クレアパーク(スタート)→蔵里→大正浪漫通り→かもん楽座→お茶屋橋→観音寺→濯柴公園→広済寺→川越氷川神社→富士見やぐら→喜多院→クレアパーク(ゴール)

川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅠ
・観音寺
・広済寺
・富士見やぐら
・濯柴公園

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スライドショー(川越わくわくウオーキング教室NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅠ・観音寺・広済寺・富士見やぐら・濯柴公園2018.08.22(水))
〒350-0043 埼玉県川越市新富町2丁目11‐3
〒350-0043 埼玉県川越市新富町2丁目11‐3
小江戸蔵里 力持ち
小江戸蔵里 力持ち
小江戸蔵里 添え仕込み
小江戸蔵里 添え仕込み
小江戸蔵里 放冷
小江戸蔵里 放冷
小江戸蔵里 酛掲り
小江戸蔵里 酛掲り
小江戸蔵里 ?
小江戸蔵里 ?
江戸蔵里 大正蔵
江戸蔵里 大正蔵

大 正 蔵

 「新蔵」ともいわれた大正蔵は、大正時代初期に建てられた木造2階建の建物。中は仕切りのない広い空間で、改造はほとんどなく、関東地方の典型的な酒造の姿を今に残しています。

 大正蔵には多数の貯蔵タンクが設置され、出荷前にの酒が貯蔵されたほか、一部、瓶詰、パッケージングなどの用途としても使用された。

大正蔵内部

大正蔵内部

【豆知識】

鏡山酒造跡地内の明治蔵・大正蔵・昭和蔵の三棟は、外観が建設当時の意匠を保ち、内部も酒造りに適した空間構成を維持していることから、平成20年㋂、国の登録有形文化財に登録されました。

小江戸蔵里 昭和蔵
小江戸蔵里 昭和蔵

昭 和 蔵

  重々しい屋根や、白壁などいかに重厚長大な景観を醸し出す昭和蔵は、鏡山酒造の歴史と伝統をしのばせる建物。蔵の中心部には太い杉柱が3本配置され、建物全体を「やじろべい」のように支えています。

 建築年代は、酒造会社時代の全盛期ともいわれる昭和6年(1931年)。登記簿上の構造は、木造2階建てですが、3層に仕切られていました。

ここでは、(こうじ)と蒸米から「酒母(しゃぼ)」や「もろみ」を仕込む作業を行っていました。

昭和蔵内部

昭和蔵内部

【豆知識】

昭和蔵は、4代目竹内孝也氏(19301998)の誕生を祝して翌年の昭和6年に建てられました。

同氏は、東北大学卒業後、国税庁の酒造試験場で2年間、酒造学を学んだ研究者。杜氏(とうじ)を育てることもじょうずで、たくさんの名杜氏を世に送り出しました。

小江戸蔵里 昭和初期の作業風景
小江戸蔵里 昭和初期の作業風景

昭和初期の作業風景

 酒造りは、㋊から翌年の㋂まで続きます。天然の米と水が酒の命なら、酒の仕込みを采配(さいはい)する杜氏(とうじ)の腕が、酒を生かしたり殺したりするそうです。「(むし)(こめ)に菌を繁殖させるときの湿度管理が、酒づくりの重要なポイント。昔からこの湿度の操作が秘けつとされています。

昭和初期の蒸米の作業風景

昭和初期の蒸米の作業風景

【豆知識】

酒造りの最盛期、寒い時期のほうが、空気中の雑菌が少なく、発酵条件がよいため、シーズンは㋊から翌年の㋂ごろまで。

小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ
小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ

詩情豊かな鏡山のルーツ

 初代当主の竹内栄吉(1843年~1915年)は、現在の新潟県上越市出身の杜氏(とうじ)で、埼玉県内で酒づくりの技術を習得し、明治8年(1875年)、現在地で酒造蔵を創業しました。

 鏡山という名称は、滋賀県の琵琶湖のほとりにある山の名前から由来しています。歌人藤原定家の秀歌の一つに

『鏡山映される波の影ながら

空さえ凍る有明の月』

という歌がありますが、ここにある美しい詩情豊かな景観こそが鏡山のルーツです。

鏡山(滋賀県竜王町・竜王町観光協会提供)

鏡山(滋賀県竜王町・竜王町観光協会提供)

【豆知識】

杜氏(とうじ)。日本酒の製造に」携わる蔵人(くろうど)と呼ばれる技能手段を率いる、酒造りの総責任者です。原料の仕込から熟成(じゅくせい)にいたるまで、すべての工程を管理します。

