和光市駅南口(スタート)→稼ぎ坂→一乗院平等寺→旧脇本陣・村田屋敷・膝折宿→庚申塔右「かごや坂」・左「たびや坂」→横町の六地蔵→ふるさと新座館・昼飯→大和田宿・観音堂→英橋→富士塚→東武東上線 鶴瀬駅西口(ゴール)

第149回例会 川越・児玉往還道を歩く パート ②14㎞ 東武東上線 和光市駅 南口~鶴瀬駅 西口

第149回例会
川越・児玉往還道を歩く パート
②14㎞ 東武東上線
和光市駅 南口~鶴瀬駅 西口

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スライドショー(第149回例会 川越・児玉往還道を歩く パート ②14㎞ 東武東上線 和光市駅 南口~鶴瀬駅 西口2019.01.12(水))
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
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和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市駅南口(スタート)
和光市本町
和光市本町
和光市駅入口
和光市駅入口
和光市本町25
和光市本町25
朝霞市幸町2丁目
朝霞市幸町2丁目
一乗院平等寺
一乗院平等寺

並流山一乗院平等寺

並流山一乗院平等寺が正式名称で、通称膝折の「一乗院」と呼ばれている。一乗とは唯一無二の教えである仏教を、大きな乗り物で多くの人々とに菩提(悟り)を得て行こうという意味です。文明18年(1486年)に京都聖護院門跡の道興准后が「廻国雑記」で、「商人は いかで立つらん膝折の市にかっけ(脚籠)を売るにぞ有ける」と、膝折の地名をかっけ(脚籠)の掛け言葉にして詠んでいるように、市が開かれ膝折集落が賑わっていた。

出典:真言宗智山派 並流山 一乗院平等寺

一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺
一乗院平等寺

横山久子先生の碑について

朝霞市立朝霞第一小学校の前身である(ひざ)(おり)学校は、明治5年に「学制」が配布されて間もなく、明治7年(1874年)530日に、ここ一乗院を仮校舎として開校しました。その後明治19年に校名を知新(ちしん)学校と改め、明治22年に膝折小学校と改称されました。明治36年(1903年)に新校舎が出来て移転するまでの、約30年間ここにありました。横山(よこやま)久子(ひさこ)先生がここで教鞭をとらえたのは、明治20年前後と思われます。

この碑の題額を書かれた高辻(たかつじ)(おさ)(なが)という人は、菅原(すがわら)(みち)(ざね)(天神さま)の子孫で、平安時代後期に高辻家を創立、代々漢籍を扱う紀伝(きでん)(どう)の家で、文章(ぶんじょう)博士(はかせ)でした。修長は明治天皇に漢籍を進講し、侍従を勤め、明宮(はるのみや)(のちの大正天皇)の御用掛となり、のちに東宮亮、皇太后宮(こうたいごうぐう)(すけ)、東宮侍従長、宮中顧問官等を歴任し、大正10年(1921年)6月に82歳で死去されました。(正二位勲一等子爵)

次に、この碑の碑文(漢文)の拙い「読み下し文」を掲げて、久子先生の遺徳を偲ぶことにいたします。

東宮(とうぐう)(すけ)正三位勲四等子爵高辻修長題額

横山久子之碑文

(およ)そ世の尤物(ゆうぶつ)と称するは、花卉(かき)麗色禽(れいしょくきん)(ちゅう)の清音の(ごと)く、皆凋衰(ちょうすい)(やす)し。夭折(ようせつ)にして人をして(つね)愛惜(あいせき)せしむ。()(じん)(せい)(しゅう)は殊に似て然りとなす。(じょう)名は久子、姓は横山氏、東京赤坂田町某の長女なり。姓明敏(めいびん)篤実(とくじつ)、年19にして千葉東(ち ば とうめい)()す。当時氏は某学校に教授し、(ゆえ)を以て嬢を得。その薫陶(くんとう)大悟(だいご)する所あり。是れより奮発して日夜諸学校を修め、刻苦(こっく)(れい)(せい)その業大いに進み、遂に決意して埼玉県教員試間に応ず。当時女流(じょりゅう)之に応ずる者極めて異数(いすう)たり、して甲科に及第(きゅうだい)するを得。()いで上保谷(かみほうや)及び黒目、膝折の三校に歴任す。懇篤(こんとく)叮嚀(ていねい)子女(しじょ)を教導し、殆ど十有余年にして徳望漸く加わる。嬢丁年(ていねん)学に志し、(にわ)かにその意を達したるは、夫子(ふうし)誘掖(ゆうえき)()ると(いえど)も、自ら誠意刻苦して()(ここ)に至るに非ずや。然りと雖も天之に寿(じゅ)を与えず。中道(ちゅうどう)にして()く。悲しい(かな)(すう)(きょう)の子女之が堤誨(ていかい)(おし)む者、愛惜痛悼(あいせきつうどう)せざる無し。嬢の死するや実に明治2394日、年(わず)32(ここ)に於て有志の者相(はか)り、醵金を()って一碑石を其の墳上(ふんじょう)()て、以て嬢の(せい)(へい)不朽(ふきゅう)()す。嬢、姿態婉嫣(したいえんえん)儀容(ぎよう)(せつ)有りて(おか)すべからざるものの如し。して書・数以外裁縫(さいほう)に至る等の技芸(ぎげい)、一として通暁(つうぎょう)せざるは無し。而も殊に唱歌の玄妙(げんみょう)を極め、その音節の嚠喨(りゅうりょう)、一たび()かば(なお)耳底に存するが如し。(むべ)なるかな、子女の追慕忘るる(あた)わずして、嬢に報ゆる所以(ゆえん)は是に於てか在り。碑成りて、(めい)()(しょく)す。余嬢の無年(むねん)(いた)み、其の碑の()つる挙げて有義を喜ぶなり。(よっ)て之に銘して(いわ)く、

至誠(しせい)人に感じ 歌を(そう)して神泣く 生きて寿(じゅこう)

死して千春有り ああ一片の石 此の貞珉(ていびん)に表す

省 略

横山久子先生は、当時膝折47番の鹿酉屋と言われる現在の膝折町1丁目1314号の高麗家の離れに寄宿しておりました。

因みに法号は「開発院音楽教久大姉」を授与されております。

平成12年(2000年)1212

並流山一乗院住職 三十二世秀弘代

 

◎注

・黒目学校は、新座市立片山小学校の前身

・保谷学校は、保谷市立保谷小学校の前身

・明月学校は、三鷹市立第一小学校の前身

・千葉東美蓂先生は、上保谷学校・黒目学校・膝折学校の校長

・渡辺貞治先生は、新輝学校(朝霞第二小学校の前身)及び黒目学校の校長

・高浦勝蔵先生は、膝折学校の教頭

・西尾太六先生は、膝折学校の校長

・比留間弥太郎先生は、新輝学校の校長

・森田弥三郎は、目黒学校の校長

・加藤彦右衛門先生及び蓮見彦三郎先生は、保谷学校(上保谷学校、芳谷学校)の校長

・清水勘次郎先生は、明月学校の校長

◎字解

尤=美女

凋衰=しぼみおとろえること

夭折=わかじに

至人=道を修めてその極致に達した人

帰す=よめいりすること

故を易以て=わけがあって

大悟=大いなるさとり

勵精=精神をふるいはげます

異数=他に例のないこと

尋いで=間もなく

丁年=満20

誘掖=導き助ける

提誨=ねんごろに教えさとす

生平=平素

婉嫣=しとやか(あでやか)で美しい

儀容=礼儀にかなった姿。容儀

玄妙=幽玄で微妙なこと

嚠喨=さえわたっているさま

=忘の古字

宜なるかな=まことにもっともである

寿考=長生き

貞珉=かたくて美しい石。石碑の材料となることから石碑のことをいう

一乗院平等寺
一乗院平等寺

一 乗 院 茶 略 縁 起

当山は山号を並流山、院号を一乗院、寺号を平等寺と称する。弘法大師空海上人によって平安時代に立教開宗された真言密教の法燈を斟み、京都東山の智積院を総本山とし、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の三大本山と、全国3千ヶ寺に及ぶ寺院を以て組織される真言宗智山派に属する寺院である。御本尊様は、十一面観音菩薩で、御顔が十一の面からなり、あらゆる方向に顔を向けて苦しむ衆生を見逃す事なく救ってくれるという誓願を戴く仏様である。

門開は寺伝によると「古来人二依ッテ成ル」とされ「716年(霊亀2年)駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野ノ七国ノ高麗人、1799人が武蔵国(現在の入間付近)ニ移住シ、高麗郡ガ置カレタ。ソノ後戦乱アリテ高麗ノ城陥レリ時、主将某ハ敵ノ為ニ討レ畢ヌ。家臣五人遁レテ落人トナリ此ノ膝折ノ地ヘ来レリ、其頃ハ只原野ナリ。彼ノ五人ノ者カヲ合ワセテ遂ニ家ヲ作リ居住ノ地トセリ、高麗氏ヲ家號トセル者アリ、ソノ時乱世ノ平和ニ立チ還エル事ヲコイ希イ、且世ノ人々ノ後世ト縁者ノ菩薩ヲ願イテ守リ本尊タル十一面観音菩薩ヲ勧請安置シ一宇ヲ建立ス」というのが起源とされ当時は観音寺と呼ばれていた。

その後星移り物替って南北朝時代の初期に宇治の尊師に依って間口七間奥行五間の本堂が建立された。〔現在の住職よりも東北百米の地で板碑百四十基が点在した場所、因に板碑は、1350年(元和3年)より1480年(文明12年)が現存〕序で本堂前に稲荷社を配し右手に地蔵堂、左手に大日堂が安置された。更に西に持明院を有し、その奥手に阿弥陀堂(現在の閣魔堂)が建立された。安政年間(1817年頃)に二度に亙って火災遭遇し客殿、大日堂等を焼失する。現在の山容は大戦後照與(中興)に依って定まれる。

夕ぐれに いちじょういんの鐘の音が

佛のめぐみしみじみときく 照與作

(一乗院詠歌より)

第三十二世 秀弘 敬白

朝霞市膝折町2丁目3 県道79号線
朝霞市膝折町2丁目3 県道79号線
高麗家住宅(膝折宿 脇本陣)
高麗家住宅(膝折宿 脇本陣)
膝折町一丁目交差点 周辺
膝折町一丁目交差点 周辺
膝折町一丁目 黒目川
膝折町一丁目 黒目川
膝折町一丁目 黒目川
膝折町一丁目 黒目川
野火止下交差点
野火止下交差点
野火止大門交差点
野火止大門交差点
ふるさと新座館
ふるさと新座館

ふるさと新座館

ふるさと新座館は4つの機能を持った複合施設です。ホールは講演会やコンサート、ダンスの発表会などの催しごとに御利用いただけます。また野火止公民館では、各種の学級・講座・教室を開催しており、サークル活動や学習の場としてもご利用いただけます。

出典:新座市

ふるさと新座館
ふるさと新座館
ふるさと新座館交差点
ふるさと新座館交差点
野火止上交差点
野火止上交差点
新座市野火止5丁目5−6
新座市野火止5丁目5−6
鬼鹿毛の馬頭観音
鬼鹿毛の馬頭観音

鬼鹿毛の馬頭観音

旧川越街道沿い、大和田と野火止の境に、石造の馬頭観音さまが建っています。元禄91696)年の銘文がある三面六臂の馬頭観音は、この地区の人たちによって、鬼鹿毛さまと呼ばれていて、名馬鬼鹿毛にまつわる伝説が伝えられています。

 

「昔、秩父の小栗という人、江戸に急用があって、愛馬鬼鹿毛に乗り道を急ぎました。大和田宿に入ると、さすがの鬼鹿毛も疲れが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れました。しかし、さすがは名馬、ただちに起きあがり主人を目的地まで届けたといいます。所用を終えた主人が先ほど馬をとめたところまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えません。不思議に思いましたが仕方なく家路を急ぎました。やがて、大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡きがらを見つけました。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたのでした。村人は、のちに鬼鹿毛の霊を弔って馬頭観音を建てたといいます。これが「鬼鹿毛の伝説」です。

出典:新座市

鬼鹿毛の馬頭観音
鬼鹿毛の馬頭観音
鬼鹿毛の馬頭観音
鬼鹿毛の馬頭観音

市指定有形民俗文化財 (おに)鹿毛(かげ)馬頭(ばとう)観音(かんのん)

平成2510日指定

昔、秩父の小栗(おぐり)という人、江戸に急用があって、愛馬鬼鹿毛に乗り道を急ぎました。大和田(おおわだ)宿に入ると、さすが鬼鹿毛もつかれが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れました。

しかし、さすがは名馬、ただちに起きあがり主人の目的地まで届けたといいます。所用(しょよう)を終えた主人が先ほど馬をとめたところまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えません。

不思議に思いましたが仕方なく家路を急ぎました。

やがて、大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の()きがらを見つけました。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたのでした。

村人は、のちに鬼鹿毛の霊を(とむらう)って馬頭観音を建てたといいます。これが「鬼鹿毛の伝説」です。

鬼鹿毛の馬頭観音は、元禄9年(1696)に建立(けんりつ)され、市内では最古・最大の石造(せきぞう)の馬頭観音です。

(ぞう)(だか)は、約127㎝で、三面六臂(さんめんろっぴ)(三つの顔と六つのひじ)の丸彫立像です。

平成312

文化財を

大切にしましょう

出典:新 座 市 教 育 委員会

新座市文化財保護審議委員会

鬼鹿毛の馬頭観音
鬼鹿毛の馬頭観音

(かわ) (ごえ) (かい) (どう)

川越街道は、川越往還(おうかん)と呼ばれ、江戸(えど)日本橋(にほんばし)から、川越まで、約11里を結び、()街道(かいどう)と並ぶ重要な道でした。江戸時代、川越は、江戸の北西を守る(かなめ)となり、藩主には、老中(ろうじゅう)格の譜代(ふだい)大名(だいみょう)が配されました。又、家康以下、三代将軍も、鷹狩(たかがり)参詣(さんけい)にこの街道を往来し、松平(まつだいら)信綱(のぶつな)が、川越城主となってからは、さらに整備されるようになりました。

街道には、上板(かみいた)(ばし)下練馬(しもねりま)白子(しらこ)(ひざ)(おり)大和田(おおわだ)大井(おおい)の六か宿が設置され、人馬の往来が盛んでしたが、各宿場の村にとって、伝馬役(てんまやく)の負担も大きかったようです。

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)」によると、大和田町は、

郡の西にあり。江戸より六里余。村内東西を貫きて、川越街道一里許係(ばかりかか)れり。この街道を西行すれば、入間郡(いるまぐん)竹間(ちくま)(さわ)村に至り、東行すれば、郡内野火(のび)止宿(とめしゅく)に至れり。

と述べられ、街道沿いには、人馬にまつわる伝説や道標(みちしるべ)が残り、往時の宿場のにぎわいが、しのばれます。

平成6年3月

文化財を

大切にしましょう

出典:新 座 市 教 育 委員会

新座市文化財保護審議委員会

新座市大和田1丁目13
新座市大和田1丁目13
新座市立大和田公民館
新座市立大和田公民館
新座市立大和田公民館
新座市立大和田公民館

新座市立大和田公民館

公民館やコミュニティセンターでは、市民の生活、文化、教養を高めるため、各種の学級・講座・教室を開設しています。また、サークル活動や学習の場としてもご利用いただけます。

   公民館活動は、人づくり、仲間づくりから地域づくり、まちづくりへと発展していく生涯学習活動の「場」です。皆さんのご利用、ご活用をお待ちしています。

 

1階:軽体育室、和室、ロビー、児童室、事務室、図書室(分館)

2階:研修室、会議室、実習室、暗室

出典:新座市役所

新座市立大和田公民館
新座市立大和田公民館

大和田東裏地区計画

施 行 日 昭和61107

新座市公示 第164

青線の区域内は、うるおいとゆとりある

緑豊かなまちづくりをめざして

地区計画を実施しています。

 

緑線の区域内で建築物を建築したり、工作物を建設する等の一定の行為を行う場合は、工事着手30日前までに新座市長に届出をしなければなりません。

 

新座市立大和田公民館
新座市立大和田公民館

新座市健康平和都市宣言

“にいざ”って どんなまち

さわやかな風が息吹き

楽しい語らいが聞こえ

笑顔のあふれるまち

 

わたしたちは

緑にいこい

すこやかな心とからだ

育てます

平和を愛し

自由にで明るいまち

築きます

 

ふれあいを大切に

協力と助け合い

広げます

 

