下乗門
下乗門
同心番所
同心番所
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館
十月桜
十月桜
十月桜
十月桜
十月桜
十月桜
十月桜
十月桜
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑
大手濠
大手濠
大手門
大手門
桔便濠
桔便濠
大手門 交差点
大手門 交差点
パレスホテル東京前歩道
パレスホテル東京前歩道
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園 御 製
いにしへの
人も守り来し
日の本の
森の栄えを
共に願はむ
金子鴎亭謹書
和田倉門交差点
和田倉門交差点
和田倉門交差点
和田倉門交差点
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
東京駅
大手町
大手町
大手町
大手町
アーバンネット大手町ビル
アーバンネット大手町ビル

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→東京国立近代美術館→千鳥ヶ淵→千鳥ヶ淵公園→半蔵門→桜田門→ 祝田橋→楠公レストハウス→二重橋前→大手門→二の丸雑木林→平川門→内神田一丁目→神田橋→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

9月度JWAのウオーキング教室

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千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)

大隈重信侯 雉子橋邸跡

早稲田大学の創立者、大隈重信(18381922)は、明治新政府に出仕し、大蔵卿等を歴任し、日本国「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎創りに貢献しました。

大隈重信は、1876(明治9)年10月から1884(明治17)年3月まで、雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。

2007(平成19)年10

出典: 早稲田大学

千代田稲門会

千代田区役所前 歩道
千代田区役所前 歩道
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門から日本武道館眺める
清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水門向かう歩道
清水濠
清水濠
清水門
清水門
清水門
清水門
清水門
清水門
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
東京国立近代美術館前
東京国立近代美術館前
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
至 千鳥ヶ淵
至 千鳥ヶ淵
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵公園
半蔵門周辺
半蔵門周辺
半蔵門周辺
半蔵門周辺
桜田門
桜田門

旧江戸城 外桜田門

重要文化財(建造物)指定昭和3667

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田(さくらだ)(ごう)と呼んでいたことに由来します。

 外側の高麗門(こうらいもん)と内側の(わたり)櫓門(やぐらもん)の二重構造からなり、(そと)桝形(ますかた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(320坪)。建築されたのは寛永年間(162444)とされ、現存する門は寛文3年(1663)に再建された門がもとになっています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。

 万延元年(186033日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。

 

 

桜田濠
桜田濠
桜田濠
桜田濠
桜田濠
桜田濠
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
至 楠公レストハウス
至 楠公レストハウス
皇居外苑の見所Ⅰ 楠公レストハウス内
皇居外苑の見所Ⅰ 楠公レストハウス内

皇居外苑の見所1

和田倉噴水公園

昭和36年に、今上天皇陛下のご成婚を記念して造られた大噴水を、皇太子殿下のご成婚を期に平成7年に再整備したものです。

周辺で働く人々の憩いのな場としても、親しまれています。

楠正成公銅像

楠正成公は、今から700年ほど前の南北朝の時代に活躍した忠臣として名高い武将です。

本体の高さが4メートルあるこの銅像は、明治33年に住友家により寄贈されました。

 

皇居外苑の見所Ⅱ 楠公レストハウス内
皇居外苑の見所Ⅱ 楠公レストハウス内

皇居外苑の見所2

二重橋

一般的には、皇居前広場から正門を経て宮殿へいたる濠に架かっている、「正門石橋」と「正門鉄橋」の総称です。厳密には奥のほうの橋を指します。

桜田門

万延元年(1860年)、江戸幕府の大老井伊(なお)(すけ)が暗殺された事件の門で著名な門です。

現在の門は、関東大震災で破損したものを改修しています。

皇居外苑の見所Ⅲ 楠公レストハウス内
皇居外苑の見所Ⅲ 楠公レストハウス内

皇居外苑の見所3

千鳥ヶ淵

上から見た時の姿が千鳥に似ていることから、この名がつけられたといわれています。

岸辺で咲く四季折々の花が、訪れる人を楽しませてくれます。

田安門(国重要文化財)

