池袋西口公園(スタート)→東池袋中央公園→日出町公園(トイレ)→護国寺→窪町東公園(トイレ)→播磨坂→伝通院→常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)→礫川公園(昼飯・トイレ)→臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院→湯島天神→不忍池弁天堂→JR上野駅前(ゴール)

第488回東松山歩こう会例会
観梅ウオーク(湯島天神方面)
平成30年3月4日(日) 12㎞


池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目28‐6 大和産業ビル
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目28‐6 大和産業ビル
〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目15‐8 スチーム会館フジプラザ
〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目15‐8 スチーム会館フジプラザ
中池袋公園前
中池袋公園前
乙女ロード交差点
乙女ロード交差点
東池袋中央公園前
東池袋中央公園前
東池袋中央公園
東池袋中央公園
東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って

東池袋中央公園 永久平和を願って

第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。

戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。

昭和五十五年六月


日出町公園
日出町公園
〒170-0013 東京都豊島区東池袋4丁目22‐1
〒170-0013 東京都豊島区東池袋4丁目22‐1
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺

護国寺
護国寺

護国寺
護国寺

護国寺
音羽講中 庚申塔一基 - 護国寺
音羽講中 庚申塔一基 – 護国寺

音羽講中(おとわこうちゅう) 庚申塔(こうしんとう) 一基

大塚5-40-1 区指定有形民俗文化財

この庚申塔は、全国にもその例を見ない形式で、当時の民俗や習俗を知る貴重な資料である。

塔は規模も大きく(総高210㎝)基壇部分、台座、塔部から形作られている。

塔部は台座上の三猿によって空中で支えられ、天明5年(1785)の銘がある。

台座は(しゅ)弥壇(みだん)形式(仏像をのせる台)で、その四面に肉彫り装飾、(かえり)(ばな)紋様が施され、その彫りは精巧かつ華麗である。其壇部分には、門前の音羽通りの人々76人の名が刻まれている。

当時お互いに力を合わせ、金銭を出し合う共同社会の成立や信仰心の深さなどを知る上で、貴重な資料である。

庚申信仰は、庚申(かのえさる)の夜(60日毎)講の当番の家で、般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱え、なごやかなに夜を過ごす

風習があった。

寝る戸体内の三尸(さんし)の虫が抜け出て、天帝にその人の罪を告げ、早死にさせるといわれていた。

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育員会

平成11年㋂

音羽講中 庚申塔一基 - 護国寺
音羽講中 庚申塔一基 – 護国寺
護国寺
護国寺





護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺

大本山護国寺の縁起

真言宗 豊山派 大本山 護国寺當寺の創建は天和元(1681)年27日、五代将軍徳川綱吉公の生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし、幕府所属の高田薬園の地を賜り堂宇を建立し桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像(秘仏)を本尊として、号を神齢山悉地院護国寺と称し寺領三百石を賜ったことに始まる。

現在の観音堂(本堂)国指定重要文化財は元禄十(1697)年正月、観音堂建立の幕命があり、約半年余の工事日数でこの大造営が完成し、同年84日落慶式が挙行された。

後に六臂如意輪観世音菩薩(現本尊秘仏)が安置される。

元禄時代の建築技術の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一と称賛される。

もろもろの くのうをすくう

観世音 大悲の恵み

尊うとかりける

月光殿 国指定重要文化財は近江(大津市)の三井寺の塔頭日光院の客殿を移築した桃山時代の建築で書院様式を伝えるものとして貴重な建造物である。平成25511日、月光殿文化財保存修理工事が完了する。

護国寺の茶席 境内には月窓軒、化粧庵、艸電、不味軒、円成庵、宗澄庵等々の八席それぞれ数寄を凝らした茶席がありその基を築かれたのは明治から昭和初期にかけて再興に寄与された高橋箒庵翁の尽力の賜物である。

音羽幼稚園
音羽幼稚園
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目16‐3 ザ・パークハウス茗荷谷富士見坂
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目16‐3 ザ・パークハウス茗荷谷富士見坂
大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
筑波大学
筑波大学
〒112-0002 東京都文京区小石川5丁目20‐7
〒112-0002 東京都文京区小石川5丁目20‐7
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目4 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目4 春日通り
112-0002 東京都文京区小石川2丁目14‐5
112-0002 東京都文京区小石川2丁目14‐5
伝通院
伝通院
伝通院

