日比谷公園健康運動広場(スタート)→江戸城外堀跡→金刀比羅神社→虎ノ門ヒルズ→南桜公園→東新橋一丁目→旧新橋停車場→日比谷神社→汐留西公園(イタリア街)→イタリア公園下→旧芝離宮恩賜庭園(入園・昼食)→竹芝桟橋→築地市場橋公園(ゴール)

第23回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
NPO・東京都ウオーキング協会

広告
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1 内堀通り
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1 内堀通り
祝田橋交差点
祝田橋交差点
広告
祝田橋 日比谷公園入口
祝田橋 日比谷公園入口
日比谷公園 水飲み
日比谷公園 水飲み

日比谷公園 水飲み

この水飲みは、日比谷公園開設当時(昭和36年)のものです。

(ちゅう)鉄製(てつせい)で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。

また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。

広告
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇

ルーパロマーナ
(ローマの(めす)(おおかみ)

この彫像は、昭和13年にイタリアから東京市に寄贈されたもので、ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス、メルス兄弟の有名な伝説に基づいた像です。幼い兄弟は、祖父を殺し王位を奪ったアムリウスによってチベル河に流されましたが、忽然と現れた一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長し、成人した兄弟は祖父の仇を討ちローマを統一したと言われています。

広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 売店横 大雪山
広告
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 健康広場
日比谷公園 健康広場
広告
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 都道301号線
広告
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 みどりの図書館東京グリーンアーカイブス
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 みどりの図書館東京グリーンアーカイブス
西幸門前交差点
西幸門前交差点
広告
西幸門前交差点
西幸門前交差点
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
広告
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
広告
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
広告
霞が関三丁目交差点
霞が関三丁目交差点
霞が関三丁目交差点
霞が関三丁目交差点
広告
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 桜田通り
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 桜田通り
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣
広告
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣

史跡 江戸城外堀跡の石垣

正面の石垣、虎ノ門から続く江戸城外堀の一部です。この石垣は、寛永13年(1636)に築かれたものですが、部分的に不揃いな積み方があることから、数度も改修されたと考えられます。石垣には石を割った矢穴や構築大名を示す刻印がみられます。

もともとこの堀は、石塁として高さ9mほどの石垣が続いていましたが、現在はその一部が点在して残るだけです。ここでは、長さ20m、高さ7.4mの石垣をすべて保存したうえで一部埋め戻して、変形をきたした石垣を伝統技法によって旧態に戻す解体修理を実施しました。

この展示室と旧庁舎中庭石垣では、外堀の堀底および推定される水面の高さを表示し、正面の石垣は水面からそびえる石垣の姿を再現しました。当敷地内には3カ所で石垣を公開するとともに、石垣のラインを表示しました。これによって、江戸城外堀跡と現代の街区との比較が現地で確認できます。積替の石は同じ外堀の丸の内一丁目遺跡のものを使用しました。

広告
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
広告
霞が関コモンゲート 中央広場
霞が関コモンゲート 中央広場
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3丁目8 外堀通り
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3丁目8 外堀通り
広告
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
広告
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
広告
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
広告
東京都港区 環二通り
東京都港区 環二通り
南桜公園
南桜公園
広告
南桜公園
南桜公園

南桜公園と南桜小学校

関東大震災後の帝都震災復興事業により、昭和3年に、鉄筋コンクリート造の新しい南桜小学校が竣工し、翌年には、隣接して南桜公園が開園しました。

昭和20年の空襲の戦禍を逃れ、たくさんの子ども達が巣立ち、長い間地域の方々に親しまれた校舎でしたが、南桜公園の拡張整備のため、解体されました。

公園の中には、小学校敷地にあったソメイヨシノ、二宮尊徳像、石碑が当時の思い出を偲ぶものとして保存されています。

 

小学校の歴史

明治10年 この地区の近くに前身である「第二中学区第28番公立小学校櫻田女学校」が開校する(児童数160名)。

明治24年 校名が「南櫻尋常高等小学校」に変わり、男子も加わ

る(児童数200名)

大正12年 関東大地震

昭和39年 西桜小学校と南桜小学校を統合し、「桜小学校」開校。

平成3年 統廃合により桜小学校。桜、鞆絵(ともえ)、桜田の各

小学校を統合し、「御成門小学校」開校。

平成21年 旧桜小学校校舎解体。

平成22年 校舎跡地が南桜公園となる

(「港区教育史」ほか より)

広告
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目4‐3
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目4‐3
広告
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
広告
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
港区東新橋一丁目2番地
港区東新橋一丁目2番地
広告
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
広告
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
広告
0哩標識
0哩標識

(ぜろ)(まいる)標識

1870425日(明治3325日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)年に日本の鉄道発祥の地 として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958(昭和33)年1014日、旧国鉄によって「0哩標識は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年512日、「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。

創業時の線路

創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は恋しや砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地上に出ていました。レール断面は上下対象のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、乗ろこの枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年イギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われた跡、新潟柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両方から寄贈いただきました。

広告
プラットホーム
プラットホーム

プラットホーム

構造

プラットホームは「盛土式(もりどしき)石積(いしづみ)」という構造で作られています。

両側面の真下には、溝状に地面を掘って基礎石を敷詰め、その上に切石を石垣のように積んで土留め壁が作られ、内側には土が詰められました。基礎石には龍野藩(たつのはん)脇坂家・仙台藩伊達家領屋敷の礎石などが使われました。切石は笠石を含めて6段あり、地表には笠石を含めた上3段が出ていました。最下段部分は小口面(こぐちめん)を揃えて横に並ばせ、2段目から小口面と長手面(ながてめん)を交互に並べて積んでいます。ただし、一律的に小口面と長手面が交互になっているわけではなく、23段目では小口面が続く個所もあり、45段目では長手面が並ぶ個所もあります。

 

規模

プラットホームの全長は151.5m、幅は9.1mありました。再現されたのはそのうち駅舎寄りの25mです。遺跡指定の範囲に残されているプラットホームの遺構は35mです。

広告
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
広告
〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
日比谷神社
日比谷神社
広告
〒105-0021 東京都港区東新橋2丁目3‐14
〒105-0021 東京都港区東新橋2丁目3‐14
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
広告
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
広告
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

海水取入口跡

「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路です。

水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られます。

現在は海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっています。

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

九尺(きゅうしゃく)(だい)(きゅう)(えい)(だい)

「九尺」とは高さ、「盈」とは水や月が満ちるという意味です。

海の波打際に造られたこの高台は、いつ造られたものか不明ですが明治天皇が明治8年にこの庭園に行幸された際、この台上から、海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれたところです。

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

(せき) (ちゅう)

この石柱は」、小田原北条家」に仕えた戦国時代の旧邸から運ばれた門柱です。

ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています。

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

(せき) (ちゅう)

この石柱は」、小田原北条家」に仕えた戦国時代の旧邸から運ばれた門柱です。

ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています。

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

(かれ) (たき) (いし) (ぐみ)