江戸城の北部・田安台と呼ばれた場所に位置し、現存する門の中では最古のものです。寛永13年(1636年)の再建です。



楠木正成像
楠木正成像
馬場崎門周辺
馬場崎門周辺
馬場崎門周辺
馬場崎門周辺
二重橋前交差点
二重橋前交差点
二重橋前周辺
二重橋前周辺
二重橋前周辺
二重橋前周辺
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
和田倉門前
至 パレスホテル東京
至 パレスホテル東京
大手門交差点
大手門交差点
大手門
大手門
桔稉濠
桔稉濠
大手濠
大手濠
大手門
大手門
大手門
大手門
皇居東御苑
皇居東御苑
百人番所
百人番所
百 人 番 所
百 人 番 所

百 人 番 所

江戸城本丸への道を厳重に守る大手三之門に向き合って設けられた警備詰所です。

甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という。4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成されていました。

下乗門
下乗門
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸休憩所周辺
二の丸休憩所周辺
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林

二の丸雑木林

武蔵野の代表的な風景である雑木林は、下草や落葉は毎年肥料として集められ、木は20年ごとに燃料用に伐採されるなど、人間生活との深い関わりにより形成されていました。二の丸雑木林は、コナラ、クヌギはどの落葉樹の林が保たれ、チゴユリなどの春植物(樹木の葉が開く前の林内が明るいうちに葉を広げ、花を咲かせる植物)をはじめ、多様な生物が生息・生育できる林となっています。

二の丸休憩所周辺
二の丸休憩所周辺
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林
二の丸雑木林

武蔵野の面影を持つ雑木林

この雑木林は、昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影を持つ樹林として、昭和57年から60年にかけて整備されたものです。

樹木や野鳥を始め、鳥や昆虫等も楽しめる、自然の林として大切に育てております。

植物を痛めないように、樹林地内への立入りはご遠慮ねがいます。

鹿児島県 かいこうず
鹿児島県 かいこうず
宮崎県 おびすぎ
宮崎県 おびすぎ
宮崎県 やまざくら
宮崎県 やまざくら
↑都道府県の木・二の丸庭園 ←梅林坂・平川門 →三の丸尚蔵館・大手門
↑都道府県の木・二の丸庭園 ←梅林坂・平川門 →三の丸尚蔵館・大手門
沖縄県 りゅうきゅうまつ
沖縄県 りゅうきゅうまつ
天神濠周辺
天神濠周辺
天神濠周辺
天神濠周辺
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
天神濠周辺
天神濠周辺
平川門
平川門
平川門
平川門
平 川 門
平 川 門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門前交差点
平川門前交差点
大手濠
大手濠
大手濠
大手濠
平川門前交差点
平川門前交差点
平川門前交差点
平川門前交差点
一ツ橋
一ツ橋
内神田一丁目
内神田一丁目

内神田(うちかんだ)一丁目(いっちょうめ)

江戸時代、神田橋のたもとのこの界隈(かいわい)には、荷揚(にあ)げ場がありました、徳川家康は、江戸に入るとすぐに江戸城の築城と町づくりを始め、城を囲む御堀(現・日本橋川)はそのための建築資材などを運ぶ水路として活用されました。古い地図を見ると、神田橋付近に「かしふねあり」と記され、ここが水運の拠点だったことがわかります。

神田橋は江戸城外郭門のひとつで、上野寛永寺(かんえいじ)日光(にっこう)東照宮(とうしょうぐう)への御成道(おなりみち)(将軍の参詣経路)となっていました。このような要所であったため、ここには明治のころまで建造物は何もありませんでした。明治初期の地図には交番と電話があるだけです。

明治5年(1872)、いったん美土代町(みとしろちょう)となりますが、空き地の状態は第二次世界大戦後まで続きました。そして昭和41年(1966)、内神田(うちかんだ)一丁目(いっちょうめ)に編入されました。

昭和58年(1983)、神田橋土木詰所の敷地となっていたこの場所に、内神田住宅が完成すると90世帯が住むようになり、平成5年(1993)、千代田区のもっとも新しい町会として、内神田住宅町会が誕生しましら。さらに平成16年(2004)、町会名は神田橋町会と変わりました。

