湧水代官水(スタート)→城山公園→わくわくどーむ→黒目川→新座大橋→市場坂橋(旧橋)→朝霞市中央公園(ゴール)

桜散策(目黒川遊歩道周辺)
ウオーキング

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湧水代官水
湧水代官水

朝霞市指定天然記念物

『湧水代官水』

指定年月日

平成2291

1.位置

朝霞市の中央部よりやや東に位置し、現在の住居表示では岡三丁目にあります。

最寄り駅の東武東上線朝霞駅からは北へ約1.3㎞の位置にあります。

2.由来

江戸幕府により編纂された「新編武蔵風土記稿」の岡村の項の記述には、小名

として「代官水」の名称が記載されており、江戸時代後期には、「代官水」と呼ば

れた地域が岡地域に存在していたことが推測されます。また、本湧水は、昔から

灌漑用水などとして地域の人々に「代官水」と呼ばれ、利用され親しまれてきた

ものです。

3.面積
公開している平地の部分と、通常は緑地保護のため公開していない斜面地を

合わせて約3.800㎡あります。

4.保護
湧水代官水は、標高1421mの崖線の谷頭から出る湧き水で、水源地のほか、

数箇所から湧き出ています。これらの湧水は、現在も豊富な水量を保っており、
湧き水が流れ出る緑豊かな斜面地とともに残されている、市内では数少ないも

のです。

大切な湧き水である「代官水」を、周囲の斜面地とそこに広がる雑木林とともに恒

久的に保存し、公開することは、開発によって失われつつある自然景観を保護

するだけでなく、かつてこの地で営まれてきた生活・文化を、歴史として永く後

世に伝えていく貴重な意味を持ちます。

出典: 平成241月 朝霞市教育委員会

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目黒川緑道 桜
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ひざおり水車広場
ひざおり水車広場
ひざおり水車広場
ひざおり水車広場

朝霞の水車(すいしゃ)について

水車には農業用水路から水田などに水をひくための揚水水車と、

油絞り、粉ひきなどの作業の効力として使われる動力水車がありま

す。

朝霞市域には、江戸時代後期の明治元年(1764年)、溝沼村に

最初の水車が設けられました。水車を使って綿実油絞りを行ってい

たようです。その後、黒目川の用水路をはじめ野火止用水の分水な

どを利用して次々と水車が設けられ、米きや粉ひき・油絞りなどが

行われました。そして、その中から銅を延ばして針金などを作る伸銅

を行う水車も現れました。これらの水車は、用水路からまわし堀をめ

ぐらして水輪のなかほどへ水を掛ける胸かけ水車か、ハケ地形を利

用して水輪の上から中ほどに水をかけて回す水車でした。

水車は農民の農間稼ぎとして賃搗きや賃挽きを行っていましたが、

当時においては儲けの多い仕事であったといわれています。しかし、

その設置にはかなりの資金を必要としたため、誰でもが行えるもの

ではなかったようです。

水車を動力として生産した小麦粉やそば粉は、川越街道や新河岸

川の船運等を通じて、大消費地である江戸・東京に輸送していました。

明治時代の終わりごろになると朝霞周辺でも徐々に動力を水車か

ら蒸気・電気等による機械へと移行し、朝霞も水車は昭和10年代

ごろに姿を消しました。

この案内板は、
埼玉県ふるさと創造資金の
補助を受けて設置しました。
朝霞市

朝霞の伸銅(しんどう)について

伸銅工業を含む金属加工業は、関西地方を中心に発展しています。東日本で伸銅工業が始まったのは、現在の目黒区内で、次いで市内の膝折に伝えられました。膝折の伸銅は明治時代以降生産が拡大し「膝折のはりがね工場」と呼ばれて地場産業となりました。

市内に伸銅の技術が伝わったのは、黒目川用水の水量の豊富さ、江戸の問屋との交通の便が良かったことなどが考えられます。詳しい創業の経緯は不明ですが、文政元年(1818)に製粉を行うために設けられた2軒の水車(奥住水車・徳生水車)では、天保2年~4年(183133)ごろ、相次いで銅を延ばして針金などを作る「伸銅」を行うようになりました。

江戸時代のはりがね作りでは、湯つぼを使って銅を溶かして材料を作るという作業はまだなかったようです。材料は、関西方面で作られた棒状の銅材(銅棹)を江戸の銅問屋が仕入れて(これを下り棹という)、それを130貫(112㎏)積みにして、馬の背に乗せて水車工場に運んだそうです。伸銅工場では問屋から入手した同棹を松炭などで焼いて打ち叩き、ダイスという銅の真ん中に棹より小さめの穴が開いたものに通して細かくしていきます。水車の動力はこの棹をダイスに通して引っ張るときに使うもので、奥住水車では直径5m45㎝の水車を使っていました。これは伸銅のみに使って

いたわけではあちませんが、他の製粉工場の水車がおおむね3mの直径であるところから、伸銅工場の動力の大きさがわかるのではないかと思います。

明治時代以降は、伸銅工場が相次いで建てられ、規模も拡大して銅竿から造るようになり、針金のほかに管や電線、火箸、馬具の飾り、箪笥の引き手、足袋のこはぜ、牛の鼻輪などさまざまなものを作るようになりました。また、材料も真鍮や鉄などの金属も扱い、プラスチック製品が普及した昭和50年頃まで、朝霞の地場産業として栄えました。

時代主な伸銅製品
江戸~幕府ー銅線 ―銅瓦(江戸城本丸の再建に使用)
ーたんす引き手 ―牛の鼻輪 ―足袋コハゼ
明治ー電線 ―時計の歯車 ―洋食器
ー桶のたが ―板金 ―丸棒 ―軍需品
大正ー水力から電力への転換期を背景にした電力関連製品
―各種銅製品 ―軍需用品 ―伸管
昭和※昭和39年時生産高比率
全国生産高の7%、埼玉県生産高の65%
朝霞の伸銅(しんどう)について歴史
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目黒川緑道 桜
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朝霞 税務大学研修所前
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朝霞中央公園野球場
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