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

沿革

小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割りと石組は秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(16551658)の頃に埋め立てられ、延宝(1678)年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。

その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川の芝御屋敷となりました。明治41871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同81875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正121923)年関東大地震によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌131924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。昭和54年(1979)年6月に「旧芝離宮庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定されています。

 

入園のご案内

開園時間:午後9時~午後5時(入園は430分まで)

休園日:1229日~11

広告
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

沿革

小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割りと石組は秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(16551658)の頃に埋め立てられ、延宝(1678)年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。

その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川の芝御屋敷となりました。明治41871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同81875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正121923)年関東大地震によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌131924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。昭和54年(1979)年6月に「旧芝離宮庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定されています。

 

入園のご案内

開園時間:午後9時~午後5時(入園は430分まで)

休園日:1229日~11

広告
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目4‐3
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目4‐3
東京都 首都高速都心環状線
東京都 首都高速都心環状線
広告
浜離宮恩賜庭園・中の御門
浜離宮恩賜庭園・中の御門

浜離宮恩賜庭園
へようこそ

 

中の御門

 

午前9時から

開園いたします。

閉演中の立ち入りは出来ません。

広告
東京都中央卸売市場
東京都中央卸売市場
築地四丁目交差点
築地四丁目交差点
広告

日比谷公園健康運動広場(スタート)→皇居(東御苑)→北の丸公園→東京ドーム→東京大学(昼食)→岡倉天心記念公園(ゴール)

第22回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京都ウオーキング協会

広告
法曹会館から東京ミッドタウン日比谷
法曹会館から東京ミッドタウン日比谷
祝田橋交差点
祝田橋交差点
広告
クスノキ
クスノキ
クスノキ
クスノキ
広告
サルスベリ
サルスベリ
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 案内図
日比谷公園 案内図

日比谷公園案内図 沿革と特色

「この公園は明治36年(1903年)都市計画により誕生した日本で最初の洋風近代式公園です。

江戸時代この付近一帯は諸大名の邸地でしたが、明治に至り練兵場として陸軍省が所管しました。

明治22年(1889年)都市計画日比谷公園の設置が告示され、これに伴い幼稚引継ぎを受けた東京市は本多静六博士(林学・18661952)らによる公園の設計案を明治34年(1901年)採用し、造成に着手、明治3661日開園いたしました。

その後、図書館、公会堂、音楽堂等が設置され都民のいこいの場所として親しまれるとともに広場(現在の第二花壇の位置)では数々の国家的行事が催されました。

太平洋戦争が始まると樹木が伐採されて園地は畑となり、かつ金属回収のため外柵等の撤去が行われました。戦後、公園は連合軍に接収されましたが、解除後、昭和26年(1951年)頃から復旧を開始し、昭和36年(1961年)9月には直径30m主柱12mの大噴水が完成し公園の新しいシンボルとなりました。

このほか四季の花を絶やさぬ洋風花壇や鶴の噴水のある雲形池など各種施設を備えている東京都の代表的な公園です。」

出典:東京都

日比谷公園の誕生

期待された西洋式の公園デザイン

“和魂洋才”の気配り設計 本多静六設計案

 

 

 

出典:日比谷公園サービスセンター
広告
前方検察庁
前方検察庁
日比谷公園
日比谷公園
広告


広告
日比谷公園 健康広場
日比谷公園 健康広場
健康広場
健康広場

日比谷公園 健康運動広場

 

案 内

この広場はランニングコースと健康器具により総合的な健康促進を図ることができるようになっております。

ランニングコースは1240mのコースになっております。

健康器具は①~⑩の器具で行い、付属の解説板に基づいて運動を行ってください。

日々の健康促進にご活用いただき、体力の維持・向上を図って下さい。

出典:日比谷公園サービスセンター

 

 

広告
祝田橋交差点
祝田橋交差点
東京都千代田区 内堀通り
東京都千代田区 内堀通り
広告
皇居外苑前歩道
皇居外苑前歩道
二重橋前歩道
二重橋前歩道
広告
二重橋前交差点
二重橋前交差点
二重橋前交差点
二重橋前交差点
広告
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2 内堀通り
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2 内堀通り
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目1 パレスホテル東京
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目1 パレスホテル東京
広告
大手門
大手門
大手門
大手門
広告
坂下護衛所前
坂下護衛所前
坂下護衛所前
坂下護衛所前
広告
中乃門跡
中乃門跡
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑 案内図
広告
天守台前
天守台前
天守台前
天守台前
広告
平川門 内堀通り陸橋
平川門 内堀通り陸橋
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐1
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2‐1
広告
〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目1‐4
〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目1‐4
〒101-0061 東京都千代田区三崎町3丁目9‐9
〒101-0061 東京都千代田区三崎町3丁目9‐9
広告
東京ドーム
東京ドーム
東京ドーム
東京ドーム
広告
東京ドーム
東京ドーム
後楽園駅
後楽園駅
広告

日比谷公園健康運動広場(スタート)→日比谷通り→行幸通り→大手町→日本橋→小舟町→甘酒横丁→浜町公園(昼食)→浜町河岸通り→薬研堀不動院→久松警察前→人形町通り→十思公園(ゴール)

第20回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京都ウオーキング協会

広告
桜田門交差点
桜田門交差点
祝田橋交差点
祝田橋交差点
広告
日比谷公園前(祝田橋交差点)
日比谷公園前(祝田橋交差点)
日比谷公園 アーク灯
日比谷公園 アーク灯

アーク灯

 

この元アークライト灯は、開園当時の公園灯で、園内には10基設置され、1200燭光の明るさがあったといわれます。

これ以外はガス灯70基が設置されていました。

右手にある水呑みと同じ鋳鉄製で統一されたデザインとなっており、両方とも明治の記念物として1基ずつ園内に残っています。

広告
日比谷公園から東京ミッドタウン日比谷を望む
日比谷公園から東京ミッドタウン日比谷を望む
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
広告



広告
日比谷公園 健康広場
日比谷公園 健康広場
日比谷公園 第一花壇前
日比谷公園 第一花壇前
広告
日比谷見附跡
日比谷見附跡
東京都千代田区 都営 三田線 日比谷駅
東京都千代田区 都営 三田線 日比谷駅
広告
帝国劇場前
帝国劇場前
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2丁目 日比谷通り
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2丁目 日比谷通り
広告
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
行幸通遊歩道
広告
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目4‐6
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目4‐6
三井住友信託銀行(株) 本店営業部前
三井住友信託銀行(株) 本店営業部前
広告
大手町駅前交差点
大手町駅前交差点
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
常盤橋ゴジラ ギャラリー
広告
常盤橋交差点
常盤橋交差点
常盤橋交差点
常盤橋交差点
広告
本石町一丁目交差点
本石町一丁目交差点
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1丁目 首都高速都心環状線
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1丁目 首都高速都心環状線
広告
小舟町交差点
小舟町交差点
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1丁目1‐1
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1丁目1‐1
広告
〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1丁目11‐5
〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1丁目11‐5
西郷隆盛屋敷跡
西郷隆盛屋敷跡