神田橋周辺
神田橋周辺

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→清水門→気象観測露場→北の丸公園→北桔橋門→皇居東御苑→皇居東御苑二の丸庭園→百人番所→大手門→和田倉噴水公園→行幸通遊歩道→東京中央郵便局→星のや東京→庄内藩酒井家神田橋上屋敷跡→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

6月度JWAのウオーキング教室

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千代田区役所前歩道
千代田区役所前歩道
清水門入口
清水門入口
清水門入口から日本武道館の景観
清水門入口から日本武道館の景観
清水門入口から日本武道館の景観
清水門入口から日本武道館の景観
清水門
清水門
清水門
清水門
旧江戸城清水門
旧江戸城清水門
旧江戸城清水門
旧江戸城清水門

重要文化財

旧江戸城()水門(みずもん)

昭和3667日指定

江戸城は、長禄元年(1457)に太田(すび)(なが)道灌(どうかん))によって創られたとされる。

天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄

元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構(そうかまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。

清水門は、北の丸北東部に位置する枡形門(ますがたもん)であり、正面の高麗門(こうらいもん)と、その右手奥の櫓門(やぐらもん)からなる。

門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具の残る刻銘から万治元年(1658)に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は、時期は不明ながら撤去されていたものを昭和3641年度の修理で復旧整備したものである。清水門は、建立年代の判明する江戸城の遺構として高い価値を有しており、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残している。

 

清水門 櫓門内部

 

 

 

清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
清水門階段
北の丸公園 案内図
北の丸公園 案内図

北の丸公園 案内図

北の丸公園 案内図
北の丸公園 案内図
科学技術館前
科学技術館前
タイサンボク
タイサンボク

タイサンボク モクレン科

〇葉は厚めで光沢があります。

〇初夏に芳香のある大きな白花が咲きます。

〇中国の名山「泰山」と同じ和名です。

 

 

タイサンボク
タイサンボク
←科学技術館・竹橋駅 日本武道館→
←科学技術館・竹橋駅 日本武道館→
メギ
メギ

メ ギ

メギの基本情報

学名:Berberis thunbergii

和名:メギ(目木)

 

科名 / 属名:メギ科 / メギ属

モッコク
モッコク

モッコク

一般名:モッコク(木斛)

学名:Ternstroemia gymnanthera

別名:アカミの木、

分類名:植物界被子植物真正双子葉類ツツジ目モッコク科モッコク属モッコク種、

原産地:日本、中国、東南アジア、

生活型:常緑中高木、樹高:615m、樹皮色:灰褐色、葉形:長楕円形、葉序:互生、

花色:薄黄、花径:2cm。開花期:7月、果実色:赤、用途:庭木、木材、染料、漢方薬

アオギリ
アオギリ

アオギリ

学名: Firmiana simplex

科: アオイ科 Malvaceae

分類階級: 種

亜科: Sterculioideae

種: アオギリ F. simplex

アオギリ
アオギリ
気象観測露場
気象観測露場

北の丸公園露場

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。

このような気象観測を行う場所を露場(ろじょう)と呼びます。

重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。

出典:東京管区気象台

北の丸公園露場
北の丸公園露場

北の丸公園露場

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。

このような気象観測を行う場所を露場(ろじょう)と呼びます。

重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。

出典:東京管区気象台

北の丸公園露場
北の丸公園露場
コムラサキ
コムラサキ

コムラサキ

一般名:コムラサキ(小紫)

学名:Callicarpa dichotoma

別名:コシキブ(小式部) :

分類名:植物界被子植物門双子葉植物綱シソ目クマツヅラ科ムラサキシキブ属

分布:日本、朝鮮半島、中国

樹高:200300cm 開花期:68月 成実期:912月 花色:薄紫 果実色:紫 果実径:0.35cm

ツバキ
ツバキ

ツバキ

ツバキ
ツバキ
ニシキギ
ニシキギ

ニシキギ ニシキギ科

〇紅葉が美しいので、この名前がつきました。

〇枝が密に茂り、コルク質の翼があるのが面白く、庭に植えられます。

 