そして こどもたちに

バトンタッチ

健康で平和な

住み良いまちを

昭和6364

新座市大和田4丁目-3
新座市大和田4丁目-3
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
至英インターチェンジ
英インターチェンジ
英インターチェンジ
英インターチェンジ下 トンネル
英インターチェンジ下 トンネル
新座市中野2丁目13−24
新座市中野2丁目13−24
川越街道
川越街道

川 越 街 道

三芳町商工会青年部

入間郡三芳町藤久保 国道254号線
入間郡三芳町藤久保 国道254号線
入間郡三芳町藤久保 県道334号線
入間郡三芳町藤久保 県道334号線
入間郡三芳町藤久保 県道334号線
入間郡三芳町藤久保 県道334号線
鶴瀬駅西口(ゴール)
鶴瀬駅西口(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

クレアパーク(スタート)→蔵里(WC)→蔵造りの町並み→川越城中ノ門堀跡→川越城本丸御殿→初雁公園(WC)(教室)→七曲がり→通町→喜多院(WC)→新河岸川→仙波河岸史跡公園(WC)→愛宕神社→川越駅(ゴール)

川越わくわくウオーキング教室 NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅢ

川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅢ
・蔵造りの町並み
・川越城本丸御殿
・仙波河岸史跡公園

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スライドショー(川越わくわくウオーキング教室 NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅢ・蔵造りの町並み・川越城本丸御殿・仙波河岸史跡公園2018.11.28(水))
クレアモール
クレアモール
川越市新富町1丁目10
川越市新富町1丁目10
川越市新富町1丁目8−5
川越市新富町1丁目8−5
出世稲荷神社
出世稲荷神社

出世稲荷神社について

出世稲荷神社は、江戸時代(天保2/1832)に、京都の伏見稲荷神社本宮より分祀した神社です。

名前の通り出世の御利益があります!また伏見稲荷同様に、五穀豊穣や商売繁盛の御利益も。

すぐ近くにある賑やかな商店街をよそに、境内はとても静かです。時たま併設された公園から聞こえる、子供たちの声にふと心が和みます。

出典:カワゴエール

市指定・天然記念物

イ チ ョ ウ

いちょう窪の出世稲荷の公孫樹として名声がある。

向かって右は幹回り(目通り)5.67m、根回り7.6m、左は幹回り7.25m、根回り9.7mあり、二本とも樹高は約26.5m。

樹齢は650余年と推定され、みごとな美しさと枝張りを示し、樹勢もきわめて旺盛である。

公孫樹は、日本と中国の一部に産するイチョウ科を代表する落葉樹で、秋にはあざやかに黄葉する。

雌雄異株で、種はいわゆるギンナンで食用となる。

昭和3336

川越市教育委員会

熊野神社
熊野神社

川越 熊野神社

室町時代に紀州熊野本宮大社から分祀された開運・縁結びの神社。境内には、本殿や拝殿、神楽殿の他、歌碑がある。

出典:熊野神社

熊野神社
熊野神社
川越市連雀町
川越市連雀町
蓮馨寺
蓮馨寺

蓮 馨 寺

蓮馨寺は、埼玉県川越市連雀町にある浄土宗の寺院である。山号は孤峰山。院号は宝池院。本尊は阿弥陀如来。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蓮馨寺
蓮馨寺
川越市仲町3−8
川越市仲町3−8
まめ屋 小江戸川越店
まめ屋 小江戸川越店

小江戸 まめ屋

山崎美術館
山崎美術館

公益財団法人 山崎美術館

橋本雅邦画伯

橋本雅邦画伯は、川越藩のお抱え絵師橋本晴園養師の子息にて、画道に勝れ、日本革新の先覚者であり明治時代における我が国画壇の最長老であります。

依って、郷土川越の有志が集まり、明治32(1899)画宝会を結成し、先生のご力作の頒布をいただきました。

山崎家4代目故山崎豊翁は、同会の幹事として率先活躍するとともに、画伯から受けた作品をすべて大切に保管し、これを子孫に伝承させたものであります。

併し、子孫としては、社会公益の為、一般に広く鑑賞を仰ぎ、以って美学向上の資料に供するに、如かずと考え、ここに翁の誕生150年を記念し、昭和57年文化の日に山崎美術館を発足いたしました。

より多くの方々のご利用を切にお願いします。

出典:公益財団法人 山崎美術館

川越市仲町6−2
川越市仲町6−2
川越市仲町6−2
川越市仲町6−2
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
一番街 蔵造りの町並み
時の鐘 (川越市)
時の鐘 (川越市)

時の鐘

時の鐘は、埼玉県川越市の中心部、幸町北部の蔵造りの街並みに建てられている鐘楼。建物は、川越市指定有形文化財に指定されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小江戸川越 いも釜めし『翠扇亭』
小江戸川越 いも釜めし『翠扇亭』
川越市元町1丁目11
川越市元町1丁目11
川越市役所
川越市役所
川越市元町1丁目11
川越市元町1丁目11
川越市役所
川越市役所
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越市元町1丁目11
川越市元町1丁目11

川越城と中ノ門堀

川越城は、長禄元年(1457)に扇谷上杉持朝の家臣である太田道真・道灌父子によって築城されました。

当時、持朝は古河公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡る攻防の渦中にあり、川越城の築城はこれに備えたものです。

天文6年(1537)、小田原を本拠とする後北条氏は川越城を攻め落とし、同15年の河越夜戦によって北武蔵への支配を盤石なものとします。

しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略に際しては前田利家に攻められて落城します。

江戸時代になると、川越城は江戸の北の守りとして重視され、親藩・譜代の大名が藩主に任じられました。

寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は城の大規模な改修を行い、川越城は近世城郭として体裁を整えるにいたりました。

中ノ門堀はこの松平信綱による城の大改修の折に造られたものと考えられます。まだ天下が治まって間もないこの時代、戦いを想定して作られたのが中ノ門堀だったのです。

現在地のあたりには、名前の由来となった中ノ門が建てられていました。多加谷家所蔵の絵図によれば、中ノ門は2階建ての櫓門で、屋根は入母屋、本瓦葺き1階部分は梁行152寸(4.605m)、桁行3031分(9.183m)ほどの規模でした。

棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていました。

 

※本整備工事は、国土交通省まちづくり交付金・埼玉県観光資源魅力アップ

事業の補助を受けて実施しました。

 

川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡

川越城と中ノ門堀

川越城は、長禄(ちょうろく)元年(1457)に扇谷(おうぎがやつ)上杉(もち)(とも)の家臣である太田(どう)(しん)道灌(どうかん)父子によって築城されました。

当時、(もち)(とも)古河(こが)公方(くぼう)足利(しげ)(うじ)と北武蔵の覇権を巡る攻防の渦中(かちゅう)にあり、川越城の築城はこれに備えたものです。

天文(てんぶん)6年(1537)、小田原を本拠とする後北条(ごほうじょう)氏は川越城を攻め落とし、同15年の河越夜戦によって北武蔵への支配を盤石(ばんじゃく)なものとします。

しかし、(てん)(しょう)18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略に際しては前田利家に攻められて落城します。

江戸時代になると、川越城は江戸の北の守りとして重視され、親藩(しんばん)譜代(ふだい)の大名が藩主に任じられました。

寛永(かんえい)16年(1639)に藩主となった松平信綱(のぶつな)は城の大規模な改修を行い、川越城は近世城郭として体裁(ていさい)を整えるにいたりました。

中ノ門堀はこの松平信綱による城の大改修の折に造られたものと考えられます。まだ天下が(おさ)まって間もないこの時代、戦いを想定して作られたのが中ノ門堀だったのです。

現在地のあたりには、名前の由来となった中ノ門が建てられていました。多加(たが)()家所蔵の絵図によれば、中ノ門は2階建ての櫓門(やぐらもん)で、屋根は入母屋(いりもや)、本瓦葺き1階部分は(はり)(ゆき)152寸(4.605m)、(けた)(ゆき)3031分(9.183m)ほどの規模でした。

棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間(きま)を備えた土塀が巡っていました。

 

※本整備工事は、国土交通省まちづくり交付金・埼玉県観光資源魅力アップ

事業の補助を受けて実施しました。

 

川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀
川越城中ノ門堀
川越城中ノ門堀しくみ
川越城中ノ門堀しくみ

中ノ門堀のしくみ

中ノ門堀は戦いの際、敵が西大手門(市役所方面)から城内に攻め込んだ場合を想定して造られています。

西大手門から本丸(博物館方面)をめざして侵入した敵は中ノ門堀を含む3本の堀に阻まれて直進できません。

進撃の歩みがゆるんだところに、城兵が弓矢を射かけ鉄砲を撃ちかけるしくみでした。

また、発掘調査ではす城の内側と外側で堀の法面勾配が異なることがわかりました。

中ノ門堀の当初の規模は深さ7m、幅18m、東側の法面勾配は60度、西側は30度でした。

つまり、城の内側では堀が壁のように切り立って、敵の行く手を阻んでいたのです。

明治時代以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊される中、中ノ門堀跡は旧城内に残る唯一の堀跡となりました。

川越城の名残をとどめるこの堀跡を保存してゆこうという声が市民の間から起こり、川越市では平成2021年度に整備工事を行いました。

川越市立博物館
川越市立博物館

川越市立博物館

川越市立博物館は、埼玉県川越市の川越城二の丸跡に建設された川越市立の博物館。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川越市郭町2丁目12
川越市郭町2丁目12
川越市郭町2丁目25−7
川越市郭町2丁目12
川越市郭町2丁目25−7
川越市郭町2丁目25−7

(はつ) (かり) (こう) (えん)

旧川越城本丸跡で、本丸御殿などの史跡も数多くあり、隣接する博物館、美術館とともに観光コースともなっています。また、ナイター設備のある野球場、夏季に開園するプールなどスポーツ施設があります。

野球場は、高校野球の予選会場としても利用されており、開催期間中は選手や関係者など多くの人で賑わいます。

出典:川越市公園管理事務所

初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)
初雁公園(WC)(教室)

三芳野神社

三芳野神社は、埼玉県川越市郭町の神社。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。平成元年に大修理が行われ、平成4年に完成。埼玉県指定文化財。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三芳野神社
三芳野神社

川越城 富士見(ふじみ)(やぐら)(あと)

所在地 川越市郭町二丁目

 

御嶽(おんたけ)神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。

櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に(ひし)櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣(てんしゅかく)の代わりとなっていたと思われる。

今日では、木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。

元来、城の構造及び建造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることはなく、正確な規模は分からないが、江戸末期の慶応(けいおう)2年(1866)に川越城を測量した記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約15m)、横八間(約14m)あったと記されている。

 

昭和573

出典:埼玉県

川越城 富士見櫓跡
川越城 富士見櫓跡
川越城 富士見櫓跡
川越城 富士見櫓跡
川越市三久保町1−5
川越市三久保町1−5
川越市松江町1丁目20−8
川越市松江町1丁目20−8

七曲がり周辺((かさ)(もり)神社)

成田山川越別院のほど近く。県道15号線から1本路地に入って行くと、そこはくねくね折り曲がった細道が続く「七曲がり」ワールド!

七曲がりとは、川越城への敵の侵入を防ぐ為に造られた道で、わざと折れ曲がった道をつくることで敵の進軍を真っ直ぐに進めない様にしました。

ここ周辺は建物こそ新しい住宅が建ち始めてはいますが、道は当時の面影を残しています。

川越の町には、今でも「道のワナ」が多く残されています。例えば「鈎(かぎ)の手」「丁字路(ていじろ)」「袋小路」など。もしかしたら川越を観光・散策していると、ふと当時のワナに迷い込むかもしれません!

出典:カワゴエール

七曲がり周辺(瘡守(かさもり)神社
七曲がり周辺(瘡守(かさもり)神社

くらづくり本舗

くらづくり本舗とは、埼玉県川越市に本社を置く和菓子メーカー。埼玉県内に43店舗を展開する。代表取締役会長は自由民主党元衆議院議員の中野清。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川越市久保町5−3
くらづくり本舗
川越市松江町1丁目20−8
川越市松江町1丁目20−8
川越市久保町1−13
川越市久保町1−13
川越市小仙波町1丁目21
川越市久保町1−13
川越市小仙波町1丁目21
川越市小仙波町1丁目21

どろぼうばしの由来

所在地 川越市小仙波町一丁目

昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。

ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行ではとらえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕えられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。盗賊は、厄除元三大師 に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺では幕府の寺院奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。

この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わっており、それ以来、この橋を「どろうぼうばし 」というようになったということである。

 

昭和五十八年三月

出典:埼玉県

 

どろぼうはし
どろぼうはし
どろぼうはし
どろぼうはし
喜多院鐘楼門 附銅鐘 銀杏
喜多院鐘楼門 附銅鐘 銀杏

喜多院 鐘楼門

喜多院にあるいくつかの国指定重要文化財の中の1つ「(しょう)楼門(ろうもん)」。

鮮やかな朱塗りの2階建てで、寛永10年(1633/江戸時代)の建造と伝えられています。

1.鐘楼門の見どころ。

それは彫物。正面は「竜」、背面は「鷹」の彫物で色鮮やかな極彩色仕上げです。

2.鐘楼門の見どころの

見えそうで見えない銅鐘です。この銅鐘は、鐘楼門とともに重要文化財に指定されています。

出典:カワゴエール

喜多院鐘楼門
喜多院鐘楼門
喜多院の紅葉
喜多院の紅葉
喜多院 行先板
喜多院 行先板

喜多院 多宝塔

境内にそびえる朱色の多宝塔

寛永16年(1639/江戸時代)に建造され、現在埼玉県の有形文化財に指定されています。

この多宝塔は、江戸時代の大工棟梁「平内(へいのうち)政信(まさのぶ)」が建造。平内政信は、全5巻からなる木割書「匠明」を著した人物で、喜多院多宝塔以外に、和歌浦天満宮(和歌山市)や輪王寺常行堂(日光市)なども建造しています。

現在は、本堂の斜め前に建てられている多宝塔ですが、もともとは山門前にある「白山権現」と「日枝神社」の間の古墳上に建てられていました。その後、2度の移築をし現在地にあります。

江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れ、境内で一際鮮やかで目を引きます。喜多院を訪れた際は、是非みておきたい建物の1つです。

出典:カワゴエール

喜多院 多宝塔
喜多院 多宝塔

喜多院 慈恵堂

埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。13日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事はむろん、四季折々の行楽客で賑わう。境内にある五百羅漢の石像も有名である。毎年、正月三が日の初詣には埼玉県内の寺院の中では最も多い約40万人の参拝客が訪れる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia

喜多院 慈恵堂.
喜多院 慈恵堂.

