千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→ザ・フォレスト 北の丸→代官町→平川門→皇居東御苑→天守閣跡→富士見櫓→大手門→KKRホテル東京→千代田区立スポーツセンター(ゴール)

2月度ちよだ皇居周辺リフレッシュウオーク2019

2月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019

千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
至 清水門(清水濠)
至 清水門(清水濠)
清水濠
清水濠
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水濠から武道館を眺める
清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上の「シナマンサク」

シナマンサク

支那満作

マンサク科マンサク属

分布

日本(中国地方~四国)

清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上の「シナマンサク」
清水門階段上
清水門階段上
清水門階段上
清水門階段上
吉田茂像
吉田茂像
吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂像脇の「カンザクラ」

カンザクラ

( 寒 桜 )

花期 二月から三月中旬頃

花 淡紅色

吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂像脇の「カンザクラ」
吉田茂
吉田茂

吉 田 茂 像

古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉

昭和五十六年九月

舟越保武 作

安岡正篤 文

桑原翠邦 書

吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
吉田茂像周辺
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園
コブシ
コブシ

コブシ

モクレン科

〇春に良い香りのする白い花を咲かせます。

〇花の咲く時期が農作業開始の暦になっていました。

〇実が「握り拳」に似ています。

コブシ
コブシ
サルスベリ
サルスベリ

サルスベリ

ミソハギ科

〇夏に咲く花は花期が長く、「百日紅(ひゃくじこう)」ともいいます。

〇サルも滑りそうなくらい、すべすべした幹で知られます。

サルスベリ
サルスベリ
ハクモクレン
ハクモクレン

ハクモクレン

モクレン科

〇庭や公園に植えられます。

〇春に芳香のある白い花が咲きます。

〇中国名の木蓮が名前の元になりました。

ハクモクレン
ハクモクレン
チャンチン
チャンチン

チャンチン

香椿

センダン科 チャンチン属

分布

中国~マレーシア山岳地帯

チャンチン
チャンチン
マンサク
マンサク

マンサク

別名:ハマサク属

マンサク科 マンサク属

原産

日本(関東西部以西~九州)

北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
千鳥ヶ淵さんぽみち
千鳥ヶ淵さんぽみち

千鳥ヶ淵さんぽみち

 

 

千鳥ヶ淵緑道

(代官町通り経由)

1230m

 

 

千鳥ヶ淵緑道

(田安門経由)

420m

 

北の丸公園から日本武道館
北の丸公園から日本武道館
北の丸公園の鳥のごちそう
北の丸公園の鳥のごちそう

北の丸公園 鳥のごちそう

 

北の丸公園には鳥の好きな木の実のなる木が沢山植えられています。鳥たちの食事の様子をそっと観察してみましょう。

 

シグミシロハラ

アズキナシ

多くの鳥たちに好まれます

ゴンズイ

 

 

 

ツグミコゲラメジロ

マユミ

シグミヒヨドリ

クロガネモチ

ツグミヒヨドリメジロ

ウメモドキ

 

 

 

メジロヒヨドリツグミ

ガマズミ

コゲラツグミメジロ

ハゼノキ

ヤマガラヒヨドリキジバト

エゴノキ

 

至  代官町
至 代官町
毎日新聞社東京本社
毎日新聞社東京本社
竹橋
竹橋
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
至 平川門
江戸城築城 550年に当たって
江戸城築城 550年に当たって

1457年(直禄元年) 江戸城築城

江戸城は、上杉氏の家臣太田道灌(14321486)によりはじめて築かれた。のち、徳川氏15代の居城となり、明治初年より皇居となった。

江戸城築城 550年に当たって

左にある「追幕の碑」は、太田道灌公没後450年を記念して建立されましたが、今年は、道灌公が長禄元年(1457年)にこの千代田区の地に「江戸城」を築城してから、丁度550年に当たります。

この記念すべき時に当たり、都市東京と千代田区の今日の繁栄の基礎を築いたとも言える大田道灌公の遺徳を偲んで、顕彰の(しるし)とします。

太田道灌(143286)は、室町中期の武将で歌人、名は(すけ)(なが)、道灌は法名は。扇谷上杉家の重臣。1457年、この千代田の地に江戸城を築く。文武両道に優れ、30数戦して負けず知らずの名将だったが、山内上杉家の策謀により主君に暗殺された。江戸時代から語り継がれた山吹伝説の歌が、悲劇の名将の横顔をいまに伝えている。