伝通院
伝通院

伝通院
伝通院

伝通院

傅通院の墓所

当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了譽聖冏上人が開山されました。当時は小石川極楽水(小石川四丁目)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。

それから約2百年後の慶長7年(1602829日、徳川家康公の生母於大の方が75歳、伏見城で逝去。

その法名を「傅通院殿」と号し、この寿経寺を菩薩寺としたことから「傅通院」と呼ばれるようになり、以来千姫(天樹院殿―二代将軍徳川秀忠公・於江の方の長女)や孝子の方(三代将軍徳川家光公の正室)、於奈津の方、初姫など多くの徳川家の子女達が埋葬されるようになりました。

当山には開創6百年におよぶ長い歴史の側面を物語る著名な方々のお墓が現存しております。

 

史蹟めぐり、ご見学者の

皆様へのお願い

お参りになされる方は、

必ず観音堂にお立ち寄り頂き、お声かけ下さい。

観音堂にて、お線香、おしきび等をお買い求めください。

1.まずは本堂にご参拝下さい。

2.「参拝のしおり」は観音堂にご用意しています。

3.徳川家ゆかりの方々のほか歴代墓のお墓にもお参りしましょう。

4.境内での飲食は慎んで下さい。飲食は観音堂総合案内所内でお願いしております。

お帰りの際は観音堂までお声をお掛けください。

無量山 傅通院
伝通院

伝通院

於大の墓 (区指定史跡)

享禄元年~慶長7年(15281602)、徳川家康の生母。三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘。

天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚、翌年に家康を生む。

後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とするわが子家康を慰め、音信を断たなかったという。

法名、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼にちなみ、この寺の通り名を「伝通院」とした。

東京都文京区教育委員会 昭和623

伝通院

伝通院
千姫の墓 伝通院
千姫の墓 伝通院

千姫の墓 (区指定史跡)

慶長2年~寛文6年(15971666)。

二代将軍秀忠の娘。

慶長8年(1603)幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大阪城にはいる。

元和元年(1615)城を出て翌年桑名城主・本多忠政の子、忠刻と再婚するも死別とともに天樹院と号して江戸に帰り竹橋に住む。

東京都文京区教育委員会 昭和623

千姫の墓 伝通院
千姫の墓 伝通院
伝通院
伝通院
善光寺坂のムクノキ
善光寺坂のムクノキ
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

木造 閻魔(えんま)(おう)坐像(ざぞう) 一軀

源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。

右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が身心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして“こんにゃく”をお供えつづけたという言い伝えがある。

このことから、眼病治癒の『こんにゃく閻魔』として庶民に信仰を集めた。

像は、高さ100.4㎝。

ヒノキ材の寄木造(よせぎづく)りで、彩色を施し、王眼が嵌入(かんにゅう)

してある。

優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると、寛文12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。

この像は、彫刻美術品として優れているとともに、本区所の仏像のなかで、古い製作年代に属するものとして貴重な文化財である。

閻魔王は、冥界(めいかい)にあった死者の生前の罪業(ざいごう)を裁断する十王のうち、最も良く知られている。我が国の閻魔信仰は、平安時代後期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった。

常光山 源覚寺 小石川22314

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育委員会 平成5年㋂

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘

汎太平洋の鐘

1960年 元禄 三年 粉河丹後守の鋳造により当山に奉納された。

1937年 昭和 十二年 サイパン島南洋寺に転出 南太平洋にひびきわたる。

1944年 昭和 十九年 サイパン島軍民玉砕して 以後消息不明となる。

1965年 昭和 四十年 米国テキサス州オデッサ市において発見される。発見者 ミツエ・ヘスター

1974年 昭和四十九年 カリフォルニア州オークランド市居住 D.V.クレヤー氏によって、サンフランシスコさくら祭りに展示され、その後当山に寄贈される。

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
こんにゃくえんま前
こんにゃくえんま前
カフェ・ド・クリエ文京シビックセンター
カフェ・ド・クリエ文京シビックセンター