喜多院 慈眼堂

喜多院境内の小高い丘の上には、天海僧正をまつる()眼堂(げんどう)が佇んでいます。

この慈眼堂は、天海僧正が亡くなった3年後の天保2年(1645/江戸時代)に、徳川家光の命令により建てられたもの。国の重要文化財の指定をうけています。

建物の構造は、桁行(正面)3間、梁間(奥行)3間、背面は1間で庇がついています。シンプルながら趣を感じる建物です。

出典:カワゴエール

喜多院案内図
喜多院案内図

国指定重要文化財

川越大師 喜多院案内図

伝説によるとその昔仙波辺の漫々たる海水を仙芳仙人の法力によりとり除き尊像を安置したというが、平安時代、天長7年(830)淳和天皇の勅により慈覚大師が創建された勅願寺で本尊阿弥陀如来を祀り無量寿寺と名づけた。

その後鎌倉時代、元久2年(1205)兵火で炎上の後、永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(厄除元三大師)を歓請して官田五十石を寄せられ関東天台の中心となった。

正安3年(1301)後伏見天皇は星野山(現在の山号)の勅額を下した。更に室町時代、天文6年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した。

江戸時代、慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)が第二十七世の法統をつぐが、同16年(161111月徳川家康が川越を訪れたとき寺領四万八千坪及び五百石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、四代家綱のとき東照宮に二百石を下すなど大いに寺勢をふるった。寛永15年(16381月の川越大火で現存の山門を除き堂宇はすべて焼失した。そこで三代将軍家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して客殿、書院などに当てた。家光誕生の間、春日局(家光公の乳母)の間があるのはそのためである。その他慈恵堂(本堂)、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの建物を数年間の間に再建し、それらが今日文化財として大切に保存されている。

江戸時代までは寺領四万8千坪、七百五十石の幕府の御朱印地として寺勢をふるったが、明治以降財力の欠如とその広さ、大きさのため荒廃に向った。

戦後文化財の指定とともに昭和大復興にとりかかり関係者の並々ならぬ努力によってその主な建造物の複原修理が完成し、それら偉観は、盛時を偲ばせるまでになった。しかし未だ完成しないところもかずあり今日までその整備事業は継続して行われている。

現在の境内地は東照宮を含めて一万四千坪あり、今日その緑は市民にとって貴重な憩いの場となっており池や堀をめぐらした景勝はそこに点在する文化財群とともに川越随一の名勝地霊場地として名高く厄除元三大師のお参りとともに四季を通じて史跡を訪れる人々がいつも絶えない。

1月3日の厄除初大師のご縁日には家内安全、厄除等の護摩祈願、また境内には、名物だるま市が軒をつらねて立ち並び、又2月3日の節分会、4月の長日護摩講の行事をはじめ毎日護摩供を奉じて所願成就の祈願を厳修している。

文化財の拝観ができ、最近では毎年5月の連休の一週間宝物特別展も開かれている。

 

出典:喜 多 院

川越市教育委員会

川越大師 喜多院
川越大師 喜多院
川越大師 喜多院
川越大師 喜多院

() (ひゃく) () (かん)

喜多院の五百羅漢の始まりは、これまで天明2年(1782)説がとられてきました。しかし近年、五百羅漢に関する詳細な調査が行われ、その経緯や造立年代などが明瞭になってきました。

それによると、本願主は川越北田島の()(じょう)の他に蔦右衛門がいて、寛永8年(1796)に両名が発願しました。そして喜多院真珠院の協力を得て「五百羅漢建立募縁疏」を上木し広く寄進を募りました。羅漢像は翌年の寛永9年(1797)から文政8年(1825)のおよそ30年にわたって造立され、ほぼ完成したそうです。(寄付募金帳なる古文書が見つかっており、今後の研究が待たれるところです)

喜多院の五百羅漢は中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、両脇(わき)()(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩があり、大小の石仏像すべて合わせると538体です。このうち533体が羅漢像です。

出典:旅に行き隊![About]

五百羅漢入口
五百羅漢入口

拝観案内(三代将軍家光公誕生の間

三代将軍家光公誕生の間

春日局(かすがのつぼね)の化粧の間

五百羅漢(らかん)

拝観事務所にて受付の上ご参拝下さい。

拝観時間

3/111/23

8:5016:30

11/24~㋁末日

8:5016:00

※日・祝は閉館時間を20分延長

拝観休業日

12/251/8

2/22/3 4/24/5 8/16

その他特別行事の時

五百羅漢
五百羅漢
五百羅漢 拝観案内
五百羅漢 拝観案内

天明2年建立

五百羅漢尊

喜多院の五百羅漢の始まりは、これまで天明2年(1782)説がとられてきました。しかし近年、五百羅漢に関する詳細な調査が行われ、その経緯や造立年代などが明瞭になってきました。

それによると、本願主は川越北田島の志()(じょう)の他に蔦右衛門がいて、寛永8年(1796)に両名が発願しました。そして喜多院真珠院の協力を得て「五百羅漢建立募縁疏」を上木し広く寄進を募りました。羅漢像は翌年の寛永9年(1797)から文政8年(1825)のおよそ30年にわたって造立され、ほぼ完成したそうです。(寄付募金帳なる古文書が見つかっており、今後の研究が待たれるところです)

喜多院の五百羅漢は中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、両脇(わき)()(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩があり、大小の石仏像すべて合わせると538体です。このうち533体が羅漢像です。

出典:旅に行き隊![About]

五百羅漢尊
五百羅漢尊
五百羅漢 紅葉
五百羅漢 紅葉
五百羅漢 紅葉
五百羅漢 紅葉
川越市小仙波町1丁目17−17
川越市小仙波町1丁目17−17
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸のむかし
仙波河岸史跡公園

仙波河岸のむかし

むかしこの場所には「仙波河岸」という河岸場がありました。仙波河岸ができたのは明治の初めごろのことです。

これまでにも新河岸川の下流にはすでに数箇所の河岸場があり、江戸と川越の間を船を使って物品を運んでいました。これが「新河岸川舟運」と言われているものです。

仙波河岸は新河岸川の最も上流に位置し一番新しくできた河岸場です。

しかし、明治の中ごろから東京との間に鉄道が整備されはじめました。また、大正時代には新河岸川の改修工事が始まり、昭和の初めには新河岸舟運も終わりをむかえました。

下の写真は仙波河岸に荷船が並んでいる様子を写した明治時代後期の写真です。

 

仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸のむかし
仙波河岸のむかし
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園

仙波浅間神社

冨士浅間神社

川越市富士見町、「川越駅」東口より徒歩12分ほどの場所に「仙波浅間神社」があります。

平安時代の武将「源頼義」がこの地に分霊をしたことにはじまり、それぞれの時代にそれぞれの人々が篤い信仰をして現在に至っています。

出典:カワゴエール

仙波愛宕神社 銀杏
仙波愛宕神社 銀杏
冨士浅間神社
冨士浅間神社
冨士浅間神社
川越駅 広場

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

中央会場・松一小(スタート)→おため池と虎御石→NPO法人東松山市学童保育の会ほほえみクラブ→唐子中央公園→駒形公園→岩殿観音正法寺→物見山公園→埼玉ピースミュージアム→東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス→千年谷公園→高坂駅→七清水せせらぎ緑道→東松山駅→中央会場・松一小(ゴール)

第41回日本スリーデーマーチ 3日目 11/4日曜日 都幾川・千年谷公園ルート20㎞

第41回日本スリーデーマーチ
3日目 11/4日曜日
都幾川・千年谷公園ルート20㎞

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スライドショー(第41回日本スリーデーマーチ 3日目 11/4日曜日 都幾川・千年谷公園ルート20㎞ 2018.11.04(日))
東松山駅ロータリー
東松山駅ロータリー
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箭弓町1丁目13−15周辺
箭弓町1丁目13−15周辺
東松山市役所
東松山市役所
東松山市役所
東松山市役所
東松山市役所
東松山市役所
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
松葉町1丁目16−19周辺
松葉町1丁目16−19周辺
松葉町1丁目16−19周
松葉町1丁目16−19周
松葉町1丁目21−12周辺
松葉町1丁目21−12周辺
材木町12−14周辺
材木町12−14周辺
材木町12−14周辺
材木町12−14周辺
箭弓町3丁目2−2周辺
箭弓町3丁目2−2周辺
箭弓町3丁目19−10周辺
箭弓町3丁目19−10周辺
松葉町3丁目5−2周辺
松葉町3丁目5−2周辺
松葉町3丁目13−9周辺
松葉町3丁目13−9周辺
美土里町3−25周辺
美土里町3−25周辺
石橋1601周辺
石橋1601周辺
石橋1568−3周辺
石橋1568−3周辺
石橋1585−10周辺
石橋1585−10周辺
石橋1585−10陸橋.
石橋1585−10陸橋.
石橋1585−10陸橋
石橋1585−10陸橋
石橋1185−8周辺
石橋1185−8周辺
おため池と虎御石
おため池と虎御石

(とら) () (いし)

この虎御石は、高さ375cm・幅7077cm、厚さ14cm、比企・入間地方最大の(いた)石塔(いしとう)()です。鋭い三角形の山形、深い溝の二条線、区画された額部の上面に荘厳体(そうごんたい)胎蔵界(たいぞうかい)大日如来(だいにちにょらい)を表わす種子(アーンク)が力強く彫られています。種子の下には、深く雄渾(ゆうこん)(れん)(べん)が刻まれています。

蓮座の下には四行の真言偈(しんごんげ)(もん)、さらに三行の銘文が刻まれています。「応安二(おうあんに)()(ゆう)卯月(うづき)」とあることから、虎御石は応安二年(1369年)に建立されたものです』

出典:東松山市教育委員会

おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
おため池と虎御石
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
関越自動車道 石橋1337−8陸橋
石橋2135−1周辺
石橋2135−1周辺
NPO法人東松山市学童保育の会ほほえみクラブ周辺
NPO法人東松山市学童保育の会ほほえみクラブ周辺
石橋2159−1周辺
石橋2159−1周辺
石橋2159−1周辺
石橋2159−1周辺
石橋2221−18周辺
石橋2221−18周辺
下唐子1608−8周辺
下唐子1608−8周辺
唐子中央公園 周辺
唐子中央公園 周辺
唐子中央公園 周辺
唐子中央公園 周辺
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
下唐子1057−3周辺
下唐子1057−3周辺
下唐子1167−20周辺
下唐子1167−20周辺
下唐子1057−3周辺
下唐子1057−3周辺
駒形公園 周辺
駒形公園 周辺
駒形公園 周辺
駒形公園 周辺
下唐子1094−8周辺
下唐子1094−8周辺
下唐子1094−8周辺
下唐子1094−8周辺
石橋859−7周辺
石橋859−7周辺
都幾川 下唐子1094遊歩道
都幾川 下唐子1094遊歩道
都幾川 下唐子99−2遊歩道
都幾川 下唐子99−2遊歩道
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子 県道41号線
下唐子311−1周辺
下唐子311−1周辺
下唐子311−1周辺
下唐子311−1周辺
下唐子311−4周辺
下唐子311−4周辺
下唐子309周辺
下唐子309周辺
下唐子307−1周辺
下唐子307−1周辺
下唐子307−1周辺
下唐子307−1周辺
葛袋1061周辺
葛袋1061周辺
神戸1723周辺
神戸1723周辺
岩殿1614周辺
岩殿1614周辺
岩殿1614周辺
岩殿1614周辺
岩殿1614周辺
岩殿1614周辺
岩殿1253周辺
岩殿1253周辺
岩殿1253周辺
岩殿1253周辺
岩殿1193−1周辺
岩殿1193−1周辺
岩殿1231周辺
岩殿1231周辺
岩殿観音正法寺
岩殿観音正法寺

岩殿観音 正法寺

正法寺は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三箇所の十番札所である。一般には岩殿観音の通称で知られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩殿観音正法寺
岩殿観音正法寺
岩殿観音正法寺
岩殿観音正法寺
岩殿観音正法寺 大銀杏
岩殿観音正法寺 大銀杏

岩殿観音正法寺 大銀杏

推定樹齢は700年を越えます。周囲は11mあり、埼玉県内でも最大級の大きさです。江戸時代には養老木と呼ばれ、多くの女性に安産・子育守護の対象として信仰されました。紅葉の見頃は11月下旬から12月、この時期には夜間のライトアップも行なっています。

出典: 岩殿観音 正法寺

物見山公園
物見山公園

物 見 山 公 園

物見山は古くから比企丘陵を代表する展望の地として知られており、四季を通じて比企丘陵の自然を楽しむことの出来る公園です。

出典:東松山市

物見山からの景観
物見山からの景観
物見山公園
物見山公園
鳩山町松ヶ丘1丁目2−2周辺
鳩山町松ヶ丘1丁目2−2周辺
埼玉平和資料館
物見山公園

埼玉平和資料館

埼玉県平和資料館は、埼玉県東松山市の物見山公園内にある埼玉県立の資料館である。愛称は「埼玉ピースミュージアム」。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

埼玉平和資料館 周辺
物見山公園
埼玉平和資料館
埼玉平和資料館
埼玉ピースミュージアム
埼玉ピースミュージアム

埼玉ピースミュージアム
(埼玉県平和資料館)

199381日開館、主に第二次世界大戦を中心とした埼玉県内の昭和の戦争資料展示を行っている。県民に戦争の悲惨さ及び平和の尊さを伝えることにより、県民の平和に対する意識の高揚を図り、もって平和な社会の発展に寄与することを目的とする。館内には41mの展望塔タワーがあり、岩殿丘陵の東端に位置する物見山に隣接するその敷地の標高の高さ(標高約130m)もあり、関東平野が一望できる。 2013325日から施設のリニューアル工事のため、一時休館し、同年1020日にリニューアルオープンした。

 

なお、隣接して埼玉県こども動物自然公園、岩殿観音がある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鳩山町石坂241−24周辺
鳩山町石坂241−24周辺
鳩山町石坂486−81周辺
鳩山町石坂486−81周辺
鳩山町石坂486−81周辺
鳩山町石坂486−81周辺
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス 周辺
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス 周辺
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス 周辺
東京電機大学 埼玉鳩山キャンパス 周辺
旗立台32−12周辺
旗立台32−12周辺
千年谷公園
千年谷公園

千年谷(せんねんたに)公園(こうえん)

🏞遊具

当園には、遊具がありません。

🏞スポーツ施設

・テニスコート「千年谷公園庭球場」

人工芝コート3面(兼用コート)

(注意)予約が必要です。関連リンク先である(公財)東松山文化まちづくり公社にてご予約ください。

・野球場「千年谷公園野球場」

1

バックネット

(注意)予約が必要です。関連リンク先である(公財)東松山文化まちづくり公社にてご予約ください。

🏞プレイウォール

(注意)予約は不要ですが、正式に利用許可を受けた方が優先されます。ご了承ください。

🏞駐車場

30台分(アスファルト)

(注意)千年谷公園に隣接して臨時駐車場(砂利)もあります。

 

🚻トイレ

テニスコート脇にあります。

🏞花・紅葉

サクラ(4月)、イチョウ(11月)、モミジ(11月)

🏞自動販売機

トイレ脇にあります。

出典:東松山市

千年谷公園
千年谷公園
千年谷公園
千年谷公園
かきの木公園
千年谷公園
かきの木公園
かきの木公園

カキノキ

 

カキの名は、紅葉の色であるアカキ(赤木)からきています。古代においては、その紅葉の美を賞し、「かきもみじ」の表現が古歌に多くみられます。

鎌倉時代には、すでに甘ガキが食されていました。樹木としては、その樹形と樹皮に特色があり、落葉期でもすぐみわけられます。

カキノキ科 〔花期〕5~㋅

落葉木 高さ510m 〔果期〕9~㋊

かきの木公園
かきの木公園

かきの木公園

公園緑地の利用についての注意事項

1.公園・緑地内ではお互いに迷惑をかけないようにこころがけましょう。

2.公園・緑地内では次のようなことをしてはいけません。
①ごみなどの投棄、器材の放置

②車両の乗入・駐車。

③樹木草花土石の採取耕作その他施設損傷。

➃鳥獣・魚類の捕獲・殺傷。

⑤広告宣伝物の配布掲示等

⑥他人に迷惑をおよぼす行為、その他、管理に支障のある行為。

3.次のようなことをしようとするときは許可を受けてください。

(ただし支障があるときはお断りします。)

行商・募金その他これらに類する行為をしようとするとき。

業として写真又は映画を撮影するとき。

興業・競技会・展示会・集会等の為、独占して利用するとき。

花火・キャンプファイヤー等火気を使用するとき。

法令で定められた施設又は工作物等を設置するとき。

出典:東松山市



雲のひろば
かきの木公園
雲のひろば
雲のひろば
雲のひろば
雲のひろば
白山台22 虹の橋
白山台22 虹の橋
白山中学校西 交差点
白山中学校西 交差点
白山中学校西 交差点
白山中学校西 交差点
西本宿591−1周辺
西本宿591−1周辺
西本宿562−3周辺
関越自動車道 西本宿562−3陸橋
西本宿562−3周辺
西本宿562−3周辺
元宿2丁目23−5周辺
元宿2丁目23−5周辺
元宿1丁目13−1周辺
元宿1丁目13−1周辺
元宿1丁目13−7周辺
元宿1丁目13−7周辺
高坂駅
高坂駅
七清水せせらぎ緑道
高坂駅入口交差点

七清水せせらぎ緑道

 

七清水せせらぎ緑道
七清水せせらぎ緑道
七清水せせらぎ緑道
七清水せせらぎ緑道
七清水せせらぎ緑道
七清水せせらぎ緑道
国道407号 あずま町1丁目17
あずま町1丁目4−13周辺
国道407号 あずま町1丁目17
国道407号 あずま町1丁目17
早俣 国道407号線
国道407号 あずま町1丁目17
早俣 国道407号線
早俣 国道407号線
あずま町4丁目1−1周辺
あずま町4丁目1−1周辺
下野本(南)交差点
下野本(南)交差点
下野本(南)交差点
下野本(南)交差点
上野本 周辺
上野本 周辺
下野本1699周辺
下野本1699周辺
上野本1297−4周辺
上野本1297−4周辺
国道254号 上野本 周辺
国道254号 上野本 周辺
箭弓町1丁目21−4周辺
箭弓町1丁目21−4周辺
箭弓町1丁目21−4周辺
箭弓町1丁目21−4周辺
東松山駅
東松山駅
箭弓町1丁目5−2周辺
箭弓町1丁目5−2周辺
箭弓町1丁目5−2周辺
箭弓町1丁目5−2周辺
箭弓町1丁目5−2周辺
箭弓町1丁目5−2周辺