ニシキギ
ニシキギ
エゴノキ
エゴノキ

エゴノキ エゴノキ科

〇春に白い花を枝いっぱいにぶらさげます。

〇実がのどを刺激する(えぐい)ため、この名がつきました。

〇実は石鹸の代用となります。

エゴノキ
エゴノキ
タイワンホトトギス
タイワンホトトギス

タイワンホトトギス

台湾杜鵑草

Tricyrtis

ユリ科 ホトトギス属

分布

台湾、沖縄本島、西表島

 

〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐6
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐6
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1‐1
マユミ
マユミ

マユミ

学名 Euonymus sieboldianus

別名 カンサイマユミ

真弓 分類 ニシキギ科ニシキギ属 (落葉低木)

昔、丸木弓を作ったことから。        

原産・分布        北海道、本州、四国、九州、朝鮮南部、中国、樺太、南千島

神奈川県   全域に分布するが、やや低地に偏る。

用途 庭木、小箱、玩具、櫛

マユミ
マユミ
マユミ
マユミ

ニシキギ

学名: Euonymus alatus

科: ニシキギ科 Celastraceae

分類階級: 種

上位分類: ニシキギ属

ハマヒサカキ
ハマヒサカキ

ハマヒサカキ

花色:白 葉色:

学名:Eurya emarginata

科名:モッコク科

分類:常緑低木

原産地:日本、東アジア

大きさ:背丈0.31.5m1~6m) 横幅0.31.0m3m) 葉24cm前後(互生)

主な見所:樹形・葉(周年)

ハマヒサカキ
ハマヒサカキ
北の丸公園 多機能トイレ脇 多目的ブース
北の丸公園 多機能トイレ脇 多目的ブース
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園 首都高速都心環状線
皇居東御苑
皇居東御苑

皇 居 東 御 苑

皇 居 東 御 苑
皇 居 東 御 苑
今日の東御苑
今日の東御苑

三の丸尚蔵館

アジサイ(Hydr angea)
アジサイ(Hydr angea)
ノリウツギ(Panicle hydrangea)
ノリウツギ(Panicle hydrangea)
本丸では、天守台や富士見多聞(たもん)の付近、二の丸では、各所で見られます。青紫、赤紫など様々な色で初夏から夏を彩っています。二の丸雑木林付近で見られる落葉高木です。たくさんの花が円錐(えんすい)状に集まって咲いています。花びらのように見えるのは装飾(そうしょく)花(か)です。
カイコウズ(Common Coral-Tree)
カイコウズ(Common Coral-Tree)
タイサンボク(Grand Magnolla)
タイサンボク(Grand Magnolla)
鹿児島県の県木として、二の丸にある都道府県の木のコーナーに植えられています。南国らしい深紅色の蝶形の花が咲いています。アメリカデイコとも呼ばれます。ハクレンボクとも呼ばれます。本丸天守台付近で見られ、甘い香りのする大きな白い花が目立ちます。
富士見多聞(Fujimitamon)
富士見多聞(Fujimitamon)
二の丸雑木林(Ni-no-maru grove)
二の丸雑木林(Ni-no-maru grove)
多聞(たもん)は、防衛と装飾を兼ねた長屋造りの櫓(やぐら)の一種類で、江戸城本丸には15棟がありましたが、今では現存する唯一の遺構です。昭和天皇の御発意で、昭和57年~60年に、武蔵野の雑木林の面影を持つ樹林を整備しました。
今では、昆虫や野鳥のすみかともなっています。
三の丸尚蔵館
北桔橋門
北桔橋門
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
皇居東御苑の北側
〒100-0001 東京都千代田区千代田1‐3
〒100-0001 東京都千代田区千代田1‐3
皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
ヤマハギ
ヤマハギ
百人番所
百人番所
百人番所
百人番所
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
大手門
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉噴水公園
和田倉門
和田倉門
和田倉門交差点
和田倉門交差点
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
星のや東京
星のや東京
星のや東京
星のや東京
庄内藩酒井家神田橋上屋敷跡
庄内藩酒井家神田橋上屋敷跡
ビョウヤナギ
ビョウヤナギ

