池袋西口公園(スタート)→東池袋中央公園→日出町公園(トイレ)→護国寺→窪町東公園(トイレ)→播磨坂→伝通院→常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)→礫川公園(昼飯・トイレ)→臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院→湯島天神→不忍池弁天堂→JR上野駅前(ゴール)

第488回東松山歩こう会例会
観梅ウオーク(湯島天神方面)
平成30年3月4日(日) 12㎞

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池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園

豊島区立池袋西口公園(としまくりついけぶくろにしぐちこうえん)は、東京都豊島区にある区立公園。池袋駅西口バスターミナルに隣接する。英語名はIkebukuro Nishiguchi Park。愛称は池袋西口公園 GLOBAL RING。

ソース: 池袋西口公園 – https://ja.wikipedia.org

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池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
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池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)

東京芸術劇場

東京芸術劇場(とうきょうげいじゅつげきじょう)(英語:Tokyo Metropolitan Theatre)は、東京都豊島区西池袋にある総合芸術文化施設。

 

沿革

1964年(昭和39年)3月31日 – 東京学芸大学附属豊島小学校が小金井市に移転

1969年5月29日 – 東京都が附属小学校跡地を国から取得

1982年12月3日 – 「東京都長期計画」財源枠300億円での事業化を発表

1990年(平成2年)8月18日 – 建設工事竣工

1990年10月30日 – 開館 1991年5月 -大ホールにパイプオルガン完成、初代館長に遠山一行就任

2002年4月 – 東京都教育庁から生活文化局へ移管

2007年11月12日 – 福地茂雄が3代館長に就任

2008年4月 – 野田秀樹が芸術顧問に、高萩宏が副館長に就任

2009年7月 – 野田秀樹が初代芸術監督に正式就任

2011年4月1日~2012年8月31日 – 施設の改修工事に伴い、全面休館

2012年9月1日 – リニューアルオープン

ソース: 東京芸術劇場 – https://ja.wikipedia.org

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池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)
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池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
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池袋西口公園(スタート)

池袋西口公園(スタート)
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目28‐6 大和産業ビル
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目28‐6 大和産業ビル
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〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目15‐8 スチーム会館フジプラザ
〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目15‐8 スチーム会館フジプラザ
中池袋公園前
中池袋公園前
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乙女ロード交差点
乙女ロード交差点

乙女ロード

概要

首都高速5号池袋線下の「サンシャイン前」交差点から、春日通り(国道254号)の「東池袋三丁目」交差点までの200mほどの道路の片側に、女性を対象にしたアニメグッズや同人誌などを扱う店舗が密集している。「腐女子の聖地」といわれる。

2005年頃から女性おたくの街・池袋の象徴としてマスコミに取り上げられるようになり、認知度が高