千代田区観光協会(協力)

七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとうだに なきぞかなしき

平成19925

出典:千代田区

江戸城築城 550年に当たって
江戸城築城 550年に当たって
皇居東御苑
皇居東御苑

(こう) (きょ) (ひがし) (ぎょ) (えん)

皇室のお庭

入園無料

平川門
平川門
平川門
平川門

(ひら) (かわ) (はし)

平川橋は皇居北側の内濠に架かり、東京都千代田区一ツ橋一丁目から皇居東御苑に渡る木橋である。平川は神田川下流部の古い名で、日比谷入江に合流していた。流路はのちに東回りに変更され日本橋川や外濠川となった。平川の跡は大手濠などになっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平川門
平川門

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門から毎日新聞社
平川門
平川門
平川門 案内板
平川門 案内板

平 川 門

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

江戸城 帯曲輪門
江戸城 帯曲輪門

帯曲(おびくる)輪門(わもん)不浄門(ふじょうもん)

大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲(おびくる)()」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。

平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
天神濠 石碑
天神濠 石碑

天神濠 石碑


平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前の立派な松
平川門前のトイレ 周辺
平川門前のトイレ 周辺
苑内ご案内
苑内ご案内

苑内ご案内

最寄りの交通機関への所要時間

●北詰橋門から

地下鉄東西線竹橋駅まで、400m(徒歩約5分)

地下鉄九段下駅まで、約900m(徒歩約1520分)

●大手門から

地下鉄千代田線二重橋前駅まで、約700m(徒歩約10分)

JR東京駅まで、約1000m(徒歩約15分)

地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。

皇居外苑、約600m(徒歩約10分)

●平川門

地下鉄東西線竹橋駅まで、約200m(徒歩約5分)

JR東京駅まで、約1600m(徒歩約25分)

地下鉄各線大手町駅は、その手前にあります。

 

 

至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
至 皇居東御苑
梅林坂
梅林坂

梅 林 坂

この地に最初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたこたから「梅林坂」の名が付いたといわれています。

現在は約70本の紅白の梅が植えられており。

12月末から2月まで花が楽しめます。

梅林坂から大手町を望む
梅林坂から大手町を望む
江戸城本丸御殿
江戸城本丸御殿

江 戸 城 本 丸 御 殿

この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、(おもて)中奥(なかおく)大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。

表は、将軍の謁見(えつけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(おだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。

 

江戸城跡
江戸城跡

江 戸 城 本 丸 御 殿

この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、(おもて)中奥(なかおく)大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。

表は、将軍の謁見(えつけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(おだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。

 

天守閣跡
天守閣跡

天守閣跡 江戸城

江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。

天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44m四方、高さ18mで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。

しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mです。

本丸は二の丸と共に宮殿造営の際に整備され、皇居東御苑として一般に公開されています。

出典:皇居参観ガイド

天守閣跡から大手町を望む
天守閣跡から大手町を望む

(とう)()楽堂(がくどう)(皇居東御苑)

 

昭和412月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。

 

出典:東京とりっぷ

 

天守閣跡から大手町を望む
天守閣跡から大手町を望む
皇居 案内板
皇居 案内板

皇居 案内板


石室
石室
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
江戸城跡 柑橘類
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡の植物
松の大廊下跡
松の大廊下跡

松の大廊下跡

江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。

事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。

 

富士見櫓
富士見櫓

() () () (やぐら)

「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています

 

反対からの眺め

 

櫓からの眺め

富士見櫓 案内板
富士見櫓 案内板
皇宮警察本部坂下護衛署三の丸尚蔵館前警備派出所周辺
皇宮警察本部坂下護衛署三の丸尚蔵館前警備派出所周辺
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡から大手町を望む
江戸城 大手門跡から大手町を望む
江戸城 大手門跡
江戸城 大手門跡
〒100-0001 東京都千代田区千代田1 内堀通り
〒100-0001 東京都千代田区千代田1 内堀通り
KKRホテル東京 周辺
KKRホテル東京 周辺

千代田区役所(スタート)→清水門→北の丸公園→国民公園協会(一財)皇居 外苑ザ・フォレスト北の丸→北桔橋門→江戸城跡→皇居東御苑 富士見多聞→松の廊下跡→富士見櫓→諏訪の茶屋→二の丸庭園→二の丸庭園→同心番所前→百人番所→大手門→千代田区スポースセンター(ゴール)