ビヨウヤナギ

美容(びよう)(やなぎ)。花は黄色で初夏に開花。雄しべが花弁より長くめだちます。

オトギリソウ科

千代田区立スポーツセンター
千代田区立スポーツセンター

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→清水門→気象観測露場→北の丸公園→北の丸公園 レストラン→東京国立近代美術館前→竹橋交差点→帯曲輪門→皇居東御苑 梅林坂→桃華楽堂(皇居東御苑)→大嘗宮→皇居東御苑 本丸跡→江戸城大手門(皇居東御苑)→和田倉噴水公園→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

2月度JWAのウオーキング教室

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千代田区役所前
千代田区役所前
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
清水門から日本武道館を望む
清水門から日本武道館を望む
清水門に向かう
清水門に向かう
清水門
清水門
清水門内の梅花
清水門内の梅花
シナマンサク の 花
シナマンサク の 花

シナマンサク

支那満作

マンサク科マンサク属

分布

日本(中国地方~四国)

シナマンサク の 花

シナマンサク の 花
カンザクラ
カンザクラ

カンザクラ

( 寒 桜 )

花期 二月から三月中旬頃

花      淡紅色

カンザクラ

カンザクラ
カンザクラ
カンザクラ
カンザクラ

カンザクラ
サルスベリ
サルスベリ

サルスベリ

花が美しく、耐病性もあり、必要以上に大きくならないため、しばしば好んで庭や公園などに植えられる。種子から栽培する「あすか」という一才物の矮性種もある。

和名は、幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新していくことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)。つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもある(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。

 

英語名 Crape myrtle は、ギンバイカ(myrtle)の花に似て、花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。

中国では、唐代長安の紫微(宮廷)に多く植えられたため、紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから、百日紅ともいう。江蘇省徐州市、湖北省襄陽市、四川省自貢市、台湾基隆市などで市花とされている。

ソース: サルスベリ – https://ja.wikipedia.org


サクラ
サクラ
これ何の木?
これ何の木?
これ 何の木?
これ 何の木?
これ何の木?
これ何の木?
これ何の木?
これ何の木?
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)

北の丸公園露場

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。

このような気象観測を行う場所を露場(ろじょう)と呼びます。

重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。

出典:東京管区気象台

これ何の木?
これ何の木?
気象庁 北の丸公園
気象庁 北の丸公園
気象観測露場
気象観測露場



東京国立近代美術館前
東京国立近代美術館前
竹橋交差点
竹橋交差点
竹橋交差点
竹橋交差点
〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1‐1‐1
〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1‐1‐1
帯曲輪門
帯曲輪門

帯曲(おびくる)輪門(わもん)不浄門(ふじょうもん)

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

帯曲輪門

帯曲輪門
帯曲輪門

帯曲輪門
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑と天皇皇后両陛下

皇居東御苑と天皇皇后両陛下

皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
ヒレナガニシキゴイ 二の丸池
① ヒレナガニシキゴイ② 二の丸池
天皇陛下のご発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれたものです。平成3年(1991)と平成24年(2012)に、両陛下が御放流になりました。都市化が進むにつれて池や沼が埋められ、かつては普通に見られた水生植物を見る機会が少なくなりました。ここには、ヒツジグサや御所の池から移植したコウホネなど4種類の水生植物が植えられています。
新雑木林 はるかのひまわり
③ 新雑木林④ はるかのひまわり
平成14年(2002)に雑木林を拡張しました。小さな流れを作り、野鳥や昆虫の好む木を植え、御所近くから季節毎に楽しめる様々な野鳥を移植しました。大震災で亡くなったはるかという名前の神戸の小学生の家の跡
に、人々を勇気づけるように咲いたことからそうよばれるようになったひまわりを全国に広げる活動の中で、両陛下にも種が献上され、御所で毎年大切にお育てになっています。そこで採れた種から育てているものです。
竹林 ヨーロッパアカマツ
⑤ 竹林⑥ ヨーロッパアカマツ
「お印」の「若竹」にちなみ、昭和天皇の御所にはいろいろな竹が植えられていました。珍しい竹を多くの人が見られるようにとの天皇陛下のお考えで、平成8年(1996)にそこから13種類の竹を移植しました。平成20年(2008)に国賓として来日されたスペイン国国王王妃両陛下から天皇皇后両陛下に贈られたものです。両陛下がお手植えになりました。
バラ園フローレンス・ナイチンゲール
⑦ バラ園⑧ フローレンス・ナイチンゲール
日本や中国の野生のバラが植えられています。多くは御所近くのお庭から移植したものです。フローレンス・ナイチンゲール国際基金発足75周年を記念して作られたバラが献上され、両陛下が平成21年(2009)にお手植えになりました。
果術古品種園
⑨ 果術古品種園
江戸時代にはよく作られていたものの、品種改良が進んだために、今ではほとんどが顧みられなくなった果樹を集めました。平成20年(2008)から植えられ、両陛下もお手植えになりました。
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
ツバキ
ツバキ
皇居東御苑内
皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑内

