日光御成道ふれあいウオーキング
芳 林 寺
曹洞宗寺院の芳林寺は、太平山と号します。芳林寺は、かつて比企郡松山にあり地蔵寺と号していたといい、太田道灌が文明18年(1486)上杉定正の館で暗殺された際には、道灌の遺骨や遺髪を越生町の龍穏寺と当寺に納められたといいます。永正17年(1520)八月火災に罹ったため、太田大和守資高が自分の居城であった岩槻へ当寺を移転、太田資朝の母(陽光院殿芳林妙春大姉)が永禄10年(1567)逝去した際に、芳林寺と寺号を改めたといいます。
出典:猫の足あと
七里総合公園
見沼自然公園
見沼たんぼ周辺の文化財案内
―ようこそ見沼たんぼへ―
①鷲神社
(南部領辻の獅子舞[市]、緑区大字南部領辻2914〈北西へ約1,300m〉)
平安時代、八幡太郎義家を助けるために奥州へ下る弟新羅三郎義光が、ここで奇瑞を感じたため、神楽を奉上し、祠を建てたいというのがこの神社の起源といわれます。
その時の神楽が、今に伝わる「南部領辻の獅子舞」で、「竜頭の舞」の名のとおり、竜が天を舞う
ように、華麗で激しく勇壮な舞です。
現在は5月と10月に奉納されています。
5月の春祈祷の、氏子地域を回る「村祈祷」では、隣村境で厄を追い出す「おんだし」が行われます。
②深井家
(深井家長屋門[市]、緑区大字上野田〈南東へ約520m〉)
江戸時代には、上田村のうちの幕府直轄領分の名主役宅、長屋門 は、桁行き21.2mで屋根は茅葺き。作業がしやすいように、土間部分を吹き放ちにしています。江戸時代末の弘化元年(1844)の確立。
※個人宅です。見学の際には、マナーをお守りください。
③上野田東台墓地
(延慶三年銘図像板石塔婆[市]、緑区大字野田489〈北へ約550m〉)
東台墓地は浦和競馬の野田トレーニングセンター北側にあります。
板石塔婆は中央で折損していますが(接合済)、阿弥陀三尊を図像で表し、阿弥陀が衆生を救いにくる姿を表現します。
延慶3年(1310)の作。
④膝子一里塚
[市](見沼区大字膝子527-1他〈北西へ約1,730m〉)
将軍の日光社参のために整備された日光御成道の一里塚で、江戸日本橋から8里の場所にあります。
現在では東側の塚だけが残されて、大きさも築造当時から比べると小さくなっています。
塚上には、エノキが植えられています。
⑤萬年寺
(萬年寺木造駅迦如来坐像[市]、見沼区片柳1-155〈南へ約800m〉)
永年6年(1509)に開かれた曽洞宗の名刹。江戸時代中頃の見沼干拓にあたって、井澤弥惣兵衛為永が工事の一番杭を打った所として知られます。 境内には為永の顕彰碑があるほか、見沼干拓に
係る龍神伝説も残ります。
本堂の木造釈迦如来坐像は鎌倉時代中期の作。端正な像です(非公開)