西郷隆盛屋敷跡

所在地 中央区日本橋人形町1丁目1

日本橋小綱町14

日本橋蛎殻町1丁目10

13番地

明治初め、この地域には明治維新の元勲西郷隆盛(18271877)の屋敷がありました。

明治6(1873)の「第壱大区沽券図」には、「蛎殻町一丁目壱番/二千六百三十三坪/金千五百八十六円/西郷隆盛」とあります。

屋敷には長屋に15人ほどの書生を住まわせ、下男を7人雇い、猟犬を数頭飼っていたといわれています。

維新後、西郷は郷里鹿児島にいましたが、明治4年に新政府から請われて上京し、参議に就任、同年10月に岩倉具視を特命全権大使とし、大久保利通、木戸孝允等を副使とする使節団が米欧へ派遣された後には、筆頭参議として留守政府首班となり、学制・徴兵制度・地租改正などの重要政策を実現しました。

明治6年になって、朝鮮との国交問題が緊迫し、武力出兵を主張するいわゆる征韓論が高まりを見せるなか、西郷は自らが朝鮮に渡って交渉することにより、問題の解決にあたろうとしました。閣議でもいったんは西郷の使節派遣が決定されましたが、海外の視察から帰国した大久保等の猛烈な反対により使節派遣は中止となります。

この決定を受けて、西郷をはじめ、板垣退助や後藤象二郎等が参議を辞して下野しました。(明治6年の政変)。

下野後、西郷はこの地にあった屋敷を引払い、鹿児島に帰郷します。

鹿児島では、士族子弟の教育のために私学校をつくり、また農耕と狩猟に悠々自適の生活を送っていましたが、明治10年に西南戦争を起こし自害しました。

 

平成193

出典:中央区教育委員会

広告
谷崎潤一郎生誕の地
谷崎潤一郎生誕の地
谷崎潤一郎生誕の地
谷崎潤一郎生誕の地

谷崎潤一郎生誕の地

所在地 中央区日本橋人形町1710

谷崎潤一郎(18861965)は、明治19724日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。

25年、阪本尋常高等小学校に入学しました。

そん後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。

若くして文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、第二次『新思潮』の同人となり、『刺青(しせい)』、『少年』など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文芸界で名を成しました。

のち、日本的な伝統美に傾倒し、『(たで)喰ふ虫』、『春琴抄(しゅんきんしょう)』、『細雪(ささめゆき)』、『少将慈幹の母』などを遺しています。

その間、昭和12年、芸術院会員に推され、同年24年には文化勲章を受章しました。

平成7年㋂

出典:中央区教育委員会

広告
甘酒横丁交差点
甘酒横丁交差点
甘酒横丁
甘酒横丁
広告
甘酒横丁交差点
甘酒横丁交差点
明治座
明治座
広告
明治座
明治座
明治座
明治座
広告
明治座稲荷神社
明治座稲荷神社
明治座
明治座
広告
浜町公園
浜町公園


広告
浜町公園
浜町公園
 浜町公園
浜町公園
広告
 浜町公園
浜町公園
 浜町公園
浜町公園
広告
ヤマボウシ 浜町公園
ヤマボウシ 浜町公園
ヤマボウシ 浜町公園
ヤマボウシ 浜町公園
広告
清正公寺
清正公寺
清正公寺
清正公寺
広告
中央区立浜町公園案内図
中央区立浜町公園案内図
浜町公園
浜町公園
広告



広告
花の都中央区宣言
花の都中央区宣言
花の都中央区宣言
緑をはぐくみ 花をいつくしみ
生きとし生ける生命を尊ぶ
美しいまち 清潔なまち
思いやりと 人情あふれるまち
出典:中央区
そんなほっとするまちにしたい
だから今
「花の都市中央区宣言」
それは ひとつぶの種
小さなこのひとつぶが
やがてまちいっぱいに
大輪の花を咲かせる
そんな願いをこめて
平成元年4月1日
広告
中央区平和都市宣言
中央区平和都市宣言
中央区平和都市宣言
いまいちどたちどまり
平和の尊さをみつめよう
ささやかな幸せも
こよなき繁栄も
平和の光が消えたなら
すべてが失われる
私たちの手にあるこの輝きを
明日の世代に伝えよう
1988年3月15日
この日、私たちは
永遠の平和を願い
中央区が平和都市で
あることを宣言する
広告
浜町公園
浜町公園
浜町公園
浜町公園
広告
 浜町公園
浜町公園
東京都 首都高速7号小松川線
東京都 首都高速7号小松川線
広告
〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町1丁目12‐9
〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町1丁目12‐9
両国橋
両国橋
広告
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目24‐16
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目24‐16
薬研堀不動尊
薬研堀不動尊
広告
薬研堀
薬研堀
薬研堀不動院
薬研堀不動院
広告
不動院
不動院
講談発祥記念之碑
講談発祥記念之碑

講談発祥記念碑

由来の記

元禄の昔, 赤松清左衛門は浅草見附辺の町辻で 太平記を講じ, 江戸講釈の発祥となった。

これが 後に「太平記講釈場」に発展して長く庶民に親 しまれ, 安政年間,「太平記場起原之碑」が建て られた。

この碑はその後, 当不動院境内に移され 大正12年の関東大震災まで名物となっていた。

この度, 当不動院と講談協会との因縁により, 真言宗宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念し, 相はかって茲に新たに建碑をなすものである。

 

大僧正 高橋隆天撰

弘法大師一千百五十年御遠忌記念

大本山川崎大師平間寺

昭和59年秋吉祥 東京別院薬研堀不動院

講談協会

講談発祥の資料提供 日本大学国文学部教授 民俗芸能研究家 永井啓夫氏

 

広告
納めの歳の市之碑
納めの歳の市之碑

薬研堀不動尊

納めの歳の市之碑

川崎大師平間寺 貫首 大僧正 隆天書

碑陰の記

遠く江戸時代の中頃より江戸の街では12月に入ると各地で歳の市が立った。

歳の市とは門松 〆縄飾り、羽子板等の正月用品を売る市を云う。

かつて東京の歳の市は1214日、15日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田明神、芝の愛宕神社、平川湯島の両天神を廻って最後は二十八日の薬研掘不動尊で終り。

特にこの市を薬研堀不動尊納めの歳の市と言われた。

初めの頃は梅の盆栽が売られ梅の市とも呼んでいた。

戦前は何10軒もの羽子板屋が不動院門前に並び横町には、神佛具、臼、杵、まな板、ざる、箒等の迎春用品の露店が出店し、当時の千代田小学校の通りには「かさ市」が立ち、〆飾り、門松、竹、海老、こんぶ等が、威勢よく売られ、身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた。