皇居東御苑内
皇居東御苑 梅林坂
皇居東御苑 梅林坂
梅 林 坂
梅 林 坂

梅 林 坂

この地に最初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたこたから「梅林坂」の名が付いたといわれています。

現在は約70本の紅白の梅が植えられており。

12月末から2月まで花が楽しめます。

皇居東御苑 梅林坂

皇居東御苑 梅林坂
皇居東御苑内
皇居東御苑内
桃華楽堂(皇居東御苑)
桃華楽堂(皇居東御苑)
桃華楽堂(皇居東御苑)

桃華楽堂(皇居東御苑)
桃(とう)華(か)楽堂(がくどう)(皇居東御苑)
桃(とう)華(か)楽堂(がくどう)(皇居東御苑)

桃 華 楽 堂

香淳皇后の還暦を記念して建てられ、香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名された音楽堂で、昭和41年(1966年)に完成しました。

屋根はデッセンの花紅を(かたど)り、八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれています。

 

皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図

皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
大嘗宮
大嘗宮
大(だい) 嘗(しょう) 宮(きゅう)
大(だい) 嘗(しょう) 宮(きゅう)

(だい) (しょう) (きゅう)

大嘗宮は、大嘗祭を行うために特別に設営されます。

大嘗祭は、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式であり、天皇陛下が御即位の後、大嘗宮において()()地方(ちほう)及び主基(すき)地方(ちほう)の新穀を皇祖及び天神地紙(てんじんちぎ)に供えられ、自らもお召し上がりになり、皇祖及び天神地紙に対し、安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式です。

この大嘗祭の中心的儀式である大嘗宮の儀は、悠紀殿供饌の儀と主基殿供饌の儀から成ります。

平成2年の大嘗祭においては、悠紀地方として秋田県、主基地方として大分県が定められ、皇居東御苑の芝地に、悠紀殿、主基殿(かい)(りゅう)殿(でん)の殿舎を中心に、それに関連する建物や参列者幄舎(とばりしゃ)など大小30余の建物が設営され、1122日の夕方から夜にかけて悠紀殿供饌の儀が、翌23日の曉前に主基殿供饌の儀が行われました。

この模型は、その際の大嘗宮を75分の1に縮小したものです。

 

主要施設概要

()()殿(でん) :悠紀殿供饌の儀が行われた建物です。
主基(すき)殿(でん)
:主基殿供饌の儀が行われた建物です。

(かい)(りゅう)殿(でん) :大嘗宮の儀に先立ち、天皇陛下及び皇后陛下が御潔斎やお召替えをされた建物です。

(ちょう) 殿(でん) :皇后陛下が御拝礼をされた建物です。

小忌幄舎(おみあくしゃ) :天皇陛下に供奉された皇太子殿下及び各親王殿下が着床され、随従の諸員が着床した建物です。

殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ) :皇后陛下に供奉された各親王妃殿下及び内親王殿下が着床され、随従の諸員が着床した建物です。