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

中央会場・松一小(スタート)→上沼公園→砂田第2公園→ディアナ・マニエール→當選寺→岩室観音堂→吉見町 埋蔵文化財センター→岩鼻運動公園→東松山ぼたん園→比丘尼山と横穴墓→国営武蔵丘陵森林公園中央口→森林公園 南口ゲート→森林公園駅→中央会場・松一小(ゴール)

第41回日本スリーデーマーチ 2日目 11/3土曜日 吉見百穴・森林公園ルート20㎞

第41回日本スリーデーマーチ
2日目 11/3土曜日
吉見百穴・森林公園ルート20㎞

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スライドショー(第41回日本スリーデーマーチ 2日目 11/3土曜日 吉見百穴・森林公園ルート20㎞
2018.11.03(土))
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
松葉町1丁目16−19周辺
松葉町1丁目16−19周辺
松葉町1丁目21−12周辺
松葉町1丁目21−12周辺
本町2丁目1−1周辺
本町2丁目1−1周辺
本町1丁目3−36周辺
本町1丁目3−36周辺
日吉町2−62周辺
日吉町2−62周辺
上沼公園
上沼公園

上沼・下沼公園

上沼公園と下沼公園の中心にある沼を囲むように桜が植えられています。開花期間中は桜のライトアップが行われ、夜桜見物を楽しむことができます。

出典:東松山市役所 環境産業部 商工観光課

上沼公園
上沼公園
上沼公園
上沼公園
小松原町9周辺
小松原町9周辺
小松原町11−2周辺
小松原町11−2周辺
小松原町11−2周辺
小松原町11−2周辺
砂田町7周辺
砂田町7周辺
砂田第2公園
砂田第2公園
砂田第2公園
砂田第2公園
松本町2丁目5−34 国道407号高架下
松本町2丁目5−34 国道407号高架下
松本町2丁目7−7周辺
松本町2丁目7−7周辺
ディアナ・マニエール
ディアナ・マニエール
ディアナ・マニエール
ディアナ・マニエール
松山412周辺
松山412周辺
松山412周辺
松山412周辺
松山412周辺
松山412周辺
當選寺
當選寺

(みょう) (ほう) (ざん) (とう) (せん) ()

吉見町北吉見309周辺
吉見町北吉見309周辺
吉見町北吉見309周辺
吉見町北吉見309周辺
岩室観音堂
岩室観音堂

(いわ) (むろ) (かん) (のん)

弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。武蔵松山城跡跡主が代々信仰し護持していたと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に武蔵松山城跡跡の落城に伴い建物の全てが焼失したといわれている。

現在のお堂は江戸時代の寛文年間(16611673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいものである。 岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の第三番であるが、札所めぐりとしては「西国三十三所」「坂東三十三所」「秩父三十四所」が有名で、「比企西国三十三所」は、それほど知られてはいない。比企西国三十三所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保8年(1723年)に開設されたと言われており、江戸時代にはこうした地域ごとに完結する札所めぐりが数多く創設されたようである。

また、ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したものである。この弘法大師が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所めぐり」とは区別される。

出典:吉見町役場

松山城跡
松山城跡

(まつ) (やま) (じょう) (あと)

 この城跡は、戦国期における山城の姿がほとんどそのままに残されている貴重な文化財である。

 市野川に突き出た部分から本城(本丸)、中城(二の丸)、春日丸、三の丸と南西から北東に向って一線上に並び、その両側に多くの(くる)()や平場をもっている。この主曲輪群の東方にも第二次的な施設があったが、太平洋戦争後の土地開発で全く原形を失ってしまった。

城史は、古代にさかのぼるとも言われるが、一般的には鎌倉時代末期の新田(にった)(よし)(さだ)陣営説、(おう)(えい)年間初期の上田左衛門(じょう)節、応永23年(1416年)ごろの上田上野(こうずけの)(すけ)説などがある。しかしながら、城郭としての体裁を整えたのは、太田氏が、江戸、川越、岩槻の各城を築いた時期に近いものと思われる。

 この城が天下に知られたのは、今から、4、5百年前の天文(てんぶん)年間から(えい)(ろく)年間のことで、城をめぐっての上杉、武田、北条の合戦は有名である。のち、豊臣勢に攻められ、天成18年(1590年)落城した。歴代の城主上田氏の滅亡後は、松平家広1万石の居城となったが、松平氏が慶長(けいちょう)6年(1601年)浜松に転封されたのを最後に廃城となった。

 平成20年に国指定史跡となっている。

松山城跡地
松山城跡地
松山城跡地
松山城跡地
松山城跡地

平成103

出典:吉見町・埼玉県

吉見百穴 入口
吉見百穴 入口

(よし) () (ひゃっ) (けつ)

凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いていることから、一見異様な印象を受ける遺跡である。穴の数は219個と言われ、このような遺跡としては日本一の規模である。穴の入り口は直径1メートル程度だが、内部はもう少し広くなっていることが多い。古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)に造られたものであり、他の多くの古墳が土を盛った小山の中に1つだけ玄室が存在する構造であるのに対し、岩山の表面から数メートルの小穴(古墳の玄室に相当するもの)を多数掘って造られた集合墳墓である。多くの穴に古墳と同様の台座状構造があり、ここに棺桶を安置したとされる。なお、台座は穴によっては複数存在しており、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられている。多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、ここには緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の蓋がはめ込まれていた。これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、複数の台座状構造と合わせて同一の穴に追葬が行われたことを示すものと考えられている。場所により穴の並びが整然、不規則と差がある。不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられている。殆どの穴を自由に入り見学できるが、心ない者により損壊が行われた例もある。

 

岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。関東平野におけるヒカリゴケの自生地は非常に貴重であり、「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されている。近年は自生している穴の乾燥化が進み、ヒカリゴケが著しく減少したため、穴の中に水を満たした鉢を置いて湿度を保つ対策をしている。ヒカリゴケが自生している穴には鉄格子がはめられており入ることはできない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

吉見町 埋蔵文化財センター前
吉見町 埋蔵文化財センター前
地下軍需工場跡地
地下軍需工場跡地

地下軍需工場跡

構内の巨大な洞窟は、右の方500mから、左の方800mに亘り、山腹に掘られた30数か所の一部であります。

第二次世界大戦の末期昭和20年初頭前後から8月に至る間、地下軍需工場用に掘られました。

この戦争の末期に各地の軍事施設は、アメリカ軍B29爆撃機により大きな損害を受けました。

当時わが国で最大といわれた中島飛行機株式会社でも、その大宮工場(現在の富士重工)エンジン製造部門の全施設をこの地下に移転することになりました。

掘削は全国各地から集められた3000人から3500人といわれた朝鮮人労働者により昼夜を通した突貫工事として進められました。 ダイナマイトを使用した人海戦術でした。トンネルは、幅40m、高さ22mの馬蹄形で、現在公開されているのは、10分の1の広さにもおよびません。7月頃には完成した場所に工作機械が搬入され、大宮工場から転居した従業員や勤労動員学徒により、エンジンの部品が製造されましたが、本格的な生産活動に移る前に終戦となりました。掘削工事に従事した最後の朝鮮人と言われた人の帰国に際し関係者により催された懇談会の席上、日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの苗木は、現在も、この地で成長を続けています。

出典:吉見町

百穴コース
百穴コース

ふるさと歩道案内図

百穴コース

 

吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
吉見町北吉見338−3 市野川遊歩道
松山1105−1 市野川歩道橋
松山1105−1 市野川歩道橋
松山1105−1 市野川歩道橋
松山1105−1 市野川歩道橋
吉見町北吉見1218 市野川遊歩道
吉見町北吉見1218 市野川遊歩道
東松山ふるさと自然の道 百穴・川堤コース
東松山ふるさと自然の道 百穴・川堤コース

東松山ふるさと自然のみち

百穴・川堤コース

このコースは、水辺との出会いがテーマです。市野川、滑川、月中川の3つの川に沿って歩きます。また、角川を渡ります。

自然は人とのかかわりの中、その姿を変えてきました。そして、変えられた環境に応じて、生きものにも変化がありました。人と川について観察しながら歩きましょう。

川の堤防の上には、サクラやアメリカハナミズキの並木があります。秋にはナシ狩が楽しめます。

出典:東松山市・埼玉県環境庁

河川と川の生きもの

松山1496周辺
松山1496周辺
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園
岩鼻運動公園総合案内板
岩鼻運動公園総合案内板

岩鼻運動公園総合案内板

・公園はいつもきれいに使いましょう。

・公園の施設は大切に使いましょう。

・他の人の迷惑になることはやめましょう。

 

出典:東松山市

岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋から東松山庭球場中原コート
岩鼻運動公園 国道407号陸橋から東松山庭球場中原コート
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
岩鼻運動公園 国道407号陸橋
松山2458−1周辺
松山2458−1周辺
東松山市市民病院入口
東松山市市民病院入口
松山2340周辺
松山2340周辺
松山2282−1周辺
松山2282−1周辺
松山2141−2周辺
松山2141−2周辺
松山2141周辺
松山2141周辺
野田1096−8周辺
野田1096−8周辺
野田903−2周辺
野田903−2周辺
野田444−5周辺
野田444−5周辺
大谷994周辺
大谷994周辺
至 東松山ぼたん園
至 東松山ぼたん園
至 東松山ぼたん園
至 東松山ぼたん園
ウオーキングトレイルルートマップ 大谷の伝説コース、ぼたん園コース、秋葉道コース
ウオーキングトレイルルートマップ 大谷の伝説コース、ぼたん園コース、秋葉道コース

ウオーキングトレイルルートマップ

大谷の伝説コース

ぼたん園コース

秋葉道コース

 

東松山ぼたん園 入口
東松山ぼたん園 入口
秋牡丹展
秋牡丹展

秋 牡 丹 展

 秋に咲く貴重なボタンを展示します。

 ※秋牡丹(抑制ボタン)とは、開花時期を調整し「秋咲き」にさせたものです。

秋牡丹秋牡丹秋牡丹
秋 牡 丹 展

とき

平成30113日(土)

  9:0012:00

ところ

東松山ぼたん園

出典:東松山市都市計画課

東松山ぼたん園
東松山ぼたん園
東松山ぼたん園
東松山ぼたん園
東松山カントリークラブ側道
東松山カントリークラブ側道
滑川町山田1568周辺
滑川町山田1568周辺
滑川町山田1568周辺
滑川町山田1568周辺
大谷5289周辺
大谷5289周辺
埼玉県道307号福田鴻巣線 歩道
埼玉県道307号福田鴻巣線 歩道
源頼家と若狭局
源頼家と若狭局

伝承話

串引沼 伝説

源頼朝と

若さの局

 

周辺に残る

伝承話を

お聞かせ

しています。

大谷5280−1周辺
大谷5280−1周辺
比丘尼山と横穴墓
比丘尼山と横穴墓

比丘尼山(びくにやま)と横穴墓

「比丘尼山」は、伊豆に流されていた源頼朝を援助した比企郡司遠宗の妻が、夫の没後、比企禅尼となりここに草庵を営んだ、ということから呼ばれています。周辺には二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝える場所などもあります。

 また、この丘陵の斜面には、七世紀に出現した横穴墓郡が存在します。比企地方では吉見百穴、黒岩横穴郡などがあり市内では、この比丘尼山横穴墓郡のみです。これらの横穴墓郡は吉見百穴を中心に西に広がっており、同地方に移住した渡米系氏族の壬生(みぶ)()()氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。

比丘尼山横穴墓
比丘尼山横穴墓
比丘尼山と横穴墓
滑川町山田758 埼玉県道250号森林公園停車場武蔵丘陵森林公園線 歩道
滑川町山田758 埼玉県道250号森林公園停車場武蔵丘陵森林公園線 歩道
国営武蔵丘陵森林公園中央口
国営武蔵丘陵森林公園中央口

国営武蔵丘陵森林公園

国営武蔵丘陵森林公園は、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市にまたがる比企北丘陵にある国営公園。国の明治百年記念事業の一環として開設された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森林公園 中央口ゲート
森林公園 中央口ゲート
森林公園 中央口ゲート
森林公園 中央口ゲート
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園

国営武蔵丘陵森林公園(中央口)

国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
森林公園 中央口ゲート
森林公園 中央口ゲート
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園

国営武蔵丘陵森林公園(中央口)

国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
埼玉県道307号福田鴻巣線の国営武蔵丘陵森林公園 陸橋
埼玉県道307号福田鴻巣線の国営武蔵丘陵森林公園 陸橋
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園 野草コース花情報板
国営武蔵丘陵森林公園 野草コース花情報板

野草コース花情報板

この小径には、四季を通じてたくさんの野草が咲きます。

いろいろな姿で生きている花たちをよく観察して下さい。

野草コース花情報板
キチジョソウサラシナショウマコウヤボウキユウガギク
①キチジョソウ
(ユリ科)
②サラシナショウマ
(キンボウゲ科)
③コウヤボウキ
(キク科)
➃ユウガギク
(キク科)
リンドウフジバカマリュウノウツワブキ
⑤リンドウ
(リンドウ科)
⑥フジバカマ
(キク科)
⑦リュウノウギク
(キク科)
⑧ツワブキ
(キク科)
野草コース花情報板

出典:国営武蔵丘陵森林公園

国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園 記念塔
国営武蔵丘陵森林公園 記念塔
国営武蔵丘陵森林公園
国営武蔵丘陵森林公園
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート
森林公園 南口ゲート 噴水
森林公園 南口ゲート 噴水
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
滑川町山田 森林公園南口(バス)停
森林公園緑道
森林公園緑道

森林公園緑道

森林公園まで2.9

森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
森林公園緑道
滑川町羽尾350−6周辺
滑川町羽尾350−6周辺
至 森林公園駅
至 森林公園駅
松山町3丁目1−8周辺
松山町3丁目1−8周辺
松山町3丁目1−8周辺
松山町3丁目1−8周辺
東松山市役所
東松山市役所
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

中央会場・松一小(スタート)→埼玉県立松山高等学校→第二仲よし保育園→滑川羽尾郵便局→森林公園駅北口→学校橋→羽尾平集会所前広場→市野川水循環センター→上市野川橋→天沼(川島清水)→鬼鎮神社→新田沼公園→畠山重忠像→国史跡、比企城館跡群菅谷館跡→国立女性教育会館→禅寺浄空院→原爆の図丸木美術館→唐子中央公園→唐子市民活動センター→東松山市立青鳥小学校→箭弓稲荷神社→中央会場・松一小(ゴール)

第41回日本スリーデーマーチ 1日目 11/2金曜日 和紙の里・武蔵嵐山ルート20㎞

第41回日本スリーデーマーチ
1日目 11/2金曜日
和紙の里・武蔵嵐山ルート20㎞

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スライドショー(第41回日本スリーデーマーチ 1日目 11/2金曜日 和紙の里・武蔵嵐山ルート20㎞
2018.11.02(金))
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
第41回日本スリーデーマーチ
箭弓町3丁目3周辺
箭弓町3丁目3周辺
松葉町1丁目6−3周辺
松葉町1丁目6−3周辺
材木町1−13周辺
材木町1−13周辺
東松山市役所前交差点
東松山市役所前交差点
東松山市役所前交差点
東松山市役所前交差点
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
中央会場・松一小(スタート)
松葉町1丁目26−20周辺
松葉町1丁目26−20周辺
松山高校前交差点
松山高校前交差点
松山町2丁目4−56周辺
松山町2丁目4−56周辺
松山町2丁目3−14周辺
松山町2丁目3−14周辺
滑川町羽尾3685−9周辺
滑川町羽尾3685−9周辺
滑川町羽尾3738−3周辺
滑川町羽尾3738−3周辺
森林公園駅北口
森林公園駅北口
森林公園駅北口
森林公園駅北口
滑川町 羽尾365−1周辺
滑川町 羽尾365−1周辺
滑川町羽尾532−1周辺
滑川町羽尾532−1周辺
滑川町羽尾1232−1周辺
滑川町羽尾1232−1周辺
滑川町羽尾552−21周辺
滑川町羽尾552−21周辺
滑川町羽尾1543−8周辺
滑川町羽尾1543−8周辺
滑川町月輪284−1周辺
滑川町月輪284−1周辺
滑川町羽尾1955周辺
滑川町羽尾1955周辺
滑川町羽尾1955周辺
滑川町羽尾1955周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房37−4周辺
滑川町水房90交差点
滑川町水房90交差点
関越自動車道高架下
関越自動車道高架下
嵐山町川島1777−6周辺
嵐山町川島1777−6周辺
鬼鎮神社
鬼鎮神社
鬼鎮神社
鬼鎮神社
嵐山町むさし台1丁目16−25周辺
嵐山町むさし台1丁目16−25周辺
嵐山町むさし台2丁目6−13周辺
嵐山町むさし台2丁目6−13周辺
嵐山町むさし台2丁目6−13周辺
嵐山町むさし台2丁目6−13周辺
嵐山町平澤149−1周辺
嵐山町平澤149−1周辺
嵐山町平澤149−1周辺
嵐山町平澤149−1周辺
菅谷交差点
菅谷交差点
厳島神社(嵐山町菅谷)
厳島神社(嵐山町菅谷)
厳島神社(嵐山町菅谷)
厳島神社(嵐山町菅谷)
嵐山町菅谷618−8周辺
嵐山町菅谷618−8周辺
嵐山町菅谷618−8周辺
嵐山町菅谷618−8周辺
埼玉県立嵐山史跡の博物館前交差点
埼玉県立嵐山史跡の博物館前交差点
埼玉県立嵐山史跡の博物館前歩道
埼玉県立嵐山史跡の博物館前歩道
菅谷館跡
菅谷館跡