先の大戦の頃は戦火の拡大と共に一時中断してしまい戦後なんとか復活させたものの時勢に合わずさびれる一方であった。

時移りようやく昭和四十年地元の町会商店会の有志が是非とも江戸以来の伝統行事下町の風物詩をしっかりと後世に残すべきと「薬研堀不動尊 歳の市保存会」を組織して、同時に近隣問屋街とも協賛し 衣料品、日用雑貨等を市価の半額で販売する「大出庫市」を併催することとなり苦心経営の末、最近になってようやく往時の賑わいを取り戻すことが出来た。

有り難いことです。

又、想いめぐらせば戦前戦後を通じて、本院の大本山である川崎大師平間寺の厚いご加護を一貫して賜ったことも復興への銘記すべき事柄である。

本年は、大出庫市を併催して、丁度、三十年の節目に当たるので、歳の市復活に情熱を燃やした先人達を偲び、此の町の今日までの、歳の市への過ぎ越し方をこの碑に留め一つの証とする。

平成八年四月十五日

出典:薬研堀不動尊

出典:歳の市保存会

広告
薬研堀不動院
薬研堀不動院
やげん堀
やげん堀
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目9‐14 アスコットパーク日本橋ミュゲット
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目9‐14 アスコットパーク日本橋ミュゲット
広告
〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2丁目11‐4
〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2丁目11‐4
久松警察署
久松警察署
広告
人形町交差点
人形町交差点
〒103-0011 東京都中央区日本橋大伝馬町7‐3 ヒューリック本社ビル
〒103-0011 東京都中央区日本橋大伝馬町7‐3 ヒューリック本社ビル
広告
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目 靖国通り
〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目 靖国通り
広告
薬研堀不動院
薬研堀不動院

日比谷公園健康運動広場(スタート)→丸の内仲通り→大手町駅→(電車移動)→住吉駅→猿江恩賜公園→錦糸公園(昼食)→天神橋→亀戸天神(藤観賞)→亀5中央通り→亀戸中央公園→高速小松川線高架下・サンロード中の橋商店街入口付近(ゴール)

第19回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”

広告
日比谷公園健康運動広場(スタート) 霞が関中央官庁案内図
日比谷公園健康運動広場(スタート) 霞が関中央官庁案内図

霞が関中央官庁案内図


霞が関中央官庁案内図
霞が関中央官庁案内図
日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)

東京ミッドタウン日比谷

建設中の仮名称は「新日比谷プロジェクト」。映画館や劇場に隣接した地区で、日比谷三井ビルディング(旧三井銀行本店)と三信ビルディングの跡地を再開発し建設された。地上35階建て(高さ約192メートル)、延べ床面積は約18万9000平方メートル。賃貸オフィス(34階~9階)や、大企業とベンチャー企業の連携を促すインキュベーション施設に加えて、商業施設部分(地上7階~地下1階)に全60店のテナントが入る。総工費は1322億円。

三井不動産はビジネスだけでなく、”日比谷地区”の文化的価値を高める拠点とする意向を表明している。野外には日比谷の賑わいの中心となる「日比谷ステップ広場」、4~5階にシネマコンプレックスTOHOシネマズの旗艦店である「TOHOシネマズ日比谷」、6階には日比谷公園を一望する「パークビューガーデン」、9階にはオフィスロビーがある。

地下1階の日比谷アーケードはアールデコ風とし、三信ビル、日比谷三井ビルの保存部材を各所に使用。その意匠を一部取り入れている。また低層部は三信ビルの意匠を継承し高さを100尺(約31m)とすることで右側の日生劇場と高さを合わせて街区の一体感が感じられるようにデザインされている。さらに、ビルの外観に曲線を使った「ダンシングタワー」というコンセプトは、近くの内幸町にかつて存在し、舞踏会が多く開かれた鹿鳴館を意識している。ホプキンス・アーキテクツが建築デザインを行った。

ソース: 東京ミッドタウン日比谷 – https://ja.wikipedia.org

広告


広告
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
 日比谷公園健康運動広場(スタート)
日比谷公園健康運動広場(スタート)
広告
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 晴海通り
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 晴海通り
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目12‐1 新有楽町ビル
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目12‐1 新有楽町ビル
広告
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目12‐1 新有楽町ビル
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目12‐1 新有楽町ビル
丸の内イルミネーション
丸の内イルミネーション
広告
丸の内イルミネーション
丸の内イルミネーション
東京駅中央口
東京駅中央口
広告
猿江恩賜公園前
猿江恩賜公園前
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園

猿江恩賜公園

猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)は、日本の東京都江東区住吉・毛利にある都立公園である。1932年の開園と古く、昔から貴重な緑地として周辺住民に知られていた。

元々この地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であった。その後、明治政府御用達の貯木場になり、その後一般の人々に開かれた公園へと、用途が変更された。公園の北側の地区は、戦後しばらく貯木場として使用されていたが、これも江東区潮見に移転され、1981年に追加開園された。

ソース: 猿江恩賜公園 – https://ja.wikipedia.org

広告
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園
猿江恩賜公園 北側地区
猿江恩賜公園 北側地区

猿江恩賜公園 北側地区

以前ここに貯木場として使われ、戦後は林野庁の所管となり、全国の山々から切り出した木材を浮かべていました。

昭和51年(1976年)、(ちょ)木場(ぼくじょう)は区潮見へ移転し、約250年にわたった猿江貯(さるえちょ)木場(ぼくじょう)の歴史を閉じました。

その後、北側地区は公園として整備され昭和56年(1981年)1226日に開園しました。

◎ミニ木蔵(きぞう)

かつての木場のように、水面のある環境を残すため造ったもので、水面の広さは約1,600㎡あります。

このミニ木蔵の護岸に使われている石は、材木を長い期間貯蔵するとき、「重し」として使われていたものです。

開園年月日 昭和56年(1981年)1226日(北側地区)

主な 植物 イチョウ、ヤマモモ、ケヤキ、サツキ、ソメイヨシノ

施 設 テニスコート、ミニ木蔵

 

広告
〒135-0001 東京都江東区毛利2丁目7‐15 Sアミーユ錦糸町
〒135-0001 東京都江東区毛利2丁目7‐15 Sアミーユ錦糸町
西之橋北詰交差点
西之橋北詰交差点
広告
〒130-0022 東京都墨田区江東橋3丁目5‐1 ザバレル立田ビル
〒130-0022 東京都墨田区江東橋3丁目5‐1 ザバレル立田ビル
広告
江東橋公園
江東橋公園
江東橋公園
江東橋公園
広告
江東橋公園
江東橋公園
東京都墨田区錦糸
東京都墨田区錦糸
広告
東京都墨田区錦糸
東京都墨田区錦糸
東京都墨田区錦糸
東京都墨田区錦糸
広告