(かしお) () :悠紀地方、主基殿地方の新穀などをもって、神饌を調理した建物です。

(さい) () :悠紀地方、主基殿地方の新穀及び庭積の机代物を納めた建物です。

(あく) (しゃ) :総理大臣をはじめとする国内の代表、約700名の参列者が着床した建物です。

皇居東御苑 本丸跡
皇居東御苑 本丸跡
皇居東御苑 本丸跡
皇居東御苑 本丸跡
江戸城大手門(皇居東御苑)
江戸城大手門(皇居東御苑)
江戸城大手門(皇居東御苑)

江戸城大手門(皇居東御苑)

江戸城 三ノ丸大手門

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっております。大き方の門は、昭和20年(1945年)4月の空爆で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。

江戸城大手門(皇居東御苑)

江戸城大手門(皇居東御苑)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目1 内堀通り
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目1 内堀通り


あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

千代田区役所(スタート)→千代田区観光協会前→清水門→北の丸公園→憲政記念館→皇居外苑→宮内庁→皇居宮殿長和殿→正門鉄橋(二重橋)→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

JWAのウオーキング教室

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千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
千代田区観光協会前
清水門
清水門
清水門から武道館
清水門から武道館
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園6‐1
北の丸公園石塔
北の丸公園石塔
北の丸公園案内図
北の丸公園案内図

北の丸公園 案内図

北の丸公園 案内図
北の丸公園 案内図
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐6
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐6
吉田茂銅像
吉田茂銅像

吉 田 茂 像

古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉

昭和五十六年九月

舟越保武 作

安岡正篤 文

桑原翠邦 書

 

タイワンホトトギス
タイワンホトトギス

タイワンホトトギス

台湾杜鵑草

Tricyrtis

ユリ科 ホトトギス属

分布

台湾、沖縄本島、西表島


〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1 首都高速都心環状線
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1 首都高速都心環状線
首都高速都心環状線
首都高速都心環状線
首都高速都心環状線
首都高速都心環状線
東京都千代田区 内堀通り
東京都千代田区 内堀通り
〒100-0014 東京都千代田区永田町1丁目10‐1から国会議事堂
〒100-0014 東京都千代田区永田町1丁目10‐1から国会議事堂
〒102-0092 東京都千代田区隼町4 国道246号線
〒102-0092 東京都千代田区隼町4 国道246号線
憲政記念館前
憲政記念館前
憲政記念館 三権分立の時計台
憲政記念館 三権分立の時計台

憲政記念館

憲政(けんせい)記念館(きねんかん)は、東京都千代田区永田町一丁目にある、日本の議会政治に関する展示施設。国会議事堂に隣接する国会前庭内に建つ。館は衆議院事務局の管轄である。

 

時計塔

尾崎記念会館(現・憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、塔前面の噴水池・花壇とともに設計され、19607月に完成した。三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。

塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む」と言うことわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3)よりも高くした31.5mに設定された。時計は時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた物であったが、現在は国産の物に改修されている。

「椰子の実」のなどの作品で知られる作曲家・大中寅二によるチャイムは一日4回、10時・13時・17時・22時に鳴動する。これは、衆議院、参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。

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〒102-0092 東京都千代田区隼町4‐2 最高裁判所
〒102-0092 東京都千代田区隼町4‐2 最高裁判所
国会前交差点
国会前交差点
桜田門
桜田門

旧江戸城 外桜田門

重要文化財(建造物)指定昭和3667

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田(さくらだ)(ごう)と呼んでいたことに由来します。

外側の高麗門(こうらいもん)と内側の(わたり)櫓門(やぐらもん)の二重構造からなり、(そと)桝形(ますかた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(320坪)。建築されたのは寛永年間(162444)とされ、現存する門は寛文3年(1663)に再建された門がもとになっています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。

万延元年(186033日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。

 

 

桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
桜田門
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居外苑
皇居参観坂下門
皇居参観坂下門
皇居参観
皇居参観
富士見櫓
富士見櫓

() () () (やぐら)

「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。

富士見櫓
富士見櫓
富士見櫓
富士見櫓
富士見櫓
富士見櫓
皇居から東京駅方面
皇居から東京駅方面
宮内庁
宮内庁

宮 内 庁

宮内庁は、日本の行政機関のひとつ。皇室関係の国家事務、天皇の国事行為である外国大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務および御璽・国璽の保管等を所管する内閣府の機関である。 なお、宮内庁はかつて「総理府の外局」であったが、現在は内閣府の外局ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされている。