国指定史跡比企城館跡群

(すが) () (やかた) (あと)

 

(ほん) (ぐるわ) ②二ノ郭 ③三ノ郭 ④西ノ郭 ⑤南 郭

搦手(からて)門跡(もんあと)(しょうてん)門跡(もんあと) ⑧埼玉県立嵐山史跡の博物館

⑨畠山重忠像 ⑩復元木橋 土塁 案内板 説明版

模 型 □水飲場 🚻トイレ 🏠あずまや

出典:埼玉県教育委員会

埼玉県立嵐山史跡の博物館
埼玉県立嵐山史跡の博物館
埼玉県立嵐山史跡の博物館
埼玉県立嵐山史跡の博物館
埼玉県立嵐山史跡の博物館
埼玉県立嵐山史跡の博物館
嵐山町菅谷757
嵐山町菅谷757
至 国立女性教育会館
至 国立女性教育会館
国立女性教育会館
国立女性教育会館
国立女性教育会館配置図
国立女性教育会館配置図

国立女性教育会館

独立行政法人国立女性教育会館は、「独立行政法人国立女性教育会館法」で規定される文部科学省所管の独立行政法人である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上唐子1567−1周辺
上唐子1567−1周辺
嵐山町菅谷979−6周辺
嵐山町菅谷979−6周辺
上唐子841周辺
上唐子841周辺
上唐子 県道172号線
上唐子 県道172号線
上唐子 ホタルの里 周辺
上唐子 ホタルの里 周辺
上唐子 ホタルの里 周辺
上唐子 ホタルの里 周辺
上唐子795−3周辺
上唐子795−3周辺
上唐子710周辺
上唐子710周辺
唐子635−1周辺
唐子635−1周辺
原爆の図丸木美術館
原爆の図丸木美術館
原爆の図丸木美術館
原爆の図丸木美術館
下唐子1377周辺
下唐子1377周辺
唐子中央公園
唐子中央公園

唐子中央公園

唐子市民活動センター(旧唐子公民館)の南側につくられた公園で、体育館、多目的広場、子供広場等が整備されており、広々とした公園です。

出典:東松山市役所 都市整備部 都市計画課

唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
唐子中央公園
石橋1388周辺
石橋1388周辺
石橋1356−2周辺
石橋1356−2周辺
関越自動車道 石橋1375陸橋
関越自動車道 石橋1375陸橋
関越自動車道 石橋1375陸
関越自動車道 石橋1375陸
関越自動車道 石橋1375陸橋
関越自動車道 石橋1375陸橋
青鳥(おおどり)城跡
青鳥(おおどり)城跡

(おお) (どり) (じょう) (あと)

築城の年代は現在不明であるが、『太田道灌状』には文明12年(1478年)に、扇谷上杉定正と太田道灌が青鳥に在陣したという記述があり、この頃には城(あるいは城の原型となるもの)はあったと推定されている。

1560年代前半の松山城の攻防戦では、北条氏康方の城として機能したと思われる。なお、永禄2年(1559年)に成立した『小田原衆所領役帳』には狩野介が比企郡青鳥に、久米新左衛門が松山筋石橋にいたとしており、この頃の城主はこの二人のうちのどちらかであると考えられている。

その後、廃城になる。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐において豊臣氏方の前田利家・上杉景勝らが後北条氏方の松山城を攻める際、前田利家は廃城となっていた青鳥城跡に陣を置いた。

近年、青鳥城が廃城になったのは16世紀後半ではなく、16世紀前半とする説が現れた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

青鳥(おおどり)城跡
青鳥(おおどり)城跡
青鳥(おおどり)城跡
青鳥(おおどり)城跡
青鳥(おおどり)城跡 虎御石
青鳥(おおどり)城跡 虎御石

(とら) () (いし)

この虎御石は、高さ375cm・幅7077cm、厚さ14cm、比企・入間地方最大の(いた)石塔(いしとう)()です。鋭い三角形の山形、深い溝の二条線、区画された額部の上面に荘厳体(そうごんたい)胎蔵界(たいぞうかい)大日如来(だいにちにょらい)を表わす種子(アーンク)が力強く彫られています。種子の下には、深く雄渾(ゆうこん)(れん)(べん)が刻まれています。

蓮座の下には四行の真言偈(しんごんげ)(もん)、さらに三行の銘文が刻まれています。「応安二(おうあんに)()(ゆう)卯月(うづき)」とあることから、虎御石は応安二年(1369年)に建立されたものです』

出典:東松山市教育委員会

青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑
青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑
忘れ去りたくないもの
忘れ去りたくないもの

忘れ去りたくないもの

 この付近には、鎌倉時代からの南北朝のころに造られたと考えられる青島(あおとり)(じょう)があります。戦国時代にも使われていたといわれています。この沼は、その内堀のなごりです。

 現在、城跡は畑や民家、雑木林となっていて、そのおもかげはほとんど知ることができません。

 この堀跡は、おため池とよばれています。上下2つに仕切られていますが、その上手の池の岸には、カラムという植物がたくさん生えています。

 大きな葉を持つ草で、昔、この草の茎の皮から繊維をとって、布を作ったとされています。あまり目立たない地味な花がさきますが、今では、人にとってはほとんど何の価値もないように思われます。

 ところが、この草は、アカタテハにとってたいせつな食草なのです。この草がなくなると、このチョウは繁殖ができなくなってしまうのです。

 人にとって何でもない自然であっても、生きものは複雑にからみ合った関係にあって、それぞれが欠かせない役割りを持つています。

 そまつにしないようにしましょう。

クリコナラヌルデ
クリコナラスギ
クヌギクヌギシラカシ
ヌルデクヌギシラカシ
この付近で見られる雑木林の木。

この付近で見られる雑木林の木。

アカタテハ.カラムシ
アカタテハカラムシ
アカタテハの幼虫は、カラムシの葉を2ツ折りにして巣を作り、やがてこの中でサナギになります。

アカタテハの幼虫は、カラムシの葉を2ツ折りにして巣を作り、やがてこの中でサナギになります。

 

★ゴミは捨てずに持ち帰りましょう。

出典:東松山市・埼玉県環境庁

青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑
青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑
忘れ去りたくないもの
忘れ去りたくないもの
東松山市立青鳥小学校 脇
東松山市立青鳥小学校 脇
美土里町7−15周辺
美土里町7−15周辺
箭弓町2丁目7−15周辺
箭弓町2丁目7−15周辺
武蔵丘短期大学
武蔵丘短期大学
箭弓町2丁目7−3周辺
箭弓町2丁目7−3周辺
箭弓神社
箭弓神社

箭弓稲荷神社 (東松山市)

712年(和銅5年)の創建と伝えられる。その頃は小さな祠だったようだが、1030年(長元3年)に下総国の城主平忠常の討伐に出かけた源頼信がこの周辺に一泊した際に、近くにあった野久稲荷神社に詣でて、太刀一振と馬一頭を奉納すると、その夜に白羽の矢のような形をした雲が敵陣の方へ飛んでいくのを目撃し、これは神のお告げだと確信、直ちに敵陣に攻め込んだ頼信は快勝し、立派な社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」とたたえたと伝えられる。以来、松山城主、川越城主などの庇護を受けた。

 

社名の由来については、1028年(長元元年)に下総国の平忠常が謀反を企て安房・上総・下総の三カ国を制圧し、大軍をもって武蔵国に侵攻した(平忠常の乱)。これを受けて源氏の棟梁源満仲(多田満仲)の子であり、甲斐国守を勤める源頼信は、忠常追討の綸旨を賜り、鎮圧に向かった。しかし、多勢に無勢、武勇の頼信も心を悩ませた。その時、頼信が布陣する松山本陣近くで古い祠を見つけた。問えば、野久原に鎮まる「野久稲荷大明神」で、本地は「十一面観世音」であるという。

 

これを聞いた頼信は、野久はすなわち箭弓(矢弓)の意で、武門の守護神であると、大いに奮い立ち、神前に怨敵退散の願書、太刀一振、駿馬一頭を奉納し、ついに忠常を撃退することができた。一説には、白狐に乗った神が弓矢を授けたと伝える。この神恩に報いるため、社殿を再建した。以来、野久稲荷は、箭弓稲荷と号せられるようになった。

 

同形の物語としては、さかのぼること791年(延暦10年)坂上田村麻呂が箭弓稲荷より南西約4kmにある岩殿観音付近の雪見峠(東松山市大字岩殿字雪見峠付近と思われる)の悪竜を退治する際に、老人の姿の神が矢を授けたとの言い伝えがある。

 

一方で関連する寺院として、福聚寺の草創については次のようにある。当社は中世の兵乱により衰微し、野中の小社となり、近くの庵主が神前に一灯を供ずるのみになっていた。1617年(元和3年)、天海僧正が駿府から下野国へ神輿(二度葬される途中の家康と思われる)を守護し、当地松山宿を通行した折、大雨に見舞われたため、当社の宮守りをしていた庵主の草室に神輿を納めた。すると、忽然と弓箭を携えた翁が示現した。天海僧正が何者かと問えば「人にあらず、稲魂の神使なり、僧正守護する神輿の御先を掃仕して非常を静める役を、この松山野久の地に勤めん」と告げた。これを聞いた僧正は、庵主に翁の御告を伝えて当社の由来を聞き、箭弓稲荷大神を尊崇して社殿を造営した。この折、僧正は訪れた庵を一寺に取り立てて福聚寺という寺号を与え、庵主を別当職に補任した。 『新編武蔵風土記稿』には「享保中より殊に威徳著しく諸人信仰するもの多し 今の如く市店旅宿門前に並へるは彼頃よりのことなり」とある。

 

明治初年、神仏分離により福聚寺は別当から離れることとなった。(福聚寺は今も東松山市本町に存在している(市立図書館から沼をはさんだ反対側))

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
箭弓神社
松葉町1丁目23−32周辺
松葉町1丁目23−32周辺
松葉町1丁目23−26周辺.JP
松葉町1丁目23−26周辺.JP
松葉町2丁目3−4陸橋
松葉町2丁目3−4陸橋
松葉町2丁目3−4陸橋
松葉町2丁目3−4陸橋
松葉町1丁目24−13周辺
松葉町1丁目24−13周辺
中央会場・松一小(ゴール)
中央会場・松一小(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

クレアパーク(スタート)→ウエスタ川越(WC)→岸町健康ふれあい広場(WC)→いなげや→新河岸駅→氷川神社→新河岸川(昼飯)→仙波河岸史跡公園→川越駅(ゴール)

川越わくわくウオーキング教室 NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅢ

川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅢ
・岸町健康ふれあい広場
・新河岸駅
・仙波河岸史跡公園

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スライドショー(川越わくわくウオーキング教室 NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅢ・岸町健康ふれあい広場・新河岸駅・仙波河岸史跡公園2018.10.24(水))
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
脇田町5−4周辺
脇田町5−4周辺
三番町通り陸橋
三番町通り陸橋
脇田本町交差点
脇田本町交差点
脇田本町14−32周辺
脇田本町14−32周辺
小江戸薬局
小江戸薬局
小江戸薬局
小江戸薬局
脇田本町10−18周辺
脇田本町10−18周辺
脇田本町10−18周辺
脇田本町10−18周辺
脇田本町10−18周辺
脇田本町10−18周辺
新宿町1丁目17−17周辺
新宿町1丁目17−17周辺
新宿町6丁目10−10周辺
新宿町6丁目10−10周辺
新宿町6丁目公園 周辺
新宿町6丁目公園 周辺
新宿町6丁目3−7陸橋
新宿町6丁目3−7陸橋
岸町3丁目24−15周辺
岸町3丁目24−15周辺
岸町健康ふれあい広場 周辺
岸町健康ふれあい広場 周辺
岸町健康ふれあい広場 周辺
岸町健康ふれあい広場 周辺
岸町健康ふれあい広場 教室
岸町健康ふれあい広場 教室
岸町健康ふれあい広場 教室
岸町健康ふれあい広場 教室
岸町健康ふれあい広場 教室
岸町健康ふれあい広場 教室
サクラ シナミザクラ
サクラ シナミザクラ

サクラ(シナミザクラ)

系統      シナミザクラ系(中国産)

開花時期             早い(ソメイヨシノと比較して)

花弁の色             白色(淡紅色)

花の大きさ         小輪

花の咲き方         一重咲

特徴            雄しべが長く、花の雰囲気ががややウメに似る。

中国産。名前や別名の唐実桜(カラミザクラ)は、これに由来する。日本には自生しない。

6月頃に赤く熟する果実はいわゆるサクランボで、食べられる。

出典:岐阜県森林研究所

サクラ シナミザクラ
サクラ シナミザクラ
今福2745周辺
今福2745周辺
砂新田1丁目21−1周辺
砂新田1丁目21−1周辺
砂新田2丁目11−6周辺
砂新田2丁目11−6周辺
砂 自転車預り所細野 前
砂 自転車預り所細野 前
砂849−4周辺
砂849−4周辺
砂966−7周辺
砂966−7周辺
新河岸28−1周辺
新河岸28−1周辺
新河岸 河岸場跡
新河岸 河岸場跡

新河岸

河岸場跡

出典:川越中央ライオンズクラブ

25周年記念植樹

新河岸 河岸場跡
新河岸 河岸場跡

川越市指定史跡 新河岸川河岸場跡

今から300余年まえ川越城主松平伊豆守信綱がもと内川といった荒川の支流、新河岸川を改修して川越と江戸間の舟運を開いた。当初は年貢米を主としたが、のち、貨客の輸送がふえ旭橋を中心に上下新河岸、牛子、扇、寺尾の五河岸には船問屋、商家が軒を並べ、日夜発着の船が絶えなかった。また、その物資を運搬する車馬の出入りも多く賑わいを極めた。しかし鉄道の開通により次第に衰微に傾き、いわゆる99曲30里の舟唄もすべて昔の語り草となった。

 

新河岸川舟唄

〽 九十九曲り エー 仇では越せぬ

遠い水路の 三十里

〽 押せよ押せ押せ エー 二挺櫓で押せよ

押せば千住が 近くなる

〽 着いた着いたよ エー 新河岸橋へ

主もでてとれ おもてもや

 

新河岸 河岸場跡
新河岸 河岸場跡

市指定・史跡

新河岸川河岸場跡

新河岸川船運の歴史は、寛永十五年(1638)川越仙波にあった東照宮が火災で焼け川越藩がその再建用資材を江戸から運ぶのに新河岸川を利用したことに始まるといわれる。

翌寛永十六年、川越城主となった松平信綱は、もと内川といった荒川の支流、新河岸川を本格的に改修、水量を確保して川越―江戸間の舟運体制を整えた。

旭橋を中心に、上新河岸、下新河岸、扇河岸、牛子河岸、寺尾河岸、の五河岸沿には船問屋商家が軒を並べ、さらに下流には古市場、福岡、百目木、伊佐島、本河岸、前河岸、志木河岸、宮戸河岸などが開設され明治維新まで繁栄が続いた。

