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桃華楽堂(皇居東御苑)
昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。
出典:東京とりっぷ
江戸城 天守台
徳川家康の入城以来、江戸城では、慶長度天守(1607年)、元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は、地上からの高さが約58mあったといわれています。
この天守台は、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が下され、この天守台には天守が建てられないままになりました。
江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守がない状態が210年間続いたことになります。
江戸城本丸御殿
この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥には将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。
竹林
この竹林は上皇陛下のお考えから、平成8年(1996年)に整備されました。
昭和天皇がそのお印であった「若竹」にちなみ喜寿の記念等に宮内庁職員から送られ、吹上御殿にお植えになっていたものを、こちらに移したもです。日本と中国の竹・笹類13種類が植えられています。
石室
この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが、火事などの非常の際に、大奥用の稠度などの避難場所と考えられています。
江戸城 富士見多聞櫓
「多聞」は、長屋作りの防御施設です。
江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在の富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。「御休息所前多聞」とも呼ばれています。
二の丸池
この二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、アサザの4種類の水生植物が生育しています。初夏から秋にかけて水面を覆い、それぞれ黄色や白色の花を咲かせます。アサザは赤坂御用地の池から株を移したものです。
菖蒲田
この菖蒲田には、84品種のハナショウブが植えられています。皇居東御苑造成中の昭和41年(1966)に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。
江戸城 百人番所
江戸城本丸への道を厳重に守る中之門に向き合って設けられた警備詰所です。甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は20人の与力と、100人の同心で構成されていました。