東京都 蔵前橋通り
東京都 蔵前橋通り
広告
〒136-0071 東京都江東区亀戸2丁目6‐8
〒136-0071 東京都江東区亀戸2丁目6‐8
亀戸天神入口交差点
亀戸天神入口交差点
広告
亀戸天神前
亀戸天神前

亀戸天神

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)である。菅原道真を祀り、学問の神として親しまれている。特に1・2月の受験シーズンの土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる。通称は亀戸天神、亀戸天満宮または東宰府天満宮。毎年、大晦日の晩は多くの初詣参拝客が訪れ、賑わう。

ソース: 亀戸天神社 – https://ja.wikipedia.org

亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
亀戸天神社
広告
亀戸天神社
亀戸天神社
〒136-0071 東京都江東区亀戸2丁目27 明治通り
〒136-0071 東京都江東区亀戸2丁目27 明治通り
広告
〒136-0071 東京都江東区亀戸5丁目32‐20
〒136-0071 東京都江東区亀戸5丁目32‐20
〒136-0071 東京都江東区亀戸7丁目9‐7
〒136-0071 東京都江東区亀戸7丁目9‐7
広告
〒136-0071 東京都江東区亀戸8丁目1‐18
〒136-0071 東京都江東区亀戸8丁目1‐18
亀戸中央公園
亀戸中央公園

亀戸中央公園

亀戸中央公園(かめいどちゅうおうこうえん)は、東京都江東区亀戸にある都立公園である。園内には草花、スポーツ施設、芝生の広場などがあり周辺住民の憩いの場となっている。

ソース: 亀戸中央公園 – https://ja.wikipedia.org

 

広告
亀戸中央公園
亀戸中央公園

亀戸中央公園 総合防災案内板

亀戸中央公園 総合防災案内板
亀戸中央公園 総合防災案内板
広告
亀戸中央公園
亀戸中央公園
〒136-0071 東京都江東区亀戸8丁目 丸八通り
〒136-0071 東京都江東区亀戸8丁目 丸八通り
広告
亀戸中央公園 サザンカ案内図
亀戸中央公園 サザンカ案内図

(かめ)(いど)中央(ちゅうおう)公園(こうえん) サザンカ案内図(あんないず)

亀戸中央公園  サザンカ案内図
亀戸中央公園  サザンカ案内図
亀戸中央公園 公園内で見られるサザンカの品種
亀戸中央公園 公園内で見られるサザンカの品種

(こう)園内(えんない)で見られるサザンカの品種(ひんしゅ)

公園内で見られるサザンカの品種
公園内で見られるサザンカの品種
広告

日比谷公園健康運動広場(スタート)→内堀通り→気象庁前→駿河台下→小川広場→御茶の水橋→東京医科歯科大前→サッカーミュージアム前→湯島天神→東大竜岡門・東大構内(昼食)・東大正門→本郷通り→六義公園運動場→都立六義園(入園・解散)(ゴール)

第18回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京都ウオーキング協会

広告
桜田門交差点(桜田門外の跡)
桜田門交差点(桜田門外の跡)
千代田区 総合防災案内板
千代田区 総合防災案内板

千代田区 総合防災案内板

千代田区 総合防災案内板
千代田区 総合防災案内板
広告
法曹会館
法曹会館
日比谷公園
日比谷公園
広告
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
広告
日比谷公園水飲み場
日比谷公園水飲み場

日比谷公園 水飲み

日比谷公園 水飲み
日比谷公園 水飲み

この水飲みは、日比谷公園開設当時(昭和36年)のものです。

(ちゅう)鉄製(てつせい)で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。

また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。

広告
日比谷公園 案内板
日比谷公園 案内板

日比谷公園

日比谷公園
日比谷公園
初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開
広告
初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開


広告
日比谷公園 健康広場 植物
日比谷公園 健康広場 植物
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ

シダレヤナギ

シダレヤナギ(枝垂柳、学名:Salixbabylonica)は、ヤナギ科の落葉高木である。

ソース: シダレヤナギ – https://ja.wikipedia.org

 

広告
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
広告


日比谷公園 自由の鐘 前
日比谷公園 自由の鐘 前
広告
日比谷公園 三笠山 前
日比谷公園 三笠山 前
祝田橋交差点
祝田橋交差点
広告
祝田橋交差点
祝田橋交差点
東京都千代田区 内堀通り
東京都千代田区 内堀通り
広告
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1 内堀通り
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1 内堀通り
東京都千代田区 内堀通り
東京都千代田区 内堀通り
広告
二重橋前交差点
二重橋前交差点
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2 内堀通り
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2 内堀通り
広告
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
広告
和田倉濠
和田倉濠
一ツ橋門石垣跡
一ツ橋門石垣跡
広告
気象庁東京管区気象台
気象庁東京管区気象台
東京都千代田区 首都高速都心環状線
東京都千代田区 首都高速都心環状線
広告
東京都千代田区 首都高速都心環状線
東京都千代田区 首都高速都心環状線
/錦町(大手町川端緑道案内図)
/錦町(大手町川端緑道案内図)
広告
陽光
陽光

サクラ

陽  光

陽光(ようこう)。アマギヨシノとカンヒザクラの交配(こうはい)品種(ひんしゅ)(はな)(あわ)(べに)(むらさき)(いろ)一重(ひとえ)(ざき)で、大輪(だいりん)です。

バラ科

東京都千代田区 首都高速都心環状線
東京都千代田区 首都高速都心環状線
広告
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目 錦町トラッドスクエア
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目 錦町トラッドスクエア
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目1‐5
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目1‐5
広告
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目20
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目20
駿河台下交差点
駿河台下交差点
広告


小川広場
小川広場
広告
小川広場
小川広場
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目2‐5
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目2‐5
広告
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2丁目4
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2丁目4
御茶ノ水橋口交差点
御茶ノ水橋口交差点
広告
御茶ノ水橋口交差点
御茶ノ水橋口交差点
順天堂大学
順天堂大学
広告
順天堂大学
順天堂大学
サッカー通り
サッカー通り
広告
サッカーミュージアム入口
サッカーミュージアム入口
公益財団法人 日本サッカー協会(JFA)
公益財団法人 日本サッカー協会(JFA)
広告
湯島二丁目
湯島二丁目
広告
新花公園
新花公園
湯島天神 表鳥居
湯島天神 表鳥居
広告
湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮

古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った婦系図の歌(湯島の白梅)(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットした。

境内の約300本の梅木のうち約8割は白梅である。

ソース: 湯島天満宮 – https://ja.wikipedia.org

湯島天満宮
湯島天満宮
広告
〒113-0033 東京都文京区 春日通り
〒113-0033 東京都文京区 春日通り
東京大学本部棟
東京大学本部棟
広告
東京大学本部棟
東京大学本部棟
東京大学構内
東京大学構内
広告
東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内



広告
安田講堂 (東京大学大講堂)
安田講堂 (東京大学大講堂)