当初は川越藩の年貢米運搬が主だったが、後一般商品も多く運ばれるようになり(江戸行―醤油・綿実・炭・材木・川越―油・反物・砂糖・塩・荒物・干鰯等)舟運を更に発展させた。

現在も周辺には元禄年間の「そうめん蔵」や水神宮、また明治三年建造の船問屋伊勢安の店構えなどがあり、往時を偲ばせている。

昭和五十五年十一月

出典:川越市教育委員会

河岸跡(船運遺構)
河岸跡(船運遺構)
河岸跡(船運遺構)
河岸跡(船運遺構)
河岸跡(船運遺構)
河岸跡(船運遺構)
新河岸26−4周辺
新河岸26−4周辺
川越線高架下
川越線高架下
新河岸川の水草
新河岸川の水草
岸町1丁目35−6周辺
岸町1丁目35−6周辺
岸町1丁目44−65周辺
岸町1丁目44−65周辺
仙波河岸史跡公園入口
仙波河岸史跡公園入口
仙波河岸史跡公
仙波河岸史跡公
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園

仙波河岸史跡公園

仙波河岸史跡公園

公園を利用される皆さんへ

この公園は、むかし「仙波河岸」という河岸場があった跡地を整備したものです。

だれでもが気持ちよく楽しく利用できるよう、次のことを守りましょう。

1.公園の花や木は、大切にしましょう

2.ゴミくずや空きカンなどは、散らかさずに持ち帰りましょう。

3.みんなで注意し合ってケガのないように遊びましょう。

4.犬の糞は絶対に捨てないよう袋に入れて持ち帰りましょう。

5.犬の放し飼いは禁止します。

6.公園内でたき火、打ち上げ花火、その他の火気を扱い周囲に迷惑を及ぼす行為は禁止します。

7.公園内へのオートバイ、自転車の乗り入れは禁止します。

8.付近に迷惑を及ぼすボール遊びは禁止します。

9.植物などを守るため、ロープ柵の中にははいらないようにしましょう。

公園内で見られる植物

園内には下記のような植物が見られます。静かに観察しましょう。

カワヂシャタコノアシミクリ
カワヂシャ
ゴマノハグサ科
タコノアシ
ユキノシタ科
ミクリ
ミクリ科
葉はチシャ(レタスの仲間)に似て、若葉は食べられます。初夏に小さな白い花をたくさん咲かせます。晩夏につく花の穂は数本に分かれ、黄白色の花が片側につき、タコの足を連想させるので、この名がつきました。緑色のいが状の実が栗を連想させるので、この名がつきました。茎は簾(すだれ)に、根は漢方薬にされます。
公園内で見られる植物

出典:川越市都市計画部公園整備課

   公 園 管 理 事 務 所

富士見町29−4周辺
富士見町29−4周辺
富士見町27−11周辺
富士見町27−11周辺
菅原町11−6周辺
菅原町11−6周辺
妙善寺
妙善寺
川越駅東口 バスロータリー
川越駅東口 バスロータリー

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

戸塚中台公園(スタート)→戸塚3交差点→戸塚南小→百観音公園→西福寺下→東京外環自動車道高架下→赤山城址→山王公園→花と緑の辰興センター→興禅院→安行公園→東京外環自動車道歩道橋→安行出羽緑道→安行出羽公園→伝右川→長蔵記念公園→戸塚南公園→戸塚農協交差点→戸塚中台公園(ゴール)

第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート

第11回川口ツーデーマーチ
9月23日日曜日
2日目安行ルート

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スライドショー(第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート2018.09.23(日))
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月23日日曜日 2日目安行ルート
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
戸塚中台公園(スタート)
日本、〒333-0811 埼玉県川口市戸塚3丁目6−21
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オリンピック東川口店周辺.
オリンピック東川口店周辺.
オリンピック東川口店周辺
オリンピック東川口店周辺
戸塚三丁目周辺
戸塚三丁目周辺
日本、〒333-0817 埼玉県川口市戸塚南3丁目21−20
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戸塚スポーツセンター
戸塚スポーツセンター
日本、〒333-0817 埼玉県川口市戸塚南4丁目4−41
日本、〒333-0817 埼玉県川口市戸塚南4丁目4−41
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野672−1
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野672−1
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野654−17
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野654−17
戸塚植物園
戸塚植物園
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野482 飴屋商店
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日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野 ドムスA
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野 ドムスA
百観音公園
百観音公園
百観音公園
百観音公園
西福寺
西福寺
西福寺下
西福寺下
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野419
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野419
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野419
日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野419
日本、〒333-0824 埼玉県川口市赤芝新田73
日本、〒333-0824 埼玉県川口市赤芝新田73
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日本、〒333-0813 埼玉県川口市西立野1−8 (株)ワイズエンジニアリング
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安行西交差点周辺
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日本、〒333-0824 埼玉県川口市赤芝新田52−1
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東京外環自動車道 側道
東京外環自動車道 側道
東京外環自動車道 側道
東京外環自動車道 側道
東京外環自動車道 側道
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東京外環自動車道高架下
東京外環自動車道高架下
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山陣屋
赤山陣屋
赤 山 陣 屋
赤 山 陣 屋

赤 山 陣 屋

ここは北堀の西端にあたる。右手の竹林の中には水神のほこらがあって、伊奈家の姫と龍にまつわる伝説が残されている。

赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山陣屋の堀
赤山陣屋の堀
赤山陣屋の堀
赤山陣屋の堀

赤山陣屋の堀

赤山陣屋は、周囲の自然の低湿地を外堀として利用し、その内側に人工の内堀をめぐらせている。陣屋に接する自然低湿地の総延長は約3,000mに及ぶ、深さ概ね10mだが、幅が広いうえに、湿地であったため足場が悪く、堀としての機能を十分備えていたと思われる。

内堀には、東堀・西堀・南堀・南西堀・北西堀があり、総延長は1,800mに及んでいた。発掘調査によりさまざまな形態・規模を持つことが確認されたが、概ね深さ56m、上面幅9.5mほどで、堀の内部に塀が建てられていたところや、堀に沿って土塁のあるところもみられる。

 

中でも最大規模の北西堀は、深さ89mで高さ1mの土塁をもち、有事には東部の低湿地から水を引き込んで水堀として使えるようになっていた。自然低地の切れめにあたる部分だったため、このような大規模なものとなったのだろう。また、自然低地の切れる山王社側の東堀が深めにつくられているなど、細かい配慮がそれぞれの堀にみられる。

仮に北側から陣屋内に入ろうとすると、外堀(低湿地)と内堀、そして土塁を合わせ延べ17m下らなくてはならないことになる。これは、56階てのビルを階段で上り下りするのと同じか。足場の悪さを加味するとそれ以上の運動量に匹敵する。赤山陣屋を囲む堀の効果は、想像以上のものであったに違いない。

赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山城址
赤山(伊奈氏と赤山陣屋)
赤山(伊奈氏と赤山陣屋)
赤山―伊奈氏と赤山陣屋
赤山―伊奈氏と赤山陣屋

赤山―伊奈氏と赤山陣屋

赤山陣屋を築いた伊奈氏は、そのすぐれた土木技術によって江戸時代の治水・新田開発に大きく貢献し、関東郡代を世襲した家柄である。赤山陣屋は、寛永6年(1629)、3代伊奈(ただ)(はる)によって、ここ赤山の地に築かれた。以後163年間にわたって、在地支配と新田開発の拠点として機能し続けたが、寛政4年(1792)、伊奈家改易(かいえき)に伴って赤山陣屋も廃止された。陣屋の建物や家臣の屋敷はことごとく取り壊され、土地は払い下げられて。以後は田畑や山林として利用された。

 

ここは陣屋の東南で、左手は東堀である。この堀は本丸と山王社社地とを画している。後方手前の鎮守の森には山王社がおかれている。

この地から雑木林越しに眺める地平線の夕日は、台地に立つ陣屋の貴重な風景の一つである。

伊奈氏の治水と利水―水利事業

近世の土木史上に「伊奈流」の名を残す伊奈氏の事跡は、その支配地であった関東(旧武蔵国、現在の東京・埼玉・神奈川)のあちこちに残されている。

「伊奈流」の技術が十分に発揮されたのは、特に新田開発とそのための河川改修工事においてである。関東地方の現在河川体系の基礎は、数代にわたる伊奈氏の大規模な河川整備によって築かれた。これによって関東地方東部低地□は水害から解放され、広大な穀倉地帯に変貌していった。また、江戸とこの一□とを結ぶ船運も活発化し、新田開発による石高の増加とともに、江戸の繁栄を促すこととなった。

 

 

伊奈氏による河川改修

伊奈氏による関東諸河川の改修工事の代表的なものは、利根川の東遷および荒川の西遷である。これは、利根川と荒川の水系をそれぞれ切り離し、利根川を銚子沖に流入させ(利根川の東遷)、荒川を入間川に付け替える(荒川の西遷)という、きわめて大規模なものだった。

 

「伊奈流」、土木技術(洪水対策)

自然の地形を最大限に利用し、労力を最小限の抑える「伊奈流」の土木技術は、改修河川の洪水対策にも見ることができる。

自然堤防を利用するとともに、ところどころに低い堤防を作り、その付近に遊水地を設ける。大規模な増水の祭には水をあふれさせ、遊水地に導いて水の勢いを弱めてしまう。またこの遊水池は、平常時に溜井となり、用水源として利用することができた。事例として見沼溜井と八丁堤がある。

山王公園
山王公園

山王公園 川口市

この公園は、赤山第一子供会育成会のご協力により、清掃、除草を行っております。

みんなの公園です。

きれいにしましょう。

出典:川口市公園課

赤山(伊奈氏と赤山陣屋)
赤山(伊奈氏と赤山陣屋)
赤山(伊奈氏と赤山陣屋)
赤山(伊奈氏と赤山陣屋)

赤山(伊奈氏と赤山陣屋)

赤山日枝神社
赤山日枝神社
赤山日枝神社
赤山日枝神社
赤山城(赤山陣屋)全景
赤山城(赤山陣屋)全景
赤山城(赤山陣屋)全景
赤山城(赤山陣屋)全景

県指定旧跡

赤山城跡(赤山陣屋址)

昭和3691日指定

赤山陣屋は、関東郡代伊奈氏が江戸幕府の直轄地を治めるためその任地に設けた役所の一つで、寛永6年(1629)頃伊奈家3代忠治によって創建されたものである。

陣屋の構えは、右図の通りで、約24千坪の広さがあった。

陣屋の中核部には、表御門・裏御門・御家彩・御役家・御的場といった施設があり、北側と西側は二重の堀でかこまれていた。

外堀では水があり、内堀は空堀で、この内側には土塁が築かれていた。また東側には山王三社と家臣団屋敷、南側・西側にも家臣団屋敷があった。この屋敷は、堀の内に17、外に41あり、その他に門番屋敷などもあった。屋敷の規模は1町前後のものが一番多かった。

陣屋の内外の道路はT字路で直角に曲がっているものが多く、その両側には家臣団の屋敷や社寺が配置され、赤山陣屋はあたかも小さな城下町のようであった。社寺には、山王三社といわれる山王社・八幡社・天神社と、伊奈家の菩堤寺である源長寺があった。

なお、伊奈家は、寛政4年(179212代忠尊の時、幕府政治の変化と家中の騒動がもとで改易され、赤山陣屋も廃止された。このため陣屋の建物や家臣団家族は取り壊され、赤山陣屋も廃止された。今は空堀と社寺を残すのみである。

昭和543

出典:埼玉県教育委員会

川口市教育委員会

赤山日枝神社 御由緒
赤山日枝神社 御由緒

赤山日枝神社 御由緒

川口市赤山二一八

□御縁起(歴史)

寛永年間(一六二四-四四)に関東郡代の三代伊奈忠治が構えた赤山陣屋は、寛政四年(一七九二)、十二代伊奈忠尊が失脚するまで、関八州の貢祖の微収並びに司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行う中心的な役所であった。

この陣屋は延べ面積二十三万四千坪にも及ぶ広大なもので、この中に当社をはじめ天神社・八幡社・御陣山稲荷社などが祀られていた。当社は、陣屋の東側空堀外の山王町廓の地内にある山王池に面した築山に鎮座する。

この築山は、陣屋空堀削時の廃土で築いたと伝える。

創建は伊奈氏によるものと考えられ、恐らく江戸城鎮護の日枝神社から分社し、陣屋の守護として祀られたものであろう。

『風土記稿』には陣屋廃止後の当社について、「二百年来草創せし地と見ゆ、神体昔は七体ありしが、伊奈氏断絶の時失たりと云、其頃は大橋多門或は川鍋左門など云し神主ありしが、今は領家村神明院の持となれり」とある。ちなみに、神明院は玉林院配下の本山派修験である。

なお、陣屋内にあった八幡社や天神社は現在号祀されて当社境内にある。

殊に八幡社は、七代伊奈忠順が建立した宝永四年(一七〇七)十一月の石祀銘文によると、五代伊奈忠常が寛文十三年(一六七三)七月に子孫繁栄のため創建した旨が記されている。

□御祭神 ・大山咋神

□御神徳

・産業発展・成長発展・商売繁昌・家内安全

・厄除 ・安産 ・縁結び

□御祭礼日

・歳旦祭(一月一日) ・夏祈祷(五月十五日)

・秋季例祭(お日待ち・十月十四日)

日本、〒333-0825 埼玉県川口市赤山22−4
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日本、〒334-0058 埼玉県川口市安行領家275
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花と緑の辰興センター 陸橋
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日本、〒334-0058 埼玉県川口市安行領家 花と緑の振興センター(バス)
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興禅院
興禅院
興禅院
興禅院
興禅院
興禅院
興禅院周辺
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日本、〒334-0059 埼玉県川口市安行1194
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日本、〒334-0058 埼玉県川口市安行領家1251
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安行消防分署交差点
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安行公園周辺
安行公園周辺
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安行公園
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安行観光マップ

安行観光マップ
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安行公園周辺
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道の駅 川口・あんぎょう
道の駅 川口・あんぎょう
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道の駅 川口・あんぎょう周辺
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東京外環自動車道陸橋
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日本、〒334-0052 埼玉県川口市安行出羽5丁目2−1 鹿島屋Dr.Drive安行店
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安行出羽緑道
安行出羽緑道
安行出羽公園周辺
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日本、〒340-0056 埼玉県草加市新栄1丁目20−6
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日本、〒340-0056 埼玉県草加市新栄1丁目20−61
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日本、〒340-0056 埼玉県草加市新栄3丁目17−3
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日本、〒333-0807 埼玉県川口市長蔵3丁目10−6
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長蔵記念公園周辺
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日本、〒333-0807 埼玉県川口市長蔵2丁目18−6 サクシードガーデン
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日本、〒333-0807 埼玉県川口市長蔵2丁目4−13
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戸塚南公園周辺
戸塚南公園周辺
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日本、〒333-0805 埼玉県川口市戸塚鋏町6−26 (株)田中機械製作所
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日本、〒333-0805 埼玉県川口市戸塚鋏町2−13
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戸塚中台公園周辺
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戸塚中台公園周辺
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戸塚中台公園(ゴール)
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あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

川口西公園(リリアパーク)(スタート)→飯塚小学校交差点→文化財センター→本町ロータリー歩道橋→中央橋交差点→道祖神→旧田中家住宅→南鳩ヶ谷駅→三ツ和公園→日光御成道→御成坂公園→郷土資料館→鳩ケ谷高校入口交差点→放山こども広場→東京外環自動車道高架下→神根福祉センター→木曽呂の富士塚→戸塚西公民館→戸塚中台公園(ゴール)