小江戸蔵里 明治蔵
小江戸蔵里 明治蔵

明 治 蔵

 明治時代中期に建築された明治蔵は、「本造」ともいわれるとおり、敷地内の酒造群中一番歴史が古く、また、最大規模の木造の建物。

 ここでは、搾り機、ブレンドタンクなどが設置され、酒を搾った

り、調合する作業である上槽(じょうそう)濾過(ろか)など酒造工程の後半部分が行われていました。また、入口右手には、酒造醸造において一番重要な工程である(せい)(ぎく)作業を行う「麹室(こうじむろ)」が併設されていました。

明治蔵内部

明治蔵内部

【豆知識】

 酒造りと蔵。酒造りに土蔵が適しているのは、熱が外に逃げにくく、湿度が年間を通して一定なためです。
小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫
小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫

瓶詰作業場・倉庫

 「瓶詰作業場」、そしてその西側に隣接する「倉庫」の建築年代は、ともに不明。瓶詰作業場は瓶詰め作業や、酒粕の貯蔵庫に使われました。

 倉庫は、当初、上層(じょうそう)工程でぬれ袋を乾燥させるために使われていましたが、その後、竹内家の個人的な収蔵品の倉庫として使用されていました。

 また、大正蔵前の「検査室」は、税務署員が帳簿類の立会い検査をする場所として使われていました。

倉庫・ギャラリー

倉庫・ギャラリー

【豆知識】

お酒の税金である「酒税」は、「蔵出し税」ともいわれ、蔵から出荷した時点で税金がかかります。

 そのため、水をどのくらい使ったか、(ぬか)酒粕(さけかす)はどのくらい出たかなどすべて厳しい検査を税務署から受けました。

小江戸蔵里
小江戸蔵里
小江戸蔵里の御案内
小江戸蔵里の御案内
〒350-0056 埼玉県川越市松江町1丁目1‐8
〒350-0056 埼玉県川越市松江町1丁目1‐8
出世稲荷神社 (通称 いちょう稲荷神社)
出世稲荷神社 (通称 いちょう稲荷神社)

出世稲荷神社について

出世稲荷神社は、江戸時代(天保2/1832)に、京都の伏見稲荷神社本宮より分祀した神社です。

名前の通り出世の御利益があります!また伏見稲荷同様に、五穀豊穣や商売繁盛の御利益も。

すぐ近くにある賑やかな商店街をよそに、境内はとても静かです。時たま併設された公園から聞こえる、子供たちの声にふと心が和みます。

出典:カワゴエール

火除稲荷大明神
火除稲荷大明神

火除稲荷大明神

連雀町にある火除稲荷は熊野神社から分祠し、正式には正一位火除稲荷大明神と言う。明治初期にはすでにあったようで、明治23年の川越大火の時、ここで火が止まったことでもしられている。

出典:川越観光ナビ

大正浪漫通り
大正浪漫通り

川越大正浪漫夢通り

古き良き大正時代を思わせる情緒あふれる大正浪漫夢通り。通りを歩けば、そこかしこに大正ロマンの風情が漂います。毎日の買い物から、こだわりの逸品、川越観光のお土産などを販売する、個性豊かなお店が軒を並べています。大正ロマンの雰囲気を求めて、テレビや映画の撮影によく使われる商店街です。大正ロマンの風を感じに川越の大正浪漫夢通りへぜひお越し下さい。

出典:大正浪漫夢通り

大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
〒350-0065 埼玉県川越市仲町10‐1
〒350-0065 埼玉県川越市仲町10‐1
鴉山稲荷神社
鴉山稲荷神社
鴉山稲荷について
鴉山稲荷について

鴉山稲荷神社について

歴 史

社説によると、長禄元年(1457)上杉持朝の命によって川越城築城の任にあたった大田道真が、城の櫓より四方を眺めたところ南西を森がさえぎり、富士山が眺望出来ないために、これを伐採させたところ森の中に石祠があり、「源家勝平、怨敵退散、子孫長栄、大願成就、守護、永安三癸巳夭㋃17日願主河島武盛」と記した祈願文が発見された。道真はこれを築城の吉兆としてここに仮宮を建立した。以来、代々藩主の信仰厚く、松平(なり)(つね)の養子斉省(なりさだ)の奉納「鴉山祠」の額が現存している。

