2月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019
シナマンサク
支那満作
マンサク科マンサク属
分布
日本(中国地方~四国)
カンザクラ
( 寒 桜 )
花期 二月から三月中旬頃
花 淡紅色
吉 田 茂 像
古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉
昭和五十六年九月
舟越保武 作
安岡正篤 文
桑原翠邦 書
コブシ
モクレン科
〇春に良い香りのする白い花を咲かせます。
〇花の咲く時期が農作業開始の暦になっていました。
〇実が「握り拳」に似ています。
サルスベリ
ミソハギ科
〇夏に咲く花は花期が長く、「百日紅」ともいいます。
〇サルも滑りそうなくらい、すべすべした幹で知られます。
ハクモクレン
モクレン科
〇庭や公園に植えられます。
〇春に芳香のある白い花が咲きます。
〇中国名の木蓮が名前の元になりました。
香椿
センダン科 チャンチン属
分布
中国~マレーシア山岳地帯
別名:ハマサク属
マンサク科 マンサク属
原産
日本(関東西部以西~九州)
![]() | |
千鳥ヶ淵緑道 (代官町通り経由) 1230m | |
![]() | |
千鳥ヶ淵緑道 (田安門経由) 420m |
北の丸公園 鳥のごちそう
![]() | ![]() | |
シグミシロハラ アズキナシ | 北の丸公園には鳥の好きな木の実のなる木が沢山植えられています。 鳥たちの食事の様子をそっと観察してみましょう。 | 多くの鳥たちに好まれます ゴンズイ |
![]() | ![]() | ![]() |
ツグミコゲラメジロ マユミ | シグミヒヨドリ クロガネモチ | ツグミヒヨドリメジロ ウメモドキ |
![]() | ![]() | ![]() |
メジロヒヨドリツグミ ガマズミ | コゲラツグミメジロ ハゼノキ | ヤマガラヒヨドリキジバト エゴノキ |
1457年(直禄元年) 江戸城築城
江戸城は、上杉氏の家臣太田道灌(1432~1486)によりはじめて築かれた。のち、徳川氏15代の居城となり、明治初年より皇居となった。
江戸城築城 550年に当たって
左にある「追幕の碑」は、太田道灌公没後450年を記念して建立されましたが、今年は、道灌公が長禄元年(1457年)にこの千代田区の地に「江戸城」を築城してから、丁度550年に当たります。
この記念すべき時に当たり、都市東京と千代田区の今日の繁栄の基礎を築いたとも言える大田道灌公の遺徳を偲んで、顕彰の標とします。
太田道灌(1432~86)は、室町中期の武将で歌人、名は資長、道灌は法名は。扇谷上杉家の重臣。1457年、この千代田の地に江戸城を築く。文武両道に優れ、30数戦して負けず知らずの名将だったが、山内上杉家の策謀により主君に暗殺された。江戸時代から語り継がれた山吹伝説の歌が、悲劇の名将の横顔をいまに伝えている。
千代田区観光協会(協力)
七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとうだに なきぞかなしき
平成19年9月25日
出典:千代田区
皇 居 東 御 苑
皇室のお庭
入園無料
平 川 橋
平川橋は皇居北側の内濠に架かり、東京都千代田区一ツ橋一丁目から皇居東御苑に渡る木橋である。平川は神田川下流部の古い名で、日比谷入江に合流していた。流路はのちに東回りに変更され日本橋川や外濠川となった。平川の跡は大手濠などになっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平 川 門
大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲輪」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。
平 川 門
大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲輪」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。
帯曲輪門 (不浄門)
大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲輪」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。
天神濠 石碑
苑内ご案内
最寄りの交通機関への所要時間
●北詰橋門から
地下鉄東西線竹橋駅まで、400m(徒歩約5分)
地下鉄九段下駅まで、約900m(徒歩約15~20分)
●大手門から
地下鉄千代田線二重橋前駅まで、約700m(徒歩約10分)
JR東京駅まで、約1000m(徒歩約15分)
地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。
皇居外苑、約600m(徒歩約10分)
●平川門
地下鉄東西線竹橋駅まで、約200m(徒歩約5分)
JR東京駅まで、約1600m(徒歩約25分)
地下鉄各線大手町駅は、その手前にあります。
梅 林 坂
この地に最初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたこたから「梅林坂」の名が付いたといわれています。
現在は約70本の紅白の梅が植えられており。
12月末から2月まで花が楽しめます。
江 戸 城 本 丸 御 殿
この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。
江 戸 城 本 丸 御 殿
この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。
天守閣跡 江戸城
江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。
天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44m四方、高さ18mで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mです。
本丸は二の丸と共に宮殿造営の際に整備され、皇居東御苑として一般に公開されています。
出典:皇居参観ガイド
桃華楽堂(皇居東御苑)
昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。
出典:東京とりっぷ
皇居 案内板
松の大廊下跡
江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。
事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。
富 士 見 櫓
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています
反対からの眺め
櫓からの眺め
あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路