安田講堂(東京大学大講堂)

安田講堂(やすだこうどう)は、東京大学本郷地区キャンパスにある講堂である。正式には東京大学大講堂(とうきょうだいがくだいこうどう)というが、東大の学内では「安田講堂」が用いられる。収容人数は1,144席(3階席・728席 / 4階席・416席)。

ソース: 安田講堂 – https://ja.wikipedia.org

安田講堂(東京大学大学堂)
安田講堂(東京大学大学堂)
広告
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
広告
東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内
広告
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
広告
東京大学 正門
東京大学 正門
東京大学 正門前
東京大学 正門前
広告
東京都文京区 本郷通り
東京都文京区 本郷通り
浄心寺・浄土宗 東京都文京区 江戸札所十番
浄心寺・浄土宗 東京都文京区 江戸札所十番
広告
富士神社入口交差点
富士神社入口交差点
上冨士前交差点
上冨士前交差点
広告



六義園庭園内
六義園庭園内
広告
六義園庭園内
六義園庭園内
玉(たま)藻(もの)磯(いそ)・出(で)汐(しおの)湊(みなと)・妹(いも)与(と)背山(せやま)
玉(たま)藻(もの)磯(いそ)・出(で)汐(しおの)湊(みなと)・妹(いも)与(と)背山(せやま)

(たま)(もの)(いそ)()(しおの)(みなと)(いも)()背山(せやま)
妹山(いもやま)背山(せやま)

作庭当時、柳沢吉保が住む(むく)義館(きのたち)はこの後方にありました。館の

正面であるここからの眺めが庭園の主景観の1つと考えられます。左から(いも)()背山(せやま)妹山(いもやま)背山(せやま))、()鶴橋(づのはし)()(しおの)(みなと)と並ぶ風景は、(りく)()(えん)のモデルになったといわれる紀州(和歌山県)の和歌(わか)(うら)の地形にとても良く似ています。神亀元年(724)の聖武天皇の行幸の際、同行した山部赤人が詠んだ和歌「和歌の浦に 塩満ちれば 潟をなみ 蘆辺をさして たづ鳴き渡る」を具現化したものと言えるでしょう。

 

六義園絵巻 上巻(部分) 柳沢文庫所蔵

六義園を作った柳沢吉保は、園内に万葉集などの和歌や中国の古典にちなんだ名所を八十八箇所設け、「八十八境」としてその由来を「六義園記」に記しました。その八十八境を中心に庭園を狩野派の絵師に描かせたのが「六義園絵巻」(上・中・下巻)です。このパネルでは、絵巻を園内の描かれた名所の位置で展示しています。(六義園は明治時代に三菱グループの創設者、岩崎家の所有となり、その後昭和13年に東京市に寄付されました。)

 

絵巻には右から順に「(たま)(もの)(いそ)」「()(しおの)(みなと)」「(いも)()背山(せやま)」とあります。(たま)(もの)(いそ)と、()(しおの)(みなと)はゆったりとした浜辺という雰囲気ですが、(いも)()背山(せやま)は、松の木が屹立する荒々しい岩山として描かれています。

 

六義園が岩崎家の別邸だったころ、日露戦争の祝勝会が開かれたことがあります。写真は、その様子を記録した写真集「日露戦争凱旋写真帖 海軍」(明治38年)のものです。

広告



六義園庭園内
六義園庭園内
広告
六義園庭園内
六義園庭園内
出(で)汐(しおの)湊(みなと)
出(で)汐(しおの)湊(みなと)
六義園庭園内
六義園庭園内
()(しおの)(みなと)
六義園八十八境 十三
和歌の浦に 月の出汐の さすままに
よるなくたづの こゑぞさびしき
『六義園記』

()(しおの)(みなと)

六義園八十八境 十三

和歌の浦に 月の出汐の さすままに

よるなくたづの こゑぞさびしき

『六義園記』

「出汐」とは、船が湊(港)に入るために満潮を待っていることですが、夕方になり月が海上に出るのを持つ心も懸けています。

桂離宮など日本庭園では「月」が大切にされてきましたが、六義園でも月に由来する地名が多くあります。

また、後方にある白い建物は岩崎家に由来する蔵です。

かつては付近に岩崎家の邸があり、庭園を眺める重要な視点場となっていたようです。ここからは視界にビルがない庭園を楽しむことができます。

 

広告
六義園庭園内
六義園庭園内
初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開
広告
六義園
六義園
六義園庭園内
六義園庭園内
広告
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
広告
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
広告
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園 しだれ桜(さくら)
六義園 しだれ桜(さくら)

六義園 しだれ(さくら)

東京都 昭和30年代

「シダレザクラ」は、「エドヒガン」という桜の品種の中で、枝が柔らかいために垂れながら成長していく種類のものです。

「ソメイヨシノ」より少し早く、お彼岸のころに咲きますが、4月に入ってから満開になる年もあります。

昭和30年代に、東京都によって植栽されたもので、樹齢は70年程度ですが、高さ約15m、幅約20mと大きく、形もよく成長しています。

薄紅色の花が満開になると、あたかも水しぶきを上げて流れ落ちる滝のような姿になり圧巻です。

「六義園のしだれ桜」として親しまれ、多いときには一日で3万人以上のお客様にご覧いただいております。

 

広告
六義園庭園内
六義園庭園内
新脩六(しんしゅうりく)義(ぎ)園(えん)碑(ひ)
新脩六(しんしゅうりく)義(ぎ)園(えん)碑(ひ)

新脩六(しんしゅうりく)()(えん)()

六義園の評判は作庭当時から高かったようですが、和歌の世界に憧れ、また皇室を尊んでいた(よし)(やす)は、さらに狩野派の絵師に描かせた本園の絵図を霊元上皇に献上しました。

完成して四年後の宝永3年(170610月には、これに対して霊元上皇が六義園の景勝地「十二境八景」を選び、加えて延臣達に命じて和歌を詠ませた巻物が(よし)(やす)に下賜されました。

一幕臣の屋敷の庭園に上皇を通じて和歌が贈られるのは極めて希なことでした。

これほど名園として名高かった六義園も、やはり六義園を愛した三代(のぶ)(とき)が寛永4年(1792)に亡くなって以降は荒廃の一途をたどっていましたが、文化6年(1809)、四代保光(やすみつ)が約1年の月日と多大な費用を投じて復旧工事を行い、一部新たな景勝を加え甦ることになったのです。その経緯について「六義園八景」と併せてこの「新脩六義園碑」に記されています。

 

広告
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
広告

日比谷公園健康運動広場(スタート)→財務省上→溜池交差点→氷川神社→檜町公園(昼食・抽選会)→国立新美術館→赤坂消防署→南青山3→表参道→ネスパス館→明治神宮→代々木公園(ゴール)