当社は塚上にあり、鴉が群摟していたことにより鴉山稲荷神社と称すると云う。また、古くは周囲に塚が多く、中でも鴉山が大きいので、川越7社の第一位としてその名は「親塚稲荷」とも言われる。

また、町内では「お稲荷さん」とも呼ばれ、親しみ大切に信仰され、今も尚、町民全体の文化遺産として伝わり引き継がれている。

平成244月吉日

出典:鴉山神社修復実行委委員会

曹洞宗 榮林寺
曹洞宗 榮林寺
昔懐かしい丸の内線?
昔懐かしい丸の内線?
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川 遊歩道
新河岸川 遊歩道


濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯 紫 公 園
濯 紫 公 園

(たく) () (こう) (えん)

濯紫公園の由来

昔、ここに柳沢吉保の家臣山東小一郎の別荘があり、濯紫園と呼ばれる大変美しい庭園がありました。

その後、唯心という僧がここで唯心庵を営んでいました。

明治2年には水村氏により水車がつくられ、この水車は通称いおりの水車と呼ばれ人々に親しまれていました。

いおりの堰の上流側は子供達の絶好の水泳や水遊び場だったそうです。

その後、新河岸川周辺の農地には住宅が建ち並び、水車も必要とはなくなり取り壊され、川も改修工事によって現在の姿になりました。

この公園は新河岸川の親水拠点として地元の人々と行政が協力し、川と公園を一体的に整備したものです。

この公園の名はかつての(たく)()(えん)にちなみ「(たく)()公園(こうえん)」としました。

平成元年㋂
広済寺
広済寺
〒350-0061 埼玉県川越市喜多町 県道12号線
〒350-0061 埼玉県川越市喜多町 県道12号線
広済寺
広済寺
広済寺 地蔵尊
広済寺 地蔵尊
あごなし地蔵尊
あごなし地蔵尊
広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)
広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)

広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)

歯痛治療を願った地蔵は全国にたくさんあります。腮が無いから歯痛もない歯痛治療を願う故に腮を欠いて建てたと言うのが大筋の理由です。

古くは小野篁802852年平安初期の漢詩人・歌人・参議等が遺唐使渡航失敗や拒否で隠岐な流された折思いを寄せた人の歯痛平癒 のため建てたと言われています。

治癒礼として、「あごなし地蔵様へお願いすると治ります」と言う仮名まじり金釘流の文字で書いた貼り紙を貼ったそうです。

歯痛祈願する習俗は島根・新潟・岐阜・長野・神奈川等に多くこの地蔵尊は、「全国□称地蔵一覧日本寺院名鑑地」に明記されていますが□作年代等の詳細は不明です。

咳(しわぶき)地蔵尊
咳(しわぶき)地蔵尊
広済寺(こうさいじ) 皺(しわ)地蔵(ぶき)尊(さま)
広済寺(こうさいじ) 皺(しわ)地蔵(ぶき)尊(さま)

広済寺(こうさいじ) (しわ)地蔵(ぶき)(さま)

江戸の初め上州厩橋の浪人が北町(喜多町)に住んでいました。

ある夜異様な気配を感じて帰宅し、不思議に思い部屋を見ると片隅に三尺程の石仏らしきものがあったそうです。

翌朝俗家に置くのは如何と思い石仏を広済寺に納めました。

数日後、風邪や喘息で長患の豪商綿屋の娘が石仏に霊感を感じ、荒縄を巻き付け百日間の願掛けをしたところ百日も経たずに全快しました。

お礼にお茶と入り豆を納めましたそうです。

この話が近隣で評判となり風邪、百日咳や咳の病の時には縄で石仏を縛りお参りするとご利益があり、病が治ると縄をほどきお茶と入り豆(明治以降は金平糖をお供えしたそうです。)

広済寺
広済寺
埼玉縣信用金庫川越西支店
埼玉縣信用金庫川越西支店
〒350-0062 埼玉県川越市元町2丁目 高澤通り
〒350-0062 埼玉県川越市元町2丁目 高澤通り
元町休憩所
元町休憩所
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目10‐6
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目10‐6
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目2‐36
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目2‐36
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目 裏宿通り
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目 裏宿通り
さいたま地方裁判所川越支部
さいたま地方裁判所川越支部
川越 氷川神社
川越 氷川神社

川 越 氷 川 神 社

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県川越市宮下町にある神社。太田道灌以来、川越の総鎮守とされ歴代川越藩主の篤い崇敬を受けた。