第11回川口ツーデーマーチ
9月22日土曜日
1日目日光御成道ルート

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スライドショー(第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート2018.09.22(土))
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
第11回川口ツーデーマーチ 9月22日土曜日 1日目日光御成道ルート
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口西公園(リリアパーク)(スタート)
川口駅西口交差点
川口駅西口交差点
荒川運動公園周辺
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荒川河川敷 遊歩道から荒川
荒川河川敷 遊歩道から荒川
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川運動公園
荒川河川敷 東北本線高架下
荒川河川敷 東北本線高架下
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荒川河川敷 遊歩道
荒川河川敷 遊歩道
荒川河川敷 遊歩道から荒川
荒川河川敷 遊歩道から荒川
荒川河川敷 遊歩道
荒川河川敷 遊歩道
荒川河川敷 遊歩道から堰堤階段
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堰堤から新荒川大橋
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本町一丁目 岩槻街道
本町一丁目 岩槻街道
本町ロータリー
本町ロータリー
本町ロータリー周辺
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元郷周辺
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川口元郷駅
川口元郷駅
十二月田周辺
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十勝甘納豆本舗前
十勝甘納豆本舗前
十勝甘納豆本舗
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川口市朝日1丁目周辺
川口市朝日1丁目周辺
南鳩ケ谷周辺
南鳩ケ谷周辺
南鳩ケ谷周辺
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鳩ケ谷大橋
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三ツ和公園周辺
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三ツ和公園
三ツ和公園
三ツ和公園
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三ツ和一丁目周辺
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三ツ和郵便局周辺
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鳩ケ谷庁舎(西)交差点
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鳩ケ谷庁舎(西)交差点
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鳩ケ谷本町二丁目周辺
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鳩ケ谷武道場周辺
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鳩ケ谷武道場入口
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里(中央)周辺
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鳩ケ谷高等学校周辺
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シーズガーデングリーンパティオ周辺
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里周辺
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安行領根岸周辺
安行領根岸周辺
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安行領根岸周辺
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安行領根岸周辺
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸2487−2
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸1828−7
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸1815−12 ビューティサロンあき
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸1815−2
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸10−2
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日本、〒333-0834 埼玉県川口市安行領根岸1270−13
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日本、〒333-0835 埼玉県川口市道合1261
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日本、〒333-0835 埼玉県川口市道合12611
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放山こども広場周辺
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日本、〒333-0835 埼玉県川口市道合1278−3
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東京外環自動車道高架下
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神根福祉センター
神根福祉センター
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日本、〒333-0831 埼玉県川口市木曽呂169−1
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日本、〒333-0831 埼玉県川口市木曽呂169
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日本、〒333-0831 埼玉県川口市木曽呂274
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木曽呂西交差点
木曽呂西交差点
木曽呂西交差点
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日本、〒333-0821 埼玉県川口市東内野566−11 グリーンコーポ金崎
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日本、〒333-0821 埼玉県川口市東内野549−18
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日本、〒333-0821 埼玉県川口市東内野341−5
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日本、〒333-0821 埼玉県川口市東内野51
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日本、〒333-0821 埼玉県川口市東内野56−59
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日本、〒333-0816 埼玉県川口市差間3丁目38−28
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北原台公園周辺
北原台公園周辺
北原台公園周辺
北原台公園周辺
北原台公園周辺
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北原台 東北自動車道陸橋
北原台 東北自動車道陸橋
日本、〒333-0815 埼玉県川口市北原台1丁目15−10
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日本、〒333-0811 埼玉県川口市戸塚4丁目21−9
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日本、〒333-0811 埼玉県川口市戸塚4丁目2−18 パークヒル東川口
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戸塚の一里塚跡
戸塚の一里塚跡
戸塚中台公園(ゴール)
戸塚中台公園(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

クレアパーク(スタート)→蔵里→大正浪漫通り→かもん楽座→お茶屋橋→観音寺→濯柴公園→広済寺→川越氷川神社→富士見やぐら→喜多院→クレアパーク(ゴール)

川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅠ
・観音寺
・広済寺
・富士見やぐら
・濯柴公園

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スライドショー(川越わくわくウオーキング教室NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅠ・観音寺・広済寺・富士見やぐら・濯柴公園2018.08.22(水))
〒350-0043 埼玉県川越市新富町2丁目11‐3
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小江戸蔵里 力持ち
小江戸蔵里 力持ち
小江戸蔵里 添え仕込み
小江戸蔵里 添え仕込み
小江戸蔵里 放冷
小江戸蔵里 放冷
小江戸蔵里 酛掲り
小江戸蔵里 酛掲り
小江戸蔵里 ?
小江戸蔵里 ?
江戸蔵里 大正蔵
江戸蔵里 大正蔵

大 正 蔵

 「新蔵」ともいわれた大正蔵は、大正時代初期に建てられた木造2階建の建物。中は仕切りのない広い空間で、改造はほとんどなく、関東地方の典型的な酒造の姿を今に残しています。

 大正蔵には多数の貯蔵タンクが設置され、出荷前にの酒が貯蔵されたほか、一部、瓶詰、パッケージングなどの用途としても使用された。

大正蔵内部

大正蔵内部

【豆知識】

鏡山酒造跡地内の明治蔵・大正蔵・昭和蔵の三棟は、外観が建設当時の意匠を保ち、内部も酒造りに適した空間構成を維持していることから、平成20年㋂、国の登録有形文化財に登録されました。

小江戸蔵里 昭和蔵
小江戸蔵里 昭和蔵

昭 和 蔵

  重々しい屋根や、白壁などいかに重厚長大な景観を醸し出す昭和蔵は、鏡山酒造の歴史と伝統をしのばせる建物。蔵の中心部には太い杉柱が3本配置され、建物全体を「やじろべい」のように支えています。

 建築年代は、酒造会社時代の全盛期ともいわれる昭和6年(1931年)。登記簿上の構造は、木造2階建てですが、3層に仕切られていました。

ここでは、(こうじ)と蒸米から「酒母(しゃぼ)」や「もろみ」を仕込む作業を行っていました。

昭和蔵内部

昭和蔵内部

【豆知識】

昭和蔵は、4代目竹内孝也氏(19301998)の誕生を祝して翌年の昭和6年に建てられました。

同氏は、東北大学卒業後、国税庁の酒造試験場で2年間、酒造学を学んだ研究者。杜氏(とうじ)を育てることもじょうずで、たくさんの名杜氏を世に送り出しました。

小江戸蔵里 昭和初期の作業風景
小江戸蔵里 昭和初期の作業風景

昭和初期の作業風景

 酒造りは、㋊から翌年の㋂まで続きます。天然の米と水が酒の命なら、酒の仕込みを采配(さいはい)する杜氏(とうじ)の腕が、酒を生かしたり殺したりするそうです。「(むし)(こめ)に菌を繁殖させるときの湿度管理が、酒づくりの重要なポイント。昔からこの湿度の操作が秘けつとされています。

昭和初期の蒸米の作業風景

昭和初期の蒸米の作業風景

【豆知識】

酒造りの最盛期、寒い時期のほうが、空気中の雑菌が少なく、発酵条件がよいため、シーズンは㋊から翌年の㋂ごろまで。

小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ
小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ

詩情豊かな鏡山のルーツ

 初代当主の竹内栄吉(1843年~1915年)は、現在の新潟県上越市出身の杜氏(とうじ)で、埼玉県内で酒づくりの技術を習得し、明治8年(1875年)、現在地で酒造蔵を創業しました。

 鏡山という名称は、滋賀県の琵琶湖のほとりにある山の名前から由来しています。歌人藤原定家の秀歌の一つに

『鏡山映される波の影ながら

空さえ凍る有明の月』

という歌がありますが、ここにある美しい詩情豊かな景観こそが鏡山のルーツです。

鏡山(滋賀県竜王町・竜王町観光協会提供)

鏡山(滋賀県竜王町・竜王町観光協会提供)

【豆知識】

杜氏(とうじ)。日本酒の製造に」携わる蔵人(くろうど)と呼ばれる技能手段を率いる、酒造りの総責任者です。原料の仕込から熟成(じゅくせい)にいたるまで、すべての工程を管理します。

小江戸蔵里 明治蔵
小江戸蔵里 明治蔵

明 治 蔵

 明治時代中期に建築された明治蔵は、「本造」ともいわれるとおり、敷地内の酒造群中一番歴史が古く、また、最大規模の木造の建物。

 ここでは、搾り機、ブレンドタンクなどが設置され、酒を搾った

り、調合する作業である上槽(じょうそう)濾過(ろか)など酒造工程の後半部分が行われていました。また、入口右手には、酒造醸造において一番重要な工程である(せい)(ぎく)作業を行う「麹室(こうじむろ)」が併設されていました。

明治蔵内部

明治蔵内部

【豆知識】

 酒造りと蔵。酒造りに土蔵が適しているのは、熱が外に逃げにくく、湿度が年間を通して一定なためです。
小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫
小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫

瓶詰作業場・倉庫

 「瓶詰作業場」、そしてその西側に隣接する「倉庫」の建築年代は、ともに不明。瓶詰作業場は瓶詰め作業や、酒粕の貯蔵庫に使われました。

 倉庫は、当初、上層(じょうそう)工程でぬれ袋を乾燥させるために使われていましたが、その後、竹内家の個人的な収蔵品の倉庫として使用されていました。

 また、大正蔵前の「検査室」は、税務署員が帳簿類の立会い検査をする場所として使われていました。

倉庫・ギャラリー

倉庫・ギャラリー

【豆知識】

お酒の税金である「酒税」は、「蔵出し税」ともいわれ、蔵から出荷した時点で税金がかかります。

 そのため、水をどのくらい使ったか、(ぬか)酒粕(さけかす)はどのくらい出たかなどすべて厳しい検査を税務署から受けました。

小江戸蔵里
小江戸蔵里
小江戸蔵里の御案内
小江戸蔵里の御案内
〒350-0056 埼玉県川越市松江町1丁目1‐8
〒350-0056 埼玉県川越市松江町1丁目1‐8
出世稲荷神社 (通称 いちょう稲荷神社)
出世稲荷神社 (通称 いちょう稲荷神社)

出世稲荷神社について

出世稲荷神社は、江戸時代(天保2/1832)に、京都の伏見稲荷神社本宮より分祀した神社です。

名前の通り出世の御利益があります!また伏見稲荷同様に、五穀豊穣や商売繁盛の御利益も。

すぐ近くにある賑やかな商店街をよそに、境内はとても静かです。時たま併設された公園から聞こえる、子供たちの声にふと心が和みます。

出典:カワゴエール

火除稲荷大明神
火除稲荷大明神

火除稲荷大明神

連雀町にある火除稲荷は熊野神社から分祠し、正式には正一位火除稲荷大明神と言う。明治初期にはすでにあったようで、明治23年の川越大火の時、ここで火が止まったことでもしられている。

出典:川越観光ナビ

大正浪漫通り
大正浪漫通り

川越大正浪漫夢通り

古き良き大正時代を思わせる情緒あふれる大正浪漫夢通り。通りを歩けば、そこかしこに大正ロマンの風情が漂います。毎日の買い物から、こだわりの逸品、川越観光のお土産などを販売する、個性豊かなお店が軒を並べています。大正ロマンの雰囲気を求めて、テレビや映画の撮影によく使われる商店街です。大正ロマンの風を感じに川越の大正浪漫夢通りへぜひお越し下さい。

出典:大正浪漫夢通り

大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
大正浪漫通り
〒350-0065 埼玉県川越市仲町10‐1
〒350-0065 埼玉県川越市仲町10‐1
鴉山稲荷神社
鴉山稲荷神社
鴉山稲荷について
鴉山稲荷について

鴉山稲荷神社について

歴 史

社説によると、長禄元年(1457)上杉持朝の命によって川越城築城の任にあたった大田道真が、城の櫓より四方を眺めたところ南西を森がさえぎり、富士山が眺望出来ないために、これを伐採させたところ森の中に石祠があり、「源家勝平、怨敵退散、子孫長栄、大願成就、守護、永安三癸巳夭㋃17日願主河島武盛」と記した祈願文が発見された。道真はこれを築城の吉兆としてここに仮宮を建立した。以来、代々藩主の信仰厚く、松平(なり)(つね)の養子斉省(なりさだ)の奉納「鴉山祠」の額が現存している。

当社は塚上にあり、鴉が群摟していたことにより鴉山稲荷神社と称すると云う。また、古くは周囲に塚が多く、中でも鴉山が大きいので、川越7社の第一位としてその名は「親塚稲荷」とも言われる。

また、町内では「お稲荷さん」とも呼ばれ、親しみ大切に信仰され、今も尚、町民全体の文化遺産として伝わり引き継がれている。

平成244月吉日

出典:鴉山神社修復実行委委員会

曹洞宗 榮林寺
曹洞宗 榮林寺
昔懐かしい丸の内線?
昔懐かしい丸の内線?
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川
新河岸川 遊歩道
新河岸川 遊歩道


濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯柴公園
濯 紫 公 園
濯 紫 公 園

(たく) () (こう) (えん)

濯紫公園の由来

昔、ここに柳沢吉保の家臣山東小一郎の別荘があり、濯紫園と呼ばれる大変美しい庭園がありました。

その後、唯心という僧がここで唯心庵を営んでいました。

明治2年には水村氏により水車がつくられ、この水車は通称いおりの水車と呼ばれ人々に親しまれていました。

いおりの堰の上流側は子供達の絶好の水泳や水遊び場だったそうです。

その後、新河岸川周辺の農地には住宅が建ち並び、水車も必要とはなくなり取り壊され、川も改修工事によって現在の姿になりました。

この公園は新河岸川の親水拠点として地元の人々と行政が協力し、川と公園を一体的に整備したものです。

この公園の名はかつての(たく)()(えん)にちなみ「(たく)()公園(こうえん)」としました。

平成元年㋂
広済寺
広済寺
〒350-0061 埼玉県川越市喜多町 県道12号線
〒350-0061 埼玉県川越市喜多町 県道12号線
広済寺
広済寺
広済寺 地蔵尊
広済寺 地蔵尊
あごなし地蔵尊
あごなし地蔵尊
広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)
広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)

広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)

歯痛治療を願った地蔵は全国にたくさんあります。腮が無いから歯痛もない歯痛治療を願う故に腮を欠いて建てたと言うのが大筋の理由です。

古くは小野篁802852年平安初期の漢詩人・歌人・参議等が遺唐使渡航失敗や拒否で隠岐な流された折思いを寄せた人の歯痛平癒 のため建てたと言われています。

治癒礼として、「あごなし地蔵様へお願いすると治ります」と言う仮名まじり金釘流の文字で書いた貼り紙を貼ったそうです。

歯痛祈願する習俗は島根・新潟・岐阜・長野・神奈川等に多くこの地蔵尊は、「全国□称地蔵一覧日本寺院名鑑地」に明記されていますが□作年代等の詳細は不明です。

咳(しわぶき)地蔵尊
咳(しわぶき)地蔵尊
広済寺(こうさいじ) 皺(しわ)地蔵(ぶき)尊(さま)
広済寺(こうさいじ) 皺(しわ)地蔵(ぶき)尊(さま)

広済寺(こうさいじ) (しわ)地蔵(ぶき)(さま)

江戸の初め上州厩橋の浪人が北町(喜多町)に住んでいました。

ある夜異様な気配を感じて帰宅し、不思議に思い部屋を見ると片隅に三尺程の石仏らしきものがあったそうです。

翌朝俗家に置くのは如何と思い石仏を広済寺に納めました。

数日後、風邪や喘息で長患の豪商綿屋の娘が石仏に霊感を感じ、荒縄を巻き付け百日間の願掛けをしたところ百日も経たずに全快しました。

お礼にお茶と入り豆を納めましたそうです。

この話が近隣で評判となり風邪、百日咳や咳の病の時には縄で石仏を縛りお参りするとご利益があり、病が治ると縄をほどきお茶と入り豆(明治以降は金平糖をお供えしたそうです。)

広済寺
広済寺
埼玉縣信用金庫川越西支店
埼玉縣信用金庫川越西支店
〒350-0062 埼玉県川越市元町2丁目 高澤通り
〒350-0062 埼玉県川越市元町2丁目 高澤通り
元町休憩所
元町休憩所
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目10‐6
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目10‐6
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目2‐36
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目2‐36
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目 裏宿通り
〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目 裏宿通り
さいたま地方裁判所川越支部
さいたま地方裁判所川越支部
川越 氷川神社
川越 氷川神社

川 越 氷 川 神 社

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県川越市宮下町にある神社。太田道灌以来、川越の総鎮守とされ歴代川越藩主の篤い崇敬を受けた。

国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)は毎年10月14日に氷川神社にて斎行される「例大祭」、直後に行われる「神幸祭」や「山車行事(祭礼)」から成り立っている。

氷川神社に古くから伝わる「境内の玉砂利を持ち帰り、たいせつにすると良縁に恵まれる」との言い伝えにちなみ、本殿前の白い玉砂利を巫女が麻の網に包み、神職がお祓いした「縁結び玉」が毎朝8時より20体頒布されている。

毎年、七夕を含む夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ祭事「縁むすび風鈴」で賑わう。

敷地内には、結婚式場の氷川会館があり、埼玉県内では唯一の神社隣接の専門結婚式場として知られる。また、結婚式で執り行われる誓いの儀式「結い紐の儀」は川越氷川神社独自の儀式として商標登録されている。

埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社と区別するため、川越氷川神社と称されることもある。

ソース: 氷川神社 (川越市) – https://ja.wikipedia.org

川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社風鈴
川越 氷川神社大鳥居
川越 氷川神社大鳥居

氷川神社大鳥居

明神型・杉材

平成の御代替わりを奉祝し同二年に建立された高さ15㍍の大鳥居は、木製のものとしては国内随一の規模を誇る(笠木の幅20㍍・柱周3.45㍍)中央扁額の社号文字は幕臣勝海舟の直撃によるものである。

川越 氷川神社大鳥居
川越 氷川神社大鳥居
川越市立美術館
川越市立美術館
小江戸川越 観光案内図
小江戸川越 観光案内図

小江戸川越 観光案内図

小江戸川越 観光案内図
小江戸川越 観光案内図
川越富士見やぐら 階段
川越富士見やぐら 階段
川越富士見やぐら
川越富士見やぐら
川越富士見やぐら から 川越高校
川越富士見やぐら から 川越高校
川越富士見やぐら 跡
川越富士見やぐら 跡
喜多院 山門
喜多院 山門

喜多院 山門

国指定重要文化財

山門は、4本の柱の上に屋根が乗る()脚門(きゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。もとは後奈良天皇の「星野山」の刺額が揚げられていたといいます。棟礼を見る寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。

出典:川越大師 喜多院
喜多院 山門
喜多院 山門
仙波東照宮 階段
仙波東照宮 階段
南院(多聞院)
南院(多聞院)
〒350-0044 埼玉県川越市通町1‐5
〒350-0044 埼玉県川越市通町1‐5
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 参道
川越八幡宮 鳥居
川越八幡宮 鳥居

川越八幡宮

川越八幡宮(かわごえはちまんぐう)は、埼玉県川越市南通町の市街地に鎮座する八幡宮である。

ソース: 川越八幡宮 – https://ja.wikipedia.org

川越八幡宮
川越八幡宮
縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)
縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)
縁むすびイチョウ由来
縁むすびイチョウ由来

縁むすびイチョウ由来

(川越八幡宮御神木)

平成。明仁天皇がお生まれになった御年(昭和81223日生)

川越八幡宮の崇敬者によって男イチョウと女イチョウ二本を植林したが、いつしかその二本の木は寄り添い、一本に結ばれてしまったことに由来する。

固く結ばれた二本の御神木に触れ御守りを身につけ、二度拍手を打つと夫婦円満・良縁に巡り逢うと伝えられている。

良縁祈願・御守りは社務所にお申しつけ下さい。

縁むすびの木 御神木(夫婦イチョウ)
縁むすびの木 御神木(夫婦イチョウ)
クレアパーク(ゴール)
クレアパーク(ゴール)

あけぼの公園 はなみずき公園 ふじ道 クレアパーク ケーブルカー高尾山駅 ホテルグランビュー沖縄 三芳野神社 中央会場・松一小 二の丸庭園 仙波河岸史跡公園 初雁公園 北の丸公園 北原公園 千代田区役所 千代田区立スポーツセンター 千鳥ヶ淵公園 半蔵門 和光市役所 喜多院 城山公園 大手門 大正浪漫夢通り 小金井公園 川越氷川神社 川越駅 平川門 新座緑道 新河岸川 日比谷公園健康運動広場 朝霞中央公園 桜田門 楠公レストハウス 気象観測露場 氷川神社 清水門 皇居東御苑 菓子屋横丁 蔵里 青葉台公園 飯能市役所 駒場運動公園 高尾山口駅 高尾山頂 高尾駅北口 1号路

クレアパーク(スタート)→蔵里(WC)→蔵造の町並み→川越城中ノ門堀跡→氷川神社→川越城本丸御殿→初雁公園(WC)(教室)→七曲がり→通町→喜多院(昼飯)(WC)→新河岸川→仙波河岸史跡公園(WC)→愛宕神社→川越駅(ゴール)

7月度川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅢ
・蔵造の町並み
・川越城本丸御殿
・仙波河岸史跡公園

広告

スライドショー(7月度川越わくわくウオーキング教室NPO法人埼玉ウオーキング協会 小江戸川越ウオークⅢ・蔵造の町並み・川越城本丸御殿・仙波河岸史跡公園2018.07.25(水))
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
クレアパーク(スタート)
小江戸蔵里(川越市産業観光館)
小江戸蔵里(川越市産業観光館)
〒350-1122 埼玉県川越市脇田町11‐5 JOY3rd.ビル
〒350-1122 埼玉県川越市脇田町11‐5 JOY3rd.ビル
小江戸蔵里(川越市産業観光館)
小江戸蔵里(川越市産業観光館)
〒350-0043 埼玉県川越市新富町1丁目10 月極TM56久星2P駐車場
〒350-0043 埼玉県川越市新富町1丁目10 月極TM56久星2P駐車場
出世稲荷神社(いちょう稲荷神社)
出世稲荷神社(いちょう稲荷神社)

出世稲荷神社について

出世稲荷神社は、江戸時代(天保2/1832)に、京都の伏見稲荷神社本宮より分祀した神社です。

名前の通り出世の御利益があります!また伏見稲荷同様に、五穀豊穣や商売繁盛の御利益も。

すぐ近くにある賑やかな商店街をよそに、境内はとても静かです。時たま併設された公園から聞こえる、子供たちの声にふと心が和みます。

出典:カワゴエール

〒350-0066 埼玉県川越市連雀町 県道229号線
〒350-0066 埼玉県川越市連雀町 県道229号線
〒350-0066 埼玉県川越市連雀町6‐1 レーベンリヴァーレ川越連雀町
〒350-0066 埼玉県川越市連雀町6‐1 レーベンリヴァーレ川越連雀町
〒350-0066 埼玉県川越市連雀町10 おもちゃのおびつ第二売場
〒350-0066 埼玉県川越市連雀町10 おもちゃのおびつ第二売場
蔵造の町並み
蔵造の町並み

蔵造りの町並み

「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」

そう言わせた”蔵造りの町並み”は、江戸の町並みが今なお残るエリアです。黒漆喰の壁に、重厚で豪華な蔵造り商家が軒をつらね、商人の活気と道行く観光客で賑わいをみせています。

出典:カワゴエール

蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
蔵造の町並み
時の鐘
時の鐘

時の鐘

(とき)(かね)は、埼玉県川越市の中心部、幸町北部の蔵造りの街並みに建てられている鐘楼(時計台)。

建物は、川越市指定有形文化財に指定されている。

ソース: 時の鐘 (川越市) – https://ja.wikipedia.org

川越元町郵便局
川越元町郵便局
蔵造の町並み
蔵造の町並み
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡
中ノ門堀
中ノ門堀
川越城と中ノ門堀
川越城と中ノ門堀
川越城と中ノ門堀
川越城と中ノ門堀

川越城と中ノ門堀

川越城は、長禄元年(1457)に扇谷上杉持朝の家臣である太田道真・道灌父子によって築城されました。

当時、持朝は古河公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡る攻防の渦中にあり、川越城の築城はこれに備えたものです。

天文6年(1537)、小田原を本拠とする後北条氏は川越城を攻め落とし、同15年の河越夜戦によって北武蔵への支配を盤石なものとします。

しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略に際しては前田利家に攻められて落城します。

江戸時代になると、川越城は江戸の北の守りとして重視され、親藩・譜代の大名が藩主に任じられました。

寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は城の大規模な改修を行い、川越城は近世城郭として体裁を整えるにいたりました。

中ノ門堀はこの松平信綱による城の大改修の折に造られたものと考えられます。まだ天下が治まって間もないこの時代、戦いを想定して作られたのが中ノ門堀だったのです。

現在地のあたりには、名前の由来となった中ノ門が建てられていました。多加谷家所蔵の絵図によれば、中ノ門は2階建ての櫓門で、屋根は入母屋、本瓦葺き1階部分は梁行152寸(4.605m)、桁行3031分(9.183m)ほどの規模でした。

棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていました。

 

※本整備工事は、国土交通省まちづくり交付金・埼玉県観光資源魅力アップ

事業の補助を受けて実施しました。

 

中ノ門堀のしくみ
中ノ門堀のしくみ
中ノ門堀のしくみ
中ノ門堀のしくみ

中ノ門堀のしくみ

中ノ門堀は戦いの際、敵が西大手門(市役所方面)から城内に攻め込んだ場合を想定して造られています。

西大手門から本丸(博物館方面)をめざして侵入した敵は中ノ門堀を含む3本の堀に阻まれて直進できません。

進撃の歩みがゆるんだところに、城兵が弓矢を射かけ鉄砲を撃ちかけるしくみでした。

また、発掘調査ではす城の内側と外側で堀の法面勾配が異なることがわかりました。

中ノ門堀の当初の規模は深さ7m、幅18m、東側の法面勾配は60度、西側は30度でした。

つまり、城の内側では堀が壁のように切り立って、敵の行く手を阻んでいたのです。

明治時代以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊される中、中ノ門堀跡は旧城内に残る唯一の堀跡となりました。

川越城の名残をとどめるこの堀跡を保存してゆこうという声が市民の間から起こり、川越市では平成2021年度に整備工事を行いました。

〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目9‐4
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目9‐4
氷川神社
氷川神社

仙波氷川神社

大宮氷川神社を総本社とする「仙波氷川神社」。

神社の真裏を走る国道16号線の喧騒を余所に、とても静かな境内です。

境内には稲荷・八坂神社の末社や、川越まつりで披露される仙波町の山車「仙波二郎安家」の保管庫、そして境内奥には遊具がいくつか設置してあります。

そんな仙波氷川神社には、いくつか見どころがあります。それは、「彼岸花」と「古墳」です。

出典:カワゴエール

氷川神社 本殿
氷川神社 本殿
氷川神社
氷川神社
氷川神社
氷川神社
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 縁むすび風鈴
氷川神社 ご神木
氷川神社 ご神木

川越氷川神社

ご神木(欅樹齢約600年)

太根保護のため石路を設けてあります。

ご神木廻りされる方は石路の上を

お通り下さい。

川越氷川神社

ご神木の倒壊について

平成239月、関東地方を襲った台風12号の暴風雨を受け、樹齢600年の欅のご神木が幹先10mほどの部分から倒壊しました。

ご神木は奇跡的にも、傍の本殿・石碑そして参拝者を全く傷つけることなく、神社裏に続く細い参道上にその巨体を横たえました。

長年にわたり地域を見守り続けてきたご神木は現在、市内喜多町の共和木材に大切に安置されています。

数年後にはご神木の材を用い、木に宿られた氷川大神の広大無辺なご神徳を、何らかの形で氏子崇敬者の皆様にお頒けしたいと考えております。

氷川神社 絵馬トンネル
氷川神社 絵馬トンネル
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目16‐19
〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目16‐19
川越市立美術館
川越市立美術館
初雁公園野球場前
初雁公園野球場前
川越城本丸御殿
川越城本丸御殿

川越城本丸御殿

川越城は、埼玉県川越市にある日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。

ソース: 川越城 – https://ja.wikipedia.org

 

川越城跡
川越城跡
初雁公園
初雁公園
初雁公園
初雁公園
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目4‐2
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目4‐2
〒350-0054 埼玉県川越市三久保町1‐3
〒350-0054 埼玉県川越市三久保町1‐3
〒350-0054 埼玉県川越市三久保町13‐1 川越郵便局
〒350-0054 埼玉県川越市三久保町13‐1 川越郵便局
どろぼう橋
どろぼう橋
どろぼうばしの由来
どろぼうばしの由来

どろぼうばしの由来

所在地 川越市小仙波町一丁目

 

昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。

ここ喜多院 と東照宮 の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行ではとらえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕えられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。

盗賊は、厄除元三大師 に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。

そこで寺では幕府の寺院奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。

その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。

この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わっており、それ以来、この橋を「どろうぼうばし 」というようになったということである。

 

昭和583

出典:埼玉県

どろぼう橋
どろぼう橋
どろぼう橋の由来
どろぼう橋の由来

どろぼうばしの由来

所在地 川越市小仙波町一丁目

 

昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。

ここ喜多院 と東照宮 の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行ではとらえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕えられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。

盗賊は、厄除元三大師 に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。

そこで寺では幕府の寺院奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。

その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。

この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わっており、それ以来、この橋を「どろうぼうばし 」というようになったということである。

 

昭和583

出典:埼玉県

喜多院
喜多院
喜多院
喜多院

喜多院 慈恵堂

喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。1月3日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事はむろん、四季折々の行楽客で賑わう。境内にある五百羅漢の石像も有名である。毎年、正月三が日の初詣には埼玉県内の寺院の中では最も多い約40万人の参拝客が訪れる。

ソース: 喜多院 – https://ja.wikipedia.org

拝観案内
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拝観案内(三代将軍家光公誕生の間)
拝観案内(三代将軍家光公誕生の間)

拝観案内(三代将軍家光公誕生の間

三代将軍家光公誕生の間

春日局(かすがのつぼね)の化粧の間

五百羅漢(らかん)

拝観事務所にて受付の上ご参拝下さい。

拝観時間

3/111/23

8:5016:30

11/24~㋁末日

8:5016:00

※日・祝は閉館時間を20分延長

拝観休業日

12/251/8

2/22/3 4/24/5 8/16

その他特別行事の時

仙波東照宮
仙波東照宮

仙波東照宮

仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)、埼玉県川越市小仙波町にある神社(東照宮)。日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。旧社格は無格社。


祭神


徳川家康公(東照大権現)歴史


元和2年(1616年)に薨去した祭神の法要は、久能山から日光山に改葬される際の元和3年(1617年)に、江戸幕府の「黒衣の宰相」と称された天台宗の僧侶・天海によって喜多院で行われ、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、同年にその地に天海によって創建された。1638年(寛永15年)の川越大火で焼失するが、徳川家光によって川越藩主で老中の堀田正盛が造営奉行に命ぜられ、幕府によって再建された。江戸時代を通じ社殿や神器等全て江戸幕府直営であった。

本殿には木像の家康公像が祀られている。石鳥居は寛永15年(1638年)に堀田正盛が奉納したもの。本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並ぶ。拝殿にある三十六歌仙絵額は岩佐又兵衛筆で知られ国の重要文化財。岩槻藩主の阿部重次が奉納した「鷹絵額十二面」は狩野探幽作で知られる。

童謡『あんたがたどこさ』発祥の地と言われる。

ソース: 仙波東照宮 – https://ja.wikipedia.org

仙波東照宮
仙波東照宮
仙波東照宮
仙波東照宮
〒350-0032 埼玉県川越市大仙波971
〒350-0032 埼玉県川越市大仙波971
仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園
仙波の滝の水音
仙波の滝の水音
仙波の滝の水音
仙波の滝の水音

仙波の滝の水音
 むかしこの場所には「仙波の滝」と呼ばれる滝がありました。これは愛宕神社のがけ下からの豊かな湧水による滝で、昭和の中ごろまで流れていたそうです。

 「仙波河岸」は明治の初めごろにこの仙波の滝を利用して開設されました。

 下の写真は仙波の滝で憩う人びとの様子を写した明治34年ごろの写真です。

仙波の滝の水音写真
愛宕神社
愛宕神社

仙波愛宕神社

仙波愛宕神社 拝殿

川越市富士見町にある仙波愛宕神社は、防火の神「火産霊神」を祀った神社。

仙波愛宕神社の拝殿・本殿は、盛り上がった小山の上にありますが、この小山はなんと古墳。川越市指定の史跡「愛宕神社古墳」です。

また境内には松尾芭蕉の句碑があり、こう刻まれています。

「名月に (ふもと)の霧や 田の(くもり))」

ここ一帯は仙波台地と呼ばれ、芭蕉がこの句を読んだ伊賀国上野赤坂(三重県)と同じく、台地の先っぼで眺望がよく月見がしやすいことからこの句碑が置かれています。

ちなみに、仙波愛宕神社境内では、木々が多いせいで素晴らしい眺望は望めません…。

出典:カワゴエール

愛宕神社延命地蔵尊
愛宕神社延命地蔵尊
延命地蔵尊
延命地蔵尊

       延命地蔵尊

この延命地蔵尊は、今から約270年前の元文元年(1736年)に祀られました。

延命地蔵尊は延命、利生を請願する地蔵菩薩であります。

新しく生まれた子を護り、短命、天折(若死に)の難を免かせるという。

お姿は、左足を垂下する半跏像が多いといわれていますが、ここの延命地蔵尊も半跏像であります。片足を他の足の腿上に組んで座っておられます。

歴史を訪ね、先人の信仰の篤かったことを偲びながら、参観するのも意義あることでしょう。

 

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