第16回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京ウオーキング協会

広告
桜田門
桜田門

千代田区 総合防災案内板

千代田区 総合防災案内板
千代田区 総合防災案内板
広告
桜田門
桜田門
広告
国立国会図書館支部法曹図書館
国立国会図書館支部法曹図書館
警視庁
警視庁
広告
日比谷公園
日比谷公園
日比谷公園 健康運動広場
日比谷公園 健康運動広場

健康運動広場

健康運動広場
健康運動広場
広告
霞が関中央官庁案内
霞が関中央官庁案内

霞が関中央官庁案内

霞が関中央官庁案内
霞が関中央官庁案内
広告
日比谷公園 健康運動広場案内
日比谷公園 健康運動広場案内
広告
日比谷公園案内
日比谷公園案内

日比谷公園案内

日比谷公園案内
日比谷公園案内
広告
三笠山
三笠山
広告





〒100-0012 東京都千代田区 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区 都道301号線
広告
日比谷野外音楽堂
日比谷野外音楽堂

日比谷野外音楽堂

日比谷野外音楽堂(ひびややがいおんがくどう)(Hibiya Open-Air Concert Hall)は、東京都千代田区の日比谷公園内にある野外音楽堂である。大・小の2つがあり客席数・使用用途も異なっている。

明治時代に小音楽堂が開設された後、大正時代に大音楽堂が開設された。小音楽堂は日本最古の野外音楽堂である。

ソース: 日比谷野外音楽堂 – https://ja.wikipedia.org

霞が関交番前
霞が関交番前
広告
〒100-0013 東京都千代田区 六本木通り
〒100-0013 東京都千代田区 六本木通り
内閣府下交差点
内閣府下交差点
広告
〒107-0052 東京都港区赤坂1丁目5‐11
〒107-0052 東京都港区赤坂1丁目5‐11
〒107-0052 東京都港区 首都高速都心環状線
〒107-0052 東京都港区 首都高速都心環状線
広告
〒106-0032 東京都港区六本木4丁目2‐50 麻布第一マンションズ
〒106-0032 東京都港区六本木4丁目2‐50 麻布第一マンションズ
〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目18‐8
〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目18‐8
広告
檜町公園
檜町公園

檜町公園

檜町公園(ひのきまちこうえん)は、東京都港区赤坂にある港区立公園である。東京ミッドタウンに隣接する公園として知られる。面積は約14,011である。

ソース: 檜町公園 – https://ja.wikipedia.org

 

広告
檜町公園
檜町公園
檜町公園

檜町公園
広告
檜町公園

檜町公園
広告
檜町公園
檜町公園

オカメザサ(阿亀笹)

オカメザサ(阿亀笹、学名:Shibataea kumasaca)は、イネ科の常緑タケ類。植物学上、成長に伴って稈から鞘が脱落してしまう種であるためササではなくタケに分類される(小型のタケ類)。

ソース: オカメザサ – https://ja.wikipedia.org

 

広告
広告
檜町公園
檜町公園
檜町公園
檜町公園
広告
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目1‐3
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目1‐3
国立新美術館
国立新美術館

国立新美術館

国立新美術館(こくりつしんびじゅつかん)(英: The National Art Center, Tokyo)は、東京・六本木にある美術館である。日本で5館目の国立美術館として、2007年(平成19年)1月に開館した。

ソース: 国立新美術館 – https://ja.wikipedia.org

 

広告
国立新美術館
国立新美術館
青山墓地
青山墓地

青山墓地

概説

1872年(明治5年)、美濃郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主・青山家の下屋敷跡に開設された。当初は神葬祭墓地であった。1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地となった。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管された。1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となった。

現在は東京都の所管である。面積は約26万平方メートルで、会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。その後桐生氏は当時の東京府に土地所有権を無償で供与し代々立山墓地の管理に携わってきたが、東京都により2008年3月いっぱいで管理の更新を断られた。都による墓所使用料未払いによる無縁仏への墳墓改装、それに伴う公園型霊園開発を理由とした、2000年代以降の霊園内外都有地の段階的な賃貸料増額も相まって管理の更新を断られ、先祖開拓以来の土地を離れることとなった。なお、霊園内外人墓地に関しては無縁仏として改装されず、貸付対象箇所にはならないことになった。

霊園は桜並木が名所であるが、公園型霊園開発を理由として桜や銀杏、松など巨樹の伐採も進められている。

明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くある。維新の三傑である大久保利通、細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓もある。附属立山墓地には、永田鉄山、木村兵太郎、相楽総三なども眠っている。

ソース: 青山霊園 – https://ja.wikipedia.org

広告
〒107-0062 東京都港区南青山2丁目8‐22 カーサ南青山
〒107-0062 東京都港区南青山2丁目8‐22 カーサ南青山
南青山三丁目
南青山三丁目
広告
南青山三丁目交差点
南青山三丁目交差点
〒107-0061 東京都港区 都道413号線
〒107-0061 東京都港区 都道413号線
広告
〒150-0001 東京都渋谷区 都道413号線
〒150-0001 東京都渋谷区 都道413号線
明治神宮前(原宿)
明治神宮前(原宿)
広告
神宮橋
神宮橋
神宮橋
神宮橋
広告
明治神宮前
明治神宮前
明治神宮鳥居
明治神宮鳥居
広告
明治神宮
明治神宮
明治神宮

明治神宮
広告
明治神宮

明治神宮
明治神宮

明治神宮
広告
明治神宮

明治神宮
明治神宮
明治神宮
広告
明治神宮

明治神宮
明治神宮

明治神宮
広告
明治神宮

明治神宮
明治神宮

明治神宮

明治神宮

明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。

 

概要

明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする。境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国からの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などの祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館などがある。新年には毎年のように国内外から観光客が集まり、初詣では例年の参拝者数が1位となっている。

ソース: 明治神宮 – https://ja.wikipedia.org

広告
明治神宮
明治神宮
広告
代々木公園
代々木公園

代々木公園

代々木公園(よよぎこうえん)は、東京都渋谷区にある公園である。所轄は東京都建設局、指定管理者は東京都公園協会で、代々木公園管理事務所が管理している。

 

概要

代々木公園の所在地は、大日本帝国陸軍の代々木練兵場であった。これが第二次世界大戦での日本の敗戦後にはワシントンハイツとなり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで代々木選手村として一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園したものである。また、選手村の宿泊棟はオリンピック記念青少年センターや代々木ユースホステルとして利用されていた。

同公園に隣接して国立代々木競技場が立地しているが、代々木公園には含まれない。

代々木公園の敷地は540,529.00(およそ東京ドーム11個分)であり、東京23区内の都市公園のなかでは、葛西臨海公園(約79ha)、水元公園(約76ha)、舎人公園(約71ha)、光が丘公園(約60ha)に次いで5番目に広い。園内は東京都道413号赤坂杉並線をはさんで噴水がある北側のA地区と、スポーツ施設やイベントホールなどがある南側のB地区とに分かれている。