国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)は毎年10月14日に氷川神社にて斎行される「例大祭」、直後に行われる「神幸祭」や「山車行事(祭礼)」から成り立っている。

氷川神社に古くから伝わる「境内の玉砂利を持ち帰り、たいせつにすると良縁に恵まれる」との言い伝えにちなみ、本殿前の白い玉砂利を巫女が麻の網に包み、神職がお祓いした「縁結び玉」が毎朝8時より20体頒布されている。

毎年、七夕を含む夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ祭事「縁むすび風鈴」で賑わう。

敷地内には、結婚式場の氷川会館があり、埼玉県内では唯一の神社隣接の専門結婚式場として知られる。また、結婚式で執り行われる誓いの儀式「結い紐の儀」は川越氷川神社独自の儀式として商標登録されている。

埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社と区別するため、川越氷川神社と称されることもある。

ソース: 氷川神社 (川越市) – https://ja.wikipedia.org

川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社大鳥居
川越 氷川神社大鳥居

氷川神社大鳥居

明神型・杉材

平成の御代替わりを奉祝し同二年に建立された高さ15㍍の大鳥居は、木製のものとしては国内随一の規模を誇る(笠木の幅20㍍・柱周3.45㍍)中央扁額の社号文字は幕臣勝海舟の直撃によるものである。

川越 氷川神社大鳥居
川越 氷川神社大鳥居
川越市立美術館
川越市立美術館
小江戸川越 観光案内図
小江戸川越 観光案内図

小江戸川越 観光案内図

小江戸川越 観光案内図
小江戸川越 観光案内図
川越富士見やぐら 階段
川越富士見やぐら 階段
川越富士見やぐら
川越富士見やぐら
川越富士見やぐら から 川越高校
川越富士見やぐら から 川越高校
川越富士見やぐら 跡
川越富士見やぐら 跡
喜多院 山門
喜多院 山門

喜多院 山門

国指定重要文化財

山門は、4本の柱の上に屋根が乗る()脚門(きゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。もとは後奈良天皇の「星野山」の刺額が揚げられていたといいます。棟礼を見る寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。

出典:川越大師 喜多院
喜多院 山門
喜多院 山門
仙波東照宮 階段
仙波東照宮 階段
南院(多聞院)
南院(多聞院)
〒350-0044 埼玉県川越市通町1‐5
〒350-0044 埼玉県川越市通町1‐5
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 鳥居
川越八幡宮 鳥居

川越八幡宮

川越八幡宮(かわごえはちまんぐう)は、埼玉県川越市南通町の市街地に鎮座する八幡宮である。

ソース: 川越八幡宮 – https://ja.wikipedia.org

川越八幡宮
川越八幡宮
縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)
縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)
縁むすびイチョウ由来
縁むすびイチョウ由来

縁むすびイチョウ由来

(川越八幡宮御神木)

平成。明仁天皇がお生まれになった御年(昭和81223日生)

川越八幡宮の崇敬者によって男イチョウと女イチョウ二本を植林したが、いつしかその二本の木は寄り添い、一本に結ばれてしまったことに由来する。

固く結ばれた二本の御神木に触れ御守りを身につけ、二度拍手を打つと夫婦円満・良縁に巡り逢うと伝えられている。

良縁祈願・御守りは社務所にお申しつけ下さい。

縁むすびの木 御神木(夫婦イチョウ)
縁むすびの木 御神木(夫婦イチョウ)
クレアパーク(ゴール)
クレアパーク(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

日比谷公園健康運動広場(スタート)→江戸城外堀跡→金刀比羅神社→虎ノ門ヒルズ→南桜公園→東新橋一丁目→旧新橋停車場→日比谷神社→汐留西公園(イタリア街)→イタリア公園下→旧芝離宮恩賜庭園(入園・昼食)→竹芝桟橋→築地市場橋公園(ゴール)

第23回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
NPO・東京都ウオーキング協会

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スライドショー(第23回  日比谷街角ウォーク“街角に楽しさを探して”NPO・東京都ウオーキング協会2018.08.18(土))
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1 内堀通り
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1 内堀通り
祝田橋交差点
祝田橋交差点
祝田橋 日比谷公園入口
祝田橋 日比谷公園入口
日比谷公園 水飲み
日比谷公園 水飲み

日比谷公園 水飲み

日比谷公園 水飲み
日比谷公園 水飲み

この水飲みは、日比谷公園開設当時(昭和36年)のものです。

(ちゅう)鉄製(てつせい)で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。

また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。

日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 サルスベリ(百日紅)
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇

ルーパロマーナ
(ローマの(めす)(おおかみ)

この彫像は、昭和13年にイタリアから東京市に寄贈されたもので、ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス、メルス兄弟の有名な伝説に基づいた像です。幼い兄弟は、祖父を殺し王位を奪ったアムリウスによってチベル河に流されましたが、忽然と現れた一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長し、成人した兄弟は祖父の仇を討ちローマを統一したと言われています。

日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 第一花壇
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 売店横 大雪山
日比谷公園 健康広場
日比谷公園 健康広場
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 都道301号線
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 みどりの図書館東京グリーンアーカイブス
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1 みどりの図書館東京グリーンアーカイブス
西幸門前交差点
西幸門前交差点
西幸門前交差点
西幸門前交差点
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
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〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 都道301号線
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霞が関三丁目交差点
霞が関三丁目交差点
霞が関三丁目交差点
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〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目3 桜田通り
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史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣
史跡 江戸城外堀跡の石垣

史跡 江戸城外堀跡の石垣

正面の石垣、虎ノ門から続く江戸城外堀の一部です。この石垣は、寛永13年(1636)に築かれたものですが、部分的に不揃いな積み方があることから、数度も改修されたと考えられます。石垣には石を割った矢穴や構築大名を示す刻印がみられます。

もともとこの堀は、石塁として高さ9mほどの石垣が続いていましたが、現在はその一部が点在して残るだけです。ここでは、長さ20m、高さ7.4mの石垣をすべて保存したうえで一部埋め戻して、変形をきたした石垣を伝統技法によって旧態に戻す解体修理を実施しました。

この展示室と旧庁舎中庭石垣では、外堀の堀底および推定される水面の高さを表示し、正面の石垣は水面からそびえる石垣の姿を再現しました。当敷地内には3カ所で石垣を公開するとともに、石垣のラインを表示しました。これによって、江戸城外堀跡と現代の街区との比較が現地で確認できます。積替の石は同じ外堀の丸の内一丁目遺跡のものを使用しました。

霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲートの階段
霞が関コモンゲート 中央広場
霞が関コモンゲート 中央広場
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3丁目8 外堀通り
〒100-0013 東京都千代田区霞が関3丁目8 外堀通り
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮

虎ノ門金刀比羅宮

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、東京都港区虎ノ門一丁目にある神社。敷地内には、金刀比羅宮との複合施設として高層オフィスビルの虎ノ門琴平タワーがあり、社務所や神楽殿といった施設と一体化している。

ソース: 金刀比羅宮 (東京都港区) – https://ja.wikipedia.org

虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門金毘羅宮
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
虎ノ門ヒルズ 森タワー
東京都港区 環二通り
東京都港区 環二通り
南桜公園
南桜公園
南桜公園
南桜公園
南桜公園と南桜小学校
南桜公園と南桜小学校

南桜公園と南桜小学校

関東大震災後の帝都震災復興事業により、昭和3年に、鉄筋コンクリート造の新しい南桜小学校が竣工し、翌年には、隣接して南桜公園が開園しました。

昭和20年の空襲の戦禍を逃れ、たくさんの子ども達が巣立ち、長い間地域の方々に親しまれた校舎でしたが、南桜公園の拡張整備のため、解体されました。

公園の中には、小学校敷地にあったソメイヨシノ、二宮尊徳像、石碑が当時の思い出を偲ぶものとして保存されています。

 

小学校の歴史

明治10年 この地区の近くに前身である「第二中学区第28番公立小学校櫻田女学校」が開校する(児童数160名)。

明治24年 校名が「南櫻尋常高等小学校」に変わり、男子も加わ

る(児童数200名)

大正12年 関東大地震

昭和39年 西桜小学校と南桜小学校を統合し、「桜小学校」開校。

平成3年 統廃合により桜小学校。桜、鞆絵(ともえ)、桜田の各

小学校を統合し、「御成門小学校」開校。

平成21年 旧桜小学校校舎解体。

平成22年 校舎跡地が南桜公園となる

(「港区教育史」ほか より)

〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目4‐3
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目4‐3
〒105-0004 東京都港区新橋4丁目 環二通り
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東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
東新橋一丁目(旧日比谷神社前)交差点
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港区東新橋一丁目2番地
港区東新橋一丁目2番地

港区東新橋一丁目2番地

港区東新橋一丁目2番地
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旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
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0哩標識
0哩標識
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0哩標識
プラットホーム
プラットホーム