礫川公園(昼飯・トイレ)
礫川公園(昼飯・トイレ)
礫川公園(昼飯・トイレ)

礫川公園(昼飯・トイレ)


礫川公園(昼飯・トイレ)
礫川公園(昼飯・トイレ)
〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目 春日通り
〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目 春日通り
湯島天神入口
湯島天神入口
湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮

湯 島 天 満 宮

文京区湯島3301

社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された。

平成5年(1993)お木曳(きび)(造営の開始)の神事が行われ、遷座(せんざ)(さい)(完成)まで27か月を要した。

祭神は菅原道真(すがわらみちざね)である。伝承(でんしょう)によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢(れいむ)によって老松の下に(かん)

(じょう)したといわれている。

その後、太田道灌が社殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。

かって、湯島天満宮は“湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。

・銅製表鳥居(都市指定文化財)寛文7年(16679月創建され、同11年(1671)修理した銘がある。

下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。

奇縁(きえん)氷人(ひょうじん)(せき) 嘉永3年(185010月江戸で初めて建てられたもので、右側面「たづぬるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育委員会 平成9年㋂

 

湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木

(ひさ) (かた)

もと小石川村の内で、元和年間(1615 24)以後町屋を開いた。

明治2年、橋戸町、久保町、門前町(宗慶寺・善仁寺)や松平播磨守屋敷跡などを合併した。

町名は、町の永久の発展を願って久堅町とした。

 

文京区

播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木

播磨(はりま)坂のさくら並木

この通りは、戦災復興事業における付近一帯の土地区画整理によって、都市計画道路環状三号線の一部として造られました。

江戸時代、この辺たりは松平播磨守の上屋敷でした。また、千川(小石川)が流れる低地一帯には「播磨(はりま)田んぼ」が広がっていたことから、新しくできたこの坂を「播磨(はりま)坂」と呼ぶようになりました。

立派なさくら並木(現在127本)は、昭和35年に「全区を花でうずめる運動」で植えられた若木(樹齢15年)が育つたものです。昭和47年からは、毎年4月初めに「文京さくらまつり」が行われ、多くの人々に親しまれています。

平成7年(1995)㋂には、全体が「水と緑と彫刻のある散歩道」として整備され、年間を通じて楽しめる新しい名所となりました。

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院

春日局の墓所

幼名は福。

父は明智光秀の重臣齋藤内蔵助利三、母は刑部少輔智道明の(むすめ)で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、正勝、正定、正利の三子をもうけましたが、慶長九年(1604)三代将軍家光公の乳母として召出され3千石を賜りました。

家光公が将軍職に就くために献身的な活躍をし、大奥の制度の確立に尽力致しました。

寛永五年家光公二十五歳の折、疱瘡(ほうそう)にかかられ、諸医の手当にも(しるし)がなかった時、局は(さい)(かい)沐浴(もくよく)して東照宮大権現の神前に詣で、「将軍の病が平癒(へいゆ)したら今後私が病気になっても絶対に薬を服用しません」と(いの)りました。その忠誠心に感応してか、日ならずして家光公の病気が恢復(かいふく)しました。

そのため局は身の終わるまで針灸(しんきゅう)薬餌(やくじ)を一切用いませんでした。

 

寛永六年京都へ上り御所に参内(さんだい)し、春日局の号を賜り、後水尾天皇より天盃を頂戴しました。

同九年再び台命に依り上洛し、明正天皇より従二位を(じょ)せられました。

寛永20年(164391465歳で(そつ)し、当院墓地に葬られました。

出典:文京区

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所

春日局の墓・哲学館跡

(かす) () (つぼね)(はか)

春日局((てん)(しょう)7年~寛永(かんえい)20年・15791643)は、三代将軍徳川家光の乳母(うば)で名はお(ふく)

稲葉正成との間に三児をもうけるが、離婚して江戸城大奥に入る。

慶長(けいちょう)9年(1604)家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり、生涯家光に仕えた。そして、それが契機となり大奥の制度が確立された。