代々木公園は原宿駅、代々木公園駅、明治神宮前駅、代々木八幡駅に隣接しており、原宿、表参道、渋谷から人々が多く集まる場所でもある。園内にはオリンピック当時選手村の練習場であったトラックとして設けられ、織田幹雄の業績を称え通称が付いた「織田フィールド(代々木公園陸上競技場)」や、サッカーなどの球技用グランドがあり、1990年(平成2年)5月には、高さ15m – 30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊を持つ水景施設が設定された。設計者は株式会社東京ランドスケープ研究所。

隣接する明治神宮が大晦日から元旦までを除き開門・閉門時間が設定され、夜間立ち入り禁止となっているのに対して、代々木公園は事実上いつでも入園が可能である。

ソース: 代々木公園 – https://ja.wikipedia.org

日比谷公園健康運動広場(スタート)→読売新聞社前→常盤橋→貨幣博物館(見学)→京橋市場橋公園(昼食)→築地本願寺→明石小学校→佃大橋→佃公園(ゴール)

第15回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”

広告


広告
日比谷公園健康運動広場
日比谷公園健康運動広場
日比谷公園健康運動広場

日比谷公園健康運動広場
広告
日比谷公園健康運動広場

日比谷公園健康運動広場
自由の鐘
自由の鐘
自 由 の 鐘
自 由 の 鐘

自 由 の 鐘

自由の鐘は1776年米國の独立宣言に際し自由の喜びを天下に告げた。

歴史的記念物である、しかしこの鐘はその鐘銘の聖句にもある通り「すべての国とその住民に自由を告げる」自由の象徴である、米民間の匿名有志はその複製を連合軍總司令官リツジウエイ大将に託しこれを廣く日本民に贈りたいと申出た、よって

リツジウエイ大将は自由の擁護者たる新聞を通じ廣く日本國民に贈ることが最も寄付の趣旨に副うものとして昭和274月日本新聞協會に寄付された。

日本新聞協會は日比谷のー角に自由の鐘塔を建造してこれを東京都に寄贈し廣く國民と共に自由の鐘の歴史的意義を銘記せんとするものである。

昭和2710

出典:社団法人 日本新聞協會

広告
〒100-0012 東京都千代田区 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1‐1
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1‐1
広告
日比谷公園
日比谷公園
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目5‐1 日比谷マリンビル
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目5‐1 日比谷マリンビル
広告
〒100-0006 東京都千代田区 日比谷通り
〒100-0006 東京都千代田区 日比谷通り
〒100-0006 東京都千代田区 日比谷通り
〒100-0006 東京都千代田区 日比谷通り
広告
和田倉門交差点
和田倉門交差点
〒100-0005 東京都千代田区 日比谷通り
〒100-0005 東京都千代田区 日比谷通り
広告
読売新聞ビル前
読売新聞ビル前
箱根駅伝 絆の像
箱根駅伝 絆の像

読売新聞ビル

読売新聞(よみうりしんぶん)ビルは、東京都千代田区大手町にあるビル。読売新聞ビルは読売新聞グループの本社拠点でありながら、劇場型ホールを併設している。建物の高さは200メートル、大手町タワーを上回り、大手町エリアの最も高い建物である。現在の読売新聞ビルは二代目の読売新聞グループ本社ビルであり、初代社屋の敷地に建設。

また毎年正月に開催の東京箱根間往復大学駅伝競走の発着点として使われ、レリーフには歴代総合優勝校が刻んでいる。

ソース: 読売新聞ビル – https://ja.wikipedia.org

 

広告
日本銀行金融研究所貨幣博物館
日本銀行金融研究所貨幣博物館
八重洲一丁目交差点
八重洲一丁目交差点
広告
八重洲一丁目交差点

八重洲一丁目交差点
〒103-0028 東京都中央区八重洲2丁目7‐9 相模ビル
〒103-0028 東京都中央区八重洲2丁目7‐9 相模ビル
広告
〒104-0031 東京都中央区京橋3丁目1‐1 東京スクエアガーデン
〒104-0031 東京都中央区京橋3丁目1‐1 東京スクエアガーデン
京橋大根河岸青物市場蹟
京橋大根河岸青物市場蹟

京橋大根河岸青物市場蹟

遠く寛文の初め江戸数寄屋橋邊に處の人数名打倚りさゝやかなる青物の市を立てしに遠近の村村より作物多く集りぬ是等の店はゆきゝの人或いは附近の人人に之をひさぐ数年ならずして店の数増加し漸く市場の形整い江戸府民のため無くてはかなわぬ機関とはなりぬその後火炎に罹りしにより東海道の要路にあたり且つ水運の便ある京橋川の北岸紺屋町へ移轉す偶この市場への大根の入荷殊更夥しきにより世の人大根河岸と呼び遂に京橋大根河岸と稱うるに至るかくて二百餘年を経たる明治十年京橋川南岸の太刀賣と稱する甘藷問屋数名を加入せしめ問屋三十七軒仲買十七名を數うるに至りしかば府尹の認可を得て組合を設立しこゝに始めて大市場としての規模完成す

大正十二年九月大震災の厄難に遭いしも組合員は鋭意復興に努力し以前に優る盛況を呈す時に問屋六十八名仲買百五名なり昭和十年二月中央卸賣市場法實施の一環として東京市中央卸賣市場の開設さるに際し國家の要請否みがたく父祖三百年愛着の絆を断ちて揺籃の地を去り築地本場に入り問屋は一体となりて会社を起こし仲買は舊態のまゝ開業すその後第二次世界大戦のため幾多の變革ありしも戦後再び舊状に復し業況益好調を極む斯る折柄舊京橋青物市場蹟記念碑建設の議起り期成会を組織して之が實現に努め漸くその工を竣えたり依ってここにその由来を記し開設以来二百八十餘年の歴史を回顧し其盛時を偲ぶたよりとなす

昭和三十四年六月 藤浦富太郎撰 江川碧潭書

広告
〒104-0045 東京都中央区築地2丁目12‐16
〒104-0045 東京都中央区築地2丁目12‐16
築地本願寺
築地本願寺

築地本願寺

歴史

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現在の日本橋横山町、東日本橋)に建立。「江戸海岸御坊」「浜町御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現:中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。

1923年9月1日の関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。また、58か寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。

現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現:松井建設)の施工により建築された。大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂は重要文化財に指定されている。

浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。

著名な人物の葬儀が宗派を問わず多く執り行われている。さらに他宗派信徒や訪日外国人などにも開かれた寺を目指す「寺と」プロジェクトを進めている。電話で相談を受け付けるコールセンターなどに加えて、2017年11月8日にはカフェなどが入るインフォメーションセンターと合同墓を開設した。

ソース: 築地本願寺 – https://ja.wikipedia.org

 

広告
築地本願寺前
築地本願寺前


広告
〒100-0005 東京都千代田区 都道404号線
〒100-0005 東京都千代田区 都道404号線