(ぜろ)(まいる)標識

1870425日(明治3325日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)年に日本の鉄道発祥の地 として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958(昭和33)年1014日、旧国鉄によって「0哩標識は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年512日、「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。

創業時の線路

創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は恋しや砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地上に出ていました。レール断面は上下対象のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、乗ろこの枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年イギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われた跡、新潟柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両方から寄贈いただきました。

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室

プラットホーム

構造

プラットホームは「盛土式(もりどしき)石積(いしづみ)」という構造で作られています。

両側面の真下には、溝状に地面を掘って基礎石を敷詰め、その上に切石を石垣のように積んで土留め壁が作られ、内側には土が詰められました。基礎石には龍野藩(たつのはん)脇坂家・仙台藩伊達家領屋敷の礎石などが使われました。切石は笠石を含めて6段あり、地表には笠石を含めた上3段が出ていました。最下段部分は小口面(こぐちめん)を揃えて横に並ばせ、2段目から小口面と長手面(ながてめん)を交互に並べて積んでいます。ただし、一律的に小口面と長手面が交互になっているわけではなく、23段目では小口面が続く個所もあり、45段目では長手面が並ぶ個所もあります。

 

規模

プラットホームの全長は151.5m、幅は9.1mありました。再現されたのはそのうち駅舎寄りの25mです。遺跡指定の範囲に残されているプラットホームの遺構は35mです。

日本、〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
日本、〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
日比谷神社
日比谷神社
〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
〒105-0021 東京都港区東新橋1丁目5 都道481号線
日比谷神社
日比谷神社

日比谷神社

日比谷神社(ひびやじんじゃ)は、東京都港区東新橋にある神社である。

豊受大神(稲荷神)・祓戸四柱大神(瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神)を祀る。旧称 日比谷稲荷明神。氏子地域には汐留も含まれる。

ソース: 日比谷神社 – https://ja.wikipedia.org

〒105-0021 東京都港区東新橋2丁目3‐14
〒105-0021 東京都港区東新橋2丁目3‐14
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目1 都道481号線
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)は、東京都港区海岸にある都立庭園。大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。

ソース: 旧芝離宮恩賜庭園 – https://ja.wikipedia.org

旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
海水取入口跡
海水取入口跡

海水取入口跡

「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路です。

水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られます。

現在は海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっています。

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
九尺(きゅうしゃく)台(だい)(九(きゅう)盈(えい)台(だい))
九尺(きゅうしゃく)台(だい)(九(きゅう)盈(えい)台(だい))

九尺(きゅうしゃく)(だい)(きゅう)(えい)(だい)

「九尺」とは高さ、「盈」とは水や月が満ちるという意味です。

海の波打際に造られたこの高台は、いつ造られたものか不明ですが明治天皇が明治8年にこの庭園に行幸された際、この台上から、海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれたところです。

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
石(せき)  柱(ちゅう)
石(せき)  柱(ちゅう)

(せき) (ちゅう)

この石柱は」、小田原北条家」に仕えた戦国時代の旧邸から運ばれた門柱です。

ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています。

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

(せき) (ちゅう)

この石柱は」、小田原北条家」に仕えた戦国時代の旧邸から運ばれた門柱です。

ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています。

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

(かれ) (たき) (いし) (ぐみ)

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

沿革

小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割りと石組は秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(16551658)の頃に埋め立てられ、延宝(1678)年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。

その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川の芝御屋敷となりました。明治41871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同81875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正121923)年関東大地震によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌131924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。昭和54年(1979)年6月に「旧芝離宮庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定されています。

 

入園のご案内

開園時間:午後9時~午後5時(入園は430分まで)

休園日:1229日~11

 旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

沿革

小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割りと石組は秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(16551658)の頃に埋め立てられ、延宝(1678)年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。

その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川の芝御屋敷となりました。明治41871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同81875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正121923)年関東大地震によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌131924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。昭和54年(1979)年6月に「旧芝離宮庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定されています。

 

入園のご案内

開園時間:午後9時~午後5時(入園は430分まで)

休園日:1229日~11

〒105-0022 東京都港区海岸1丁目4‐3
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東京都 首都高速都心環状線
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浜離宮恩賜庭園・中の御門
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浜離宮恩賜庭園 へようこそ
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へようこそ

 

中の御門

 

午前9時から

開園いたします。

閉演中の立ち入りは出来ません。

東京都中央卸売市場
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築地四丁目交差点
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築地四丁目交差点
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