10月度JWAのウオーキング教室

千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)

江戸幕府蔵屋敷の礎石

江戸幕府清水門前のこの場所は、将軍直属家臣の居住地や蔵・馬場、厩といった江戸城付属の施設が置かれました。

平成16年の遺跡発掘調査では、近世初頭に水田地帯を埋め立てて屋敷を築いたことがわかりました。ここに設置した石は、敷地南半に広がる米蔵の礎石の一部で、配置は出土状態を再現しています。

礎石の配列から、二棟の東西に長い建物で、明暦の大火(1657年)で焼失したと考えられます。礎石のうち、大きな石材は柱や壁を支え。

小さな石材は床を支える基礎と考えられます。

 

大隈重信邸跡

近代になるとこの地は、明治政府の厩が置かれましたが、明治9年には二度の総理に就任し、早稲田大学を創設するなど多方面に活躍した大隈重信が邸宅を構えます。

その後、フランス公使館、憲兵練習場、国営竹平住宅を経て現代を迎えます。

千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)


千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
千代田区役所(スタート)
清水門
清水門
清水門から日本武道館
清水門から日本武道館
清水門
清水門
清水門から千代田会館
清水門から千代田会館
清水門内階段
清水門内階段
清水門内
清水門内
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
只今の気象 東京(北の丸公園)
清水門内
清水門内
清水門内
清水門内
北の丸公園
北の丸公園
国民公園協会(一財)皇居 外苑ザ・フォレスト北の丸
国民公園協会(一財)皇居 外苑ザ・フォレスト北の丸
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
北の丸公園
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
ムクロジ(羽根つきの羽根の黒い玉)
メゾン北の丸
メゾン北の丸
北桔橋門
北桔橋門
皇居東御苑
皇居東御苑
東京近代美術館前
東京近代美術館前
東京近代美術館前
東京近代美術館前
乾濠
乾濠
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
天守台下
天守台下


江戸城跡
江戸城跡
江戸城跡
江戸城跡
キッコウチク
キッコウチク
ギンメイチク
ギンメイチク
オウゴンチク
オウゴンチク
竹林
竹林
シホウチク
シホウチク
皇居東御苑 石室
皇居東御苑 石室
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞

江戸城 富士見多聞(たもん)

「多聞」は、長屋造りの防御施設です。

江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在は富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。「御休息所前多聞」とも呼ばれています。

皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
皇居東御苑 富士見多聞
午砲台跡
午砲台跡
☝富士見櫓・松の廊下跡 ☜三の丸尚蔵館・大手門
☝富士見櫓・松の廊下跡 ☜三の丸尚蔵館・大手門
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡

松の大廊下跡

江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。

事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。

松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
松の廊下跡
クスノキ
クスノキ
富士見櫓
富士見櫓

富 士 見 櫓

「櫓」は、城の隅など重要箇所に造られる防御施設の役割をもった建物です。かつて江戸城には多くの櫓がありましたが、現存する櫓は、富士見櫓、伏見櫓、巽櫓の3つとなりました。

皇居東御苑
皇居東御苑
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑二の丸庭園方面
皇居東御苑二の丸庭園方面
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂
汐見坂

汐 見 坂

徳川家康による江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたといわれています。

この坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂上はには、汐見坂門が設けられています。

皇居東御苑二の丸庭園方面
皇居東御苑二の丸庭園方面
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋から大手町を望む
諏訪の茶屋から大手町を望む
諏訪の茶屋
諏訪の茶屋

諏 訪 の 茶 屋

諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられたものです。

その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。

昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。

二の丸庭園
二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
皇居東御苑二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園
二の丸庭園



☜大手門 ☝平川門
☜大手門 ☝平川門
皇居東御苑二の丸 菖蒲田
皇居東御苑二の丸 菖蒲田

菖 蒲 田

この菖蒲田には、84品種のハナショウブが植えられています。皇居東御苑造成中の昭和41年(1966)に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。

花の見頃:6月上旬~中旬

アヤメの仲間の生育場所の違い

 

ハナショウブ

ハナショウブは、山野に自生するアヤメ科のノハナショウブをもとに改良された園芸品種です。

品種改良は江戸時代から盛んになり、改良された地域によって、江戸系、肥後系、伊勢系の三系統に大別され、ここには江戸系が植えられています。

🔶江戸系
 庭園などで群生の美しさを鑑賞するのに向き、風雨に強く、草丈の高いものが多いです。また、平咲きの花が多いのも特徴で多様な花形が見られます。
🔶肥後系
 金屏風の前で鑑賞するなど鉢植えに適し、大輪の豪華な花が多いのが特徴です。
🔶伊勢系
 鉢植え向きで、花弁が垂れ下がり、優美で繊細な花が多いのが特徴です。
ハナショウブ

アヤメ科の植物は、「いずれあやめかかきつばた」というように区別が難しい

ので、その違いを解説します。

 

アヤメの仲間の見分け方

カキツバタハナショウブノハナショウブアヤメイチハシ
undefined花期:5月中旬~下旬
外花被片の中央部に白斑があり、基部は帯黄色
undefined花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
undefined花期:5月下旬~6月下旬
外花被片の中央部に淡黄色の細い斑点
undefined花期:5月上旬~中旬
外花被片の中央
から基部にかけて黄色の網状の模様
undefined花期:4月下旬~5月中旬
外花被片の上面中央にとさか状の突起
undefined幅が広く、中脈はないundefined幅は中位で、中脈が太いundefined幅が細く、太い中脈が目立つundefined幅が細く、中脈はあるが目立たないundefined幅が広く、中脈は目立たない
アヤメの仲間の見分け方
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
皇居正門石橋旧飾電燈
三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館
同心番所前
同心番所前
同心番所前
同心番所前
皇居東御苑管理事務所
皇居東御苑管理事務所
百人番所
百人番所

百 人 番 所

江戸城本丸への道を厳重に守る大手三之門に向き合って設けられた警備詰所です。

甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という。4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成されていました。

 

 

三の丸尚蔵館・大手門
三の丸尚蔵館・大手門
同心番所
同心番所

同 心 番 所

「番所」とは警備詰所のことで、江戸城にあった番所のうち、百人番所、大番所、同心番所の3つが残っています。ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登録者の監視に当たっていました。屋根瓦には、皇室の菊の御紋のあるものや徳川家の葵の紋があるものが見られます。

同心番所
同心番所
同心番所
同心番所
大手門方面
大手門方面
大手門方面

大手門方面
旧大手門渡櫓の鯱
旧大手門渡櫓の鯱
大手門
大手門

大 手 門

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しまいた。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっています。

大きい方の門は、昭和20年(1945年)4月の空襲で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。

焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に『明暦三丁酉』(1657年)と刻まれています。

この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。

大手門

大手門
大手門

大手門

行幸通 JR東京駅 丸の内中央口 3分(スタート)→和田倉噴水公園→和田倉→富士見櫓→皇居外苑→二重橋→桜田門→旧江戸城 外桜田門→警視庁→内堀通り→国会前庭→井伊掃部頭邸跡(前 加藤清正邸)→国会議事堂→首相官邸→三宅坂小公園→国立劇場→千鳥ヶ淵→戦没者墓苑→武道館→北の丸公園→靖国神社→皇居東御苑→皇居東御苑 石室→皇居東御苑 富士見多聞→皇居東御苑 富士見櫓→大手門→和田倉噴水公園(ゴール)

かもめウオ-ク

『陽春の皇居周辺散策』 10km

行幸通 JR東京駅 丸の内中央口 3分
行幸通 JR東京駅 丸の内中央口 3分
行幸通 JR東京駅 丸の内中央口 3分
和田倉噴水公園
和田倉
富士見櫓
皇居外苑
皇居外苑
二重橋
桜田門
旧江戸城 外桜田門

旧江戸城 外桜田門

重要文化財(建造物)指定昭和3667

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷(さくらだごう)と呼んでいたことに由来します。

外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造からなり、外桝形(そとますがた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。建築されたのは寛永年間(一六二四~四四)とされ、現存する門は寛文三年(一六六三)に再建された門がもとになっています。大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました。

万延元年(一八六〇)三月三日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。

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皇居東御苑
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皇居東御苑 石室

石室(皇居東御苑)

この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが。火事などの非常の際に、大奥用の稠度などの避難場所と考えられています。

 

皇居東御苑 富士見多聞

江戸城 富士見多聞(たもん)

「多聞」は、長屋造りの防御施設です。

江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在は富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。「御休息所前多聞」とも呼ばれています。

   

皇居東御苑 富士見櫓
大手門
大手門

江戸城 三ノ丸大手門

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっております。大き方の門は、昭和20年(1945年)4月の空爆で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。