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川越わくわくウオーキング教室
NPO法人埼玉ウオーキング協会
小江戸川越ウオークⅠ
・観音寺
・広済寺
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・濯柴公園

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〒350-0043 埼玉県川越市新富町2丁目11‐3
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小江戸蔵里 力持ち
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小江戸蔵里 添え仕込み
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小江戸蔵里 放冷
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小江戸蔵里 酛掲り
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小江戸蔵里 ?
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江戸蔵里 大正蔵
江戸蔵里 大正蔵

大 正 蔵

「新蔵」ともいわれた大正蔵は、大正時代初期に建てられた木造2階建の建物。中は仕切りのない広い空間で、改造はほとんどなく、関東地方の典型的な酒造の姿を今に残しています。

大正蔵には多数の貯蔵タンクが設置され、出荷前にの酒が貯蔵されたほか、一部、瓶詰、パッケージングなどの用途としても使用された。

 

大正蔵内部

【豆知識】

鏡山酒造跡地内の明治蔵・大正蔵・昭和蔵の三棟は、外観が建設当時の意匠を保ち、内部も酒造りに適した空間構成を維持していることから、平成20年㋂、国の登録有形文化財に登録されました。

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小江戸蔵里 昭和蔵
小江戸蔵里 昭和蔵

昭 和 蔵

重々しい屋根や、白壁などいかに重厚長大な景観を醸し出す昭和蔵は、鏡山酒造の歴史と伝統をしのばせる建物。蔵の中心部には太い杉柱が3本配置され、建物全体を「やじろべい」のように支えています。

建築年代は、酒造会社時代の全盛期ともいわれる昭和6年(1931年)。登記簿上の構造は、木造2階建てですが、3層に仕切られていました。

ここでは、(こうじ)と蒸米から「酒母(しゃぼ)」や「もろみ」を仕込む作業を行っていました。

 

昭和蔵内部

【豆知識】

昭和蔵は、4代目竹内孝也氏(19301998)の誕生を祝して翌年の昭和6年に建てられました。

同氏は、東北大学卒業後、国税庁の酒造試験場で2年間、酒造学を学んだ研究者。杜氏(とうじ)を育てることもじょうずで、たくさんの名杜氏を世に送り出しました。

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小江戸蔵里 昭和初期の作業風景
小江戸蔵里 昭和初期の作業風景

昭和初期の作業風景

酒造りは、㋊から翌年の㋂まで続きます。天然の米と水が酒の命なら、酒の仕込みを采配(さいはい)する杜氏(とうじ)の腕が、酒を生かしたり殺したりするそうです。「(むし)(こめ)に菌を繁殖させるときの湿度管理が、酒づくりの重要なポイント。昔からこの湿度の操作が秘けつとされています。

 

昭和初期の蒸米の作業風景

【豆知識】

酒造りの最盛期、寒い時期のほうが、空気中の雑菌が少なく、発酵条件がよいため、シーズンは㋊から翌年の㋂ごろまで。

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小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ
小江戸蔵里 詩情豊かな鏡山のルーツ

詩情豊かな鏡山のルーツ

初代当主の竹内栄吉(1843年~1915年)は、現在の新潟県上越市出身の杜氏(とうじ)で、埼玉県内で酒づくりの技術を習得し、明治8年(1875年)、現在地で酒造蔵を創業しました。

鏡山という名称は、滋賀県の琵琶湖のほとりにある山の名前から由来しています。歌人藤原定家の秀歌の一つに

『鏡山映される波の影ながら

空さえ凍る有明の月』

という歌がありますが、ここにある美しい詩情豊かな景観こそが鏡山のルーツです。

 

鏡山(滋賀県竜王町・竜王町観光協会提供)

【豆知識】

杜氏(とうじ)。日本酒の製造に」携わる蔵人(くろうど)と呼ばれる技能手段を率いる、酒造りの総責任者です。原料の仕込から熟成(じゅくせい)にいたるまで、すべての工程を管理します。

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小江戸蔵里 明治蔵
小江戸蔵里 明治蔵

明 治 蔵

明治時代中期に建築された明治蔵は、「本造」ともいわれるとおり、敷地内の酒造群中一番歴史が古く、また、最大規模の木造の建物。

ここでは、搾り機、ブレンドタンクなどが設置され、酒を搾った

り、調合する作業である上槽(じょうそう)濾過(ろか)など酒造工程の後半部分が行われていました。また、入口右手には、酒造醸造において一番重要な工程である(せい)(ぎく)作業を行う「麹室(こうじむろ)」が併設されていました。

 

明治蔵内部

【豆知識】

酒造りと蔵。酒造りに土蔵が適しているのは、熱が外に逃げにくく、湿度が年間を通して一定なためです。

 

 

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小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫
小江戸蔵里 瓶詰作業場・倉庫

瓶詰作業場・倉庫

「瓶詰作業場」、そしてその西側に隣接する「倉庫」の建築年代は、ともに不明。瓶詰作業場は瓶詰め作業や、酒粕の貯蔵庫に使われました。

倉庫は、当初、上層(じょうそう)工程でぬれ袋を乾燥させるために使われていましたが、その後、竹内家の個人的な収蔵品の倉庫として使用されていました。

また、大正蔵前の「検査室」は、税務署員が帳簿類の立会い検査をする場所として使われていました。

 

 

倉庫・ギャラリー

【豆知識】

お酒の税金である「酒税」は、「蔵出し税」ともいわれ、蔵から出荷した時点で税金がかかります。

そのため、水をどのくらい使ったか、(ぬか)酒粕(さけかす)はどのくらい出たかなどすべて厳しい検査を税務署から受けました。

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小江戸蔵里
小江戸蔵里
小江戸蔵里の御案内
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〒350-0056 埼玉県川越市松江町1丁目1‐8
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出世稲荷神社 (通称 いちょう稲荷神社)
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火除稲荷大明神
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大正浪漫通り
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大正浪漫通り
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大正浪漫通り
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〒350-0065 埼玉県川越市仲町10‐1
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鴉山稲荷神社
鴉山稲荷神社
鴉山稲荷について
鴉山稲荷について

鴉山稲荷神社について

歴 史

社説によると、長禄元年(1457)上杉持朝の命によって川越城築城の任にあたった大田道真が、城の櫓より四方を眺めたところ南西を森がさえぎり、富士山が眺望出来ないために、これを伐採させたところ森の中に石祠があり、「源家勝平、怨敵退散、子孫長栄、大願成就、守護、永安三癸巳夭㋃17日願主河島武盛」と記した祈願文が発見された。道真はこれを築城の吉兆としてここに仮宮を建立した。以来、代々藩主の信仰厚く、松平(なり)(つね)の養子斉省(なりさだ)の奉納「鴉山祠」の額が現存している。

当社は塚上にあり、鴉が群摟していたことにより鴉山稲荷神社と称すると云う。また、古くは周囲に塚が多く、中でも鴉山が大きいので、川越7社の第一位としてその名は「親塚稲荷」とも言われる。

また、町内では「お稲荷さん」とも呼ばれ、親しみ大切に信仰され、今も尚、町民全体の文化遺産として伝わり引き継がれている。

平成244月吉日

出典:鴉山神社修復実行委委員会

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曹洞宗 榮林寺
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昔懐かしい丸の内線?
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新河岸川
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新河岸川
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新河岸川 遊歩道
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濯柴公園
濯柴公園
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濯柴公園
濯柴公園

(たく) () (こう) (えん)

濯紫公園の由来

昔、ここに柳沢吉保の家臣山東小一郎の別荘があり、濯紫園と呼ばれる大変美しい庭園がありました。

その後、唯心という僧がここで唯心庵を営んでいました。

明治2年には水村氏により水車がつくられ、この水車は通称いおりの水車と呼ばれ人々に親しまれていました。

いおりの堰の上流側は子供達の絶好の水泳や水遊び場だったそうです。

その後、新河岸川周辺の農地には住宅が建ち並び、水車も必要とはなくなり取り壊され、川も改修工事によって現在の姿になりました。

この公園は新河岸川の親水拠点として地元の人々と行政が協力し、川と公園を一体的に整備したものです。

この公園の名はかつての(たく)()(えん)にちなみ「(たく)()公園(こうえん)」としました。

平成元年㋂
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広済寺
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〒350-0061 埼玉県川越市喜多町 県道12号線
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広済寺
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広済寺 地蔵尊
広済寺 地蔵尊
あごなし地蔵尊
あごなし地蔵尊

広済寺(こうさいじ) 無腮地(あごなし)地蔵(じぞう)

歯痛治療を願った地蔵は全国にたくさんあります。腮が無いから歯痛もない歯痛治療を願う故に腮を欠いて建てたと言うのが大筋の理由です。

古くは小野篁802852年平安初期の漢詩人・歌人・参議等が遺唐使渡航失敗や拒否で隠岐な流された折思いを寄せた人の歯痛平癒 のため建てたと言われています。

治癒礼として、「あごなし地蔵様へお願いすると治ります」と言う仮名まじり金釘流の文字で書いた貼り紙を貼ったそうです。

歯痛祈願する習俗は島根・新潟・岐阜・長野・神奈川等に多くこの地蔵尊は、「全国□称地蔵一覧日本寺院名鑑地」に明記されていますが□作年代等の詳細は不明です。

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咳(しわぶき)地蔵尊
咳(しわぶき)地蔵尊

広済寺(こうさいじ) (しわ)地蔵(ぶき)(さま)

江戸の初め上州厩橋の浪人が北町(喜多町)に住んでいました。

ある夜異様な気配を感じて帰宅し、不思議に思い部屋を見ると片隅に三尺程の石仏らしきものがあったそうです。

翌朝俗家に置くのは如何と思い石仏を広済寺に納めました。

数日後、風邪や喘息で長患の豪商綿屋の娘が石仏に霊感を感じ、荒縄を巻き付け百日間の願掛けをしたところ百日も経たずに全快しました。

お礼にお茶と入り豆を納めましたそうです。

この話が近隣で評判となり風邪、百日咳や咳の病の時には縄で石仏を縛りお参りするとご利益があり、病が治ると縄をほどきお茶と入り豆(明治以降は金平糖をお供えしたそうです。)

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広済寺
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埼玉縣信用金庫川越西支店
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〒350-0062 埼玉県川越市元町2丁目 高澤通り
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元町休憩所
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〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目10‐6
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〒350-0052 埼玉県川越市宮下町1丁目2‐36
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〒350-0062 埼玉県川越市元町1丁目 裏宿通り
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さいたま地方裁判所川越支部
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川越 氷川神社
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川越 氷川神社風鈴
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川越 氷川神社風鈴
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川越 氷川神社大鳥居
川越 氷川神社大鳥居

氷川神社大鳥居

明神型・杉材

平成の御代替わりを奉祝し同二年に建立された高さ15㍍の大鳥居は、木製のものとしては国内随一の規模を誇る(笠木の幅20㍍・柱周3.45㍍)中央扁額の社号文字は幕臣勝海舟の直撃によるものである。

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川越 氷川神社大鳥居
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川越市立美術館
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小江戸川越 観光案内図
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川越富士見やぐら 階段
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川越富士見やぐら
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川越富士見やぐら から 川越高校
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川越富士見やぐら 跡
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喜多院 山門
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喜多院 山門
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仙波東照宮 階段
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南院(多聞院)
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〒350-0044 埼玉県川越市通町1‐5
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川越八幡宮 参道
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川越八幡宮 参道
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川越八幡宮 鳥居
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川越八幡宮
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縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)
縁むすびイチョウ由来(川越八幡宮御神木)

縁むすびイチョウ由来

(川越八幡宮御神木)

平成。明仁天皇がお生まれになった御年(昭和81223日生)

川越八幡宮の崇敬者によって男イチョウと女イチョウ二本を植林したが、いつしかその二本の木は寄り添い、一本に結ばれてしまったことに由来する。

固く結ばれた二本の御神木に触れ御守りを身につけ、二度拍手を打つと夫婦円満・良縁に巡り逢うと伝えられている。

良縁祈願・御守りは社務所にお申しつけ下さい。

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縁むすびの木 御神木(夫婦イチョウ)
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クレアパーク(ゴール)
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