この(うん)祥院(しょういん)は、寛永元年(1624)春日局隠棲所(いんせいじょ)として創建され、「報恩山 (てん)澤寺(たくじ)」と称した。

局の死後、寺はそのまま菩提寺(ぼだいじ)とし法明にちなみ「天澤寺 麟祥院」となる。

墓地奥にある局の墓は無縫塔(むほうとう)で四方に穴が貫通した特異な形をしている。

 

(てつ) (がく) (かん) (あと)

明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の全身である「哲学館」が創立された。

創立者井上(えん)(りょう)は、安政(あんせい)5年(1858越後(えちご)国(新潟県)の寺に生まれる。

明治18年(1885)東京大学文学部哲学科卒業。

2年後の明治20年(1887916日、哲学と宗教の啓発(けいはつ)のため、私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて開校する。

哲学館では、授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を毎月3回発行し哲学の普及につとめた。

円了は大正8年(1919)大連で逝去。享年61

出典:東京都文京区教育委員会

 

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所

春日局の墓・哲学館跡

(かす) () (つぼね)(はか)

春日局((てん)(しょう)7年~寛永(かんえい)20年・15791643)は、三代将軍徳川家光の乳母(うば)で名はお(ふく)

稲葉正成との間に三児をもうけるが、離婚して江戸城大奥に入る。

慶長(けいちょう)9年(1604)家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり、生涯家光に仕えた。そして、それが契機となり大奥の制度が確立された。

この(うん)祥院(しょういん)は、寛永元年(1624)春日局隠棲所(いんせいじょ)として創建され、「報恩山 (てん)澤寺(たくじ)」と称した。

局の死後、寺はそのまま菩提寺(ぼだいじ)とし法明にちなみ「天澤寺 麟祥院」となる。

墓地奥にある局の墓は無縫塔(むほうとう)で四方に穴が貫通した特異な形をしている。

 

(てつ) (がく) (かん) (あと)

明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の全身である「哲学館」が創立された。

創立者井上(えん)(りょう)は、安政(あんせい)5年(1858越後(えちご)国(新潟県)の寺に生まれる。

明治18年(1885)東京大学文学部哲学科卒業。

2年後の明治20年(1887916日、哲学と宗教の啓発(けいはつ)のため、私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて開校する。

哲学館では、授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を毎月3回発行し哲学の普及につとめた。

円了は大正8年(1919)大連で逝去。享年61

出典:東京都文京区教育委員会

 

不忍池弁天堂
不忍池弁天堂
不忍池弁天堂

不忍池弁天堂
不忍池弁天堂

不忍池弁天堂
不忍池弁天堂

不忍池弁天堂
不忍池弁天堂

不忍池弁天堂
不忍池弁天堂

不忍池弁天堂
上野恩賜公園
上野恩賜公園
上野恩賜公園
上野恩賜公園
上野恩賜公園

上野恩賜公園
上野恩賜公園

上野恩賜公園
〒110-0007 東京都台東区上野公園1‐29
〒110-0007 東京都台東区上野公園1‐29
上野公園口前
上野公園口前

目白駅(スタート)→金乗院→肥後細川庭園→椿山荘→鳥尾坂→護国寺→不忍通り→教育の森公園→播磨坂→茗荷谷駅(ゴール)

「寺院・庭園ウオーク、金乗院から教育の森公園へ」約8㎞

目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
目白駅
〒171-0033 東京都豊島区高田1丁目1‐27 内山法律事務所
〒171-0033 東京都豊島区高田1丁目1‐27 内山法律事務所
〒171-0031 東京都豊島区目白1丁目5 目白通り
〒171-0031 東京都豊島区目白1丁目5 目白通り
〒171-0032 東京都豊島区雑司が谷2丁目5‐2 光ビルワコーズ目白
〒171-0032 東京都豊島区雑司が谷2丁目5‐2 光ビルワコーズ目白
〒171-0033 東京都豊島区高田 目白通り
〒171-0033 東京都豊島区高田 目白通り
金乗院
金乗院
金乗院
金乗院
金乗院
金乗院

金乗院案内

山 号   神霊山 慈眼寺 金乗院(目白不動)