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皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿

皇居宮殿長和殿

長和殿は、日本の皇居宮殿の殿舎のひとつ。 東庭に面する南北163メートルの横長の建物で、レセプション、謁見、参殿者の休所、記者会見場など多目的に利用される。南側は回廊、北側は豊明殿と接続する。一般参賀は東庭で行われ、天皇や皇族は長和殿ベランダに立つ。

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皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
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正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)
正門鉄橋(二重橋)

二 重 橋

二重(にじゅう)(ばし)は、東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられている。

正門には皇宮警察の皇宮護衛官の儀仗隊がおり、通常一般人は二重橋を渡ることはできない。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができる。また、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され渡ることができる。

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皇居宮殿長和殿
皇居宮殿長和殿
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皇居宮殿長和殿
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宮内庁
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皇居参観終了出口
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皇居参観終了出口
皇居参観終了出口
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皇居参観終了出口
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清水門
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東京国立近代美術館
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国立劇場
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憲政記念館
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日本水準原点
日本水準原点

時計塔

この時計塔は、尾崎記念会館(現 憲政記念会館)建設時の一環として、塔前面の噴水池・花壇とともに設計され、昭和35年(19607月完成した。

三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。また、塔の高さは、「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3メートル)より高くした31.5メートルに設定された。

時計は、時計を遵守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られたものであったが、現在は国産のものに改修されている。

チャイムは、10時・13時・17時・22時の4回鳴動する。これは、衆議院、参議院

の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。

日本水準原点

日本水準原点

日本水準原点

日本水準原点は、わが国の土地の標高を測定する基準となる点である。明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。

日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。その標高は、明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、当時24.500メートルと定めた。

その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、平成23年(2011年)311日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。

              平成231021

出典:国土地理院

 

 

日本水準原点

日本水準原点
ハナミズキ
ハナミズキ

ハナミズキ

1912年(明治45年)東京市長 尾崎行雄は日米親善のため桜の苗木をワシントン市へ贈り、その返礼として1915年(大正4年)米国政府から、ハナミズキの原木が東京市に送られた。

尾崎は、わが国議会政治の確立に尽力し、生涯を世界平和と民主主義の発展に捧げ、「憲政の神様」と称えられた。

この尾崎の功績を顕彰するため「尾崎記念会館」(現 憲政記念会館)の建設が決まった際、あらためて米国政府からハナミズキの苗木250本が寄贈され、1960年(昭和35年)尾崎記念会館の施工と同時にこの地に植えられた。

 

〒100-0014 東京都千代田区永田町1丁目1 首都高速都心環状線
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江戸の名水『櫻の井』井伊掃部頭邸跡
江戸の名水『櫻の井』井伊掃部頭邸跡

東京都指定旧跡

江戸の名水「櫻の井」

「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根

藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧

跡)で、清正が掘ったと伝えられている。三連式釣瓶井戸で、縦約一.

八メートル、横約三メートルの石垣を組んだ大井戸で三本の釣瓶を下

ろし、一度に桶三杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊

富な水を提供し、重宝がられた。

江戸名所図会に絵入りで紹介され、歌川広重の「東都名所」

の「外櫻だ弁慶櫻の井」(天保十四年(一八四三)(図)にも描かれて

いる。安政七年(一八六〇)三月三日には大老井伊直弼がこの井戸の

脇から登城途中、暗殺された。

大正七年(一九一八)史跡に定められ、

東京都は昭和四三年(一九六八)道路工事のた

め交差点内から原形のまま十メートル離

れた現在地に移設復元された。

平成十九年(二〇〇七)彦根城築城

四〇〇年祭と東京金亀会設立九十周年に記す

              平成十九年十月

                            東京金亀会

                            (滋賀県立彦根中学校・彦根東高等学校同窓会)

                            東京都教育委員会

 

/国会議事堂(日本水準原点)
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国会前
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日比谷公園
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