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10月度JWAのウオーキング教室

千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
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江戸幕府蔵屋敷の礎石

江戸幕府清水門前のこの場所は、将軍直属家臣の居住地や蔵・馬場、厩といった江戸城付属の施設が置かれました。

平成16年の遺跡発掘調査では、近世初頭に水田地帯を埋め立てて屋敷を築いたことがわかりました。ここに設置した石は、敷地南半に広がる米蔵の礎石の一部で、配置は出土状態を再現しています。

礎石の配列から、二棟の東西に長い建物で、明暦の大火(1657年)で焼失したと考えられます。礎石のうち、大きな石材は柱や壁を支え。

小さな石材は床を支える基礎と考えられます。

 

大隈重信邸跡

近代になるとこの地は、明治政府の厩が置かれましたが、明治9年には二度の総理に就任し、早稲田大学を創設するなど多方面に活躍した大隈重信が邸宅を構えます。

その後、フランス公使館、憲兵練習場、国営竹平住宅を経て現代を迎えます。

千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)


千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
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清水門
清水門
清水門から日本武道館
清水門から日本武道館
清水門
清水門
清水門から千代田会館
清水門から千代田会館
清水門内階段
清水門内階段
清水門内
清水門内
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
清水門内
清水門内
清水門内
清水門内
北の丸公園
北の丸公園
国民公園協会(一財)皇居 外苑ザ・フォレスト北の丸
国民公園協会(一財)皇居 外苑ザ・フォレスト北の丸
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
メゾン北の丸
メゾン北の丸
北桔橋門
北桔橋門
皇居東御苑
皇居東御苑
東京近代美術館前
東京近代美術館前
東京近代美術館前
東京近代美術館前
乾濠
乾濠
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
天守台下
天守台下


江戸城跡
江戸城跡
江戸城跡
江戸城跡
キッコウチク
キッコウチク
ギンメイチク
ギンメイチク
オウゴンチク
オウゴンチク
竹林
竹林
シホウチク
シホウチク
皇居東御苑 石室
皇居東御苑 石室
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞

江戸城 富士見多聞(たもん)

「多聞」は、長屋造りの防御施設です。

江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在は富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。「御休息所前多聞」とも呼ばれています。

皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
午砲台跡
午砲台跡
☝富士見櫓・松の廊下跡 ☜三の丸尚蔵館・大手門
☝富士見櫓・松の廊下跡 ☜三の丸尚蔵館・大手門
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡

松の大廊下跡

江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。

事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。

松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
クスノキ
クスノキ
富士見櫓
富士見櫓

富 士 見 櫓

「櫓」は、城の隅など重要箇所に造られる防御施設の役割をもった建物です。かつて江戸城には多くの櫓がありましたが、現存する櫓は、富士見櫓、伏見櫓、巽櫓の3つとなりました。

皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑二の丸庭園方面
皇居東御苑二の丸庭園方面
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂

汐 見 坂

徳川家康による江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたといわれています。

この坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂上はには、汐見坂門が設けられています。

皇居東御苑二の丸庭園方面
皇居東御苑二の丸庭園方面
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋から大手町を望む
諏訪の茶屋から大手町を望む
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋

諏 訪 の 茶 屋

諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられたものです。

その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。

昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。

二の丸庭園
二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園



☜大手門 ☝平川門
☜大手門 ☝平川門
皇居東御苑二の丸 菖蒲田
皇居東御苑二の丸 菖蒲田

菖 蒲 田

この菖蒲田には、84品種のハナショウブが植えられています。

皇居東御苑造成中の昭和41年(1966)に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。

 

ハナショウブ

ハナショウブは、山野に自生するアヤメ科のノハナショウブをもとに改良された園芸品種です。

品種改良は江戸時代から盛んになり、改良された地域によって、江戸系、肥後系、伊勢系の三系統に大別され、ここには江戸系が植えられています。

 

🔶江戸系

庭園などで群生の美しさを鑑賞するのに向き、風雨に強く、草丈の高いものが多いです。また、平咲きの花が多いのも特徴で多様な花形が見られます。

🔶肥後系

金屏風の前で鑑賞するなど鉢植えに適し、大輪の豪華な花が多いのが特徴です。

🔶伊勢系

鉢植え向きで、花弁が垂れ下がり、優美で繊細な花が多いのが特徴です。

 

アヤメ科の植物は、「いずれあやめかかきつばた」というように区別が難しい

ので、その違いを解説します。

 

アヤメの仲間の見分け方

カキツバタ

ハナショウブ

ノハナショウブ

アヤメ

イチハシ

花期:5月中旬~下旬

外花被片の中央部に白斑があり、基部は帯黄色

花期:5月下旬~6月下旬

外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点

花期:5月下旬~6月下旬

外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点

花期:5月上旬~中旬

外花被片の中央

から基部にかけて黄色の網状の模様

花期:4月下旬~5月中旬

外花被片の上面中央にとさか状の突起

幅が広く、中脈はない

幅は中位で、中脈が太い

幅が細く、太い中脈が目立つ

幅が細く、中脈はあるが目立たない

幅が広く、中脈は目立たない

皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館
同心番所前
同心番所前
同心番所前
同心番所前
皇居東御苑管理事務所
皇居東御苑管理事務所
百人番所
百人番所

百 人 番 所

江戸城本丸への道を厳重に守る大手三之門に向き合って設けられた警備詰所です。

甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という。4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成されていました。

 

 

三の丸尚蔵館・大手門
三の丸尚蔵館・大手門
同心番所
同心番所

同 心 番 所

「番所」とは警備詰所のことで、江戸城にあった番所のうち、百人番所、大番所、同心番所の3つが残っています。ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登録者の監視に当たっていました。屋根瓦には、皇室の菊の御紋のあるものや徳川家の葵の紋があるものが見られます。

同心番所
同心番所
同心番所
同心番所
大手門方面
大手門方面
大手門方面

大手門方面
旧大手門渡櫓の鯱
旧大手門渡櫓の鯱
大手門
大手門

大 手 門

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しまいた。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっています。

大きい方の門は、昭和20年(1945年)4月の空襲で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。

焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に『明暦三丁酉』(1657年)と刻まれています。

この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。

大手門

大手門
大手門

大手門