本 尊   正観世音菩薩 目白不動明王

開 基   永順和尚

      文禄三年(一五九四年)寂

宗 派   真言宗豊山派

総本山    長谷寺 奈良県桜井市初瀬

祖 師    宗 祖 弘法大師(空海)
                   中興祖 興教大師(覚鑁)
                   派 祖 専誉僧正

開 宗       真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって、中国からもたらされ、わが国で開宗されました。

教 え     教えの中心はマンダラ思想です。世の中にはいろいろな宗教や思想がありますが、よく観察してみると一番底に共通の原点があります。この原点が大日如来という仏さまです。
一切の諸尊はそれがお薬師さま、観音さま、お地蔵さま、お不動さまであれ、すべて大日如来の身を変えたお姿(応化身)なのです。
したがって、もとめるところは広い視野で物を見ながら深く考えて、敬虔に力強、人生を生き切り、平和な社会を作ることです。

金乗院
金乗院
金乗院
金乗院
神田川
神田川
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園

文京区立 肥後細川庭園(目白台一丁目一番地)

幕末、ここは肥後熊本藩細川家の下屋敷、抱屋敷であり、明治一五年(一八八二)からは細川家の本邸となった。

その後、都立公園として開園し、昭和五十年(一九七五)、文京区に移管され、平成二十九年(二〇一七)に、文京区立肥後細川庭園と名称を改めた。正門の柱に掲げる園名板は、永青文庫理事長 細川護熙氏の揮毫である。

平成二十九年三月

出典:文京区

肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園

大名の下屋敷から細川家へ

この地は、江戸中期以来旗本の邸宅となりました。

江戸末期には、徳川三卿のひとつ清水家の下屋敷となり、のち一橋家の下屋敷に転じ、幕末に、肥後熊本54万石の藩主細川越中守の下屋敷、抱屋敷となりました。

 

公園の開設

第二次世界大戦後、数度にわたって所有者が変わり、その後、昭和36年(19619月、都立公園として開園した後に、昭和50年(19754月、文京区に移管されて現在に至っています。

松聲閣から庭園を見た景色は、目の前に広がる池、左手の斜面地の林、灯籠のようすなど明治期から変わらぬ風情を留めています。細川家に伝わる絵(下記)を見比べると、この庭園の持つ歴史を味わうことができます。右地図のの位置でご覧ください。

 

庭園の特色

●地形の変化を巧みに利用して、台地を山として立体的眺望があります。

●池泉回遊式庭園で、遊歩道の一部は踏みわけ道のようになっています。

●やり水形式(平安貴族の寝殿造りの細流)で台地の湧き水を池に取り入れています。

 

庭園の四季

春は紅白の梅の競演に始まり、山肌の一部が桜により色づいた後、新録がまぶしい季節を迎えます。
初夏には肥後花菖蒲などの花を迎え、秋にはハゼやモミジの紅葉が庭園に彩りを添え、冬の風物詩・松の雪吊り・・・と四季折々の風情をたのしむことができます。季節ごとに表情を変える美しい庭園を是非ご覧ください。

ウメ、サクラ、ヒゴツバキ、ヒゴシャクヤク

ヒゴハナショウブ、ボダイジュ

ヒゴサザンカ、モミジ、ハゼ

雪吊り

 

門外不出の肥後六花

江戸時代から品種改良を重ねてきた熊本独特の花、「肥後六花」のうち、肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後山茶花を庭園でみることができます。


 

肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
肥後細川庭園
椿山荘
椿山荘
椿山荘
椿山荘
カトリック関口教会
カトリック関口教会
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺前交差点
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
護国寺
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目9 不忍通り
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目9 不忍通り
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目9 不忍通り
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目9 不忍通り
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目9 不忍通り
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目9 不忍通り
〒112-0012 東京都文京区大塚3丁目29‐2
〒112-0012 東京都文京区大塚3丁目29‐2
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目14 不忍通り
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目14 不忍通り
石川啄木終焉の地
石川啄木終焉の地
石川啄木終焉の地
石川啄木終焉の地
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目18‐9
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目18‐9
筑波大学 東京キャンパス前
筑波大学 東京キャンパス前