「寺院・庭園ウオーク、金乗院から教育の森公園へ」約8㎞
金乗院案内
山 号 神霊山 慈眼寺 金乗院(目白不動)
本 尊 正観世音菩薩 目白不動明王
開 基 永順和尚
文禄三年(一五九四年)寂
宗 派 真言宗豊山派
総本山 長谷寺 奈良県桜井市初瀬
祖 師 宗 祖 弘法大師(空海)
中興祖 興教大師(覚鑁)
派 祖 専誉僧正
開 宗 真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって、中国からもたらされ、わが国で開宗されました。
教 え 教えの中心はマンダラ思想です。世の中にはいろいろな宗教や思想がありますが、よく観察してみると一番底に共通の原点があります。この原点が大日如来という仏さまです。
一切の諸尊はそれがお薬師さま、観音さま、お地蔵さま、お不動さまであれ、すべて大日如来の身を変えたお姿(応化身)なのです。
したがって、もとめるところは広い視野で物を見ながら深く考えて、敬虔に力強、人生を生き切り、平和な社会を作ることです。
文京区立 肥後細川庭園(目白台一丁目一番地)
幕末、ここは肥後熊本藩細川家の下屋敷、抱屋敷であり、明治一五年(一八八二)からは細川家の本邸となった。
その後、都立公園として開園し、昭和五十年(一九七五)、文京区に移管され、平成二十九年(二〇一七)に、文京区立肥後細川庭園と名称を改めた。正門の柱に掲げる園名板は、永青文庫理事長 細川護熙氏の揮毫である。
平成二十九年三月
出典:文京区
大名の下屋敷から細川家へ
この地は、江戸中期以来旗本の邸宅となりました。
江戸末期には、徳川三卿のひとつ清水家の下屋敷となり、のち一橋家の下屋敷に転じ、幕末に、肥後熊本54万石の藩主細川越中守の下屋敷、抱屋敷となりました。
公園の開設
第二次世界大戦後、数度にわたって所有者が変わり、その後、昭和36年(1961)9月、都立公園として開園した後に、昭和50年(1975)4月、文京区に移管されて現在に至っています。
松聲閣から庭園を見た景色は、目の前に広がる池、左手の斜面地の林、灯籠のようすなど明治期から変わらぬ風情を留めています。細川家に伝わる絵(下記)を見比べると、この庭園の持つ歴史を味わうことができます。右地図の↑の位置でご覧ください。
庭園の特色
●地形の変化を巧みに利用して、台地を山として立体的眺望があります。
●池泉回遊式庭園で、遊歩道の一部は踏みわけ道のようになっています。
●やり水形式(平安貴族の寝殿造りの細流)で台地の湧き水を池に取り入れています。
庭園の四季
春は紅白の梅の競演に始まり、山肌の一部が桜により色づいた後、新録がまぶしい季節を迎えます。
初夏には肥後花菖蒲などの花を迎え、秋にはハゼやモミジの紅葉が庭園に彩りを添え、冬の風物詩・松の雪吊り・・・と四季折々の風情をたのしむことができます。季節ごとに表情を変える美しい庭園を是非ご覧ください。
春 | ウメ、サクラ、ヒゴツバキ、ヒゴシャクヤク | 夏 | ヒゴハナショウブ、ボダイジュ |
秋 | ヒゴサザンカ、モミジ、ハゼ | 冬 | 雪吊り |
門外不出の肥後六花
江戸時代から品種改良を重ねてきた熊本独特の花、「肥後六花」のうち、肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後山茶花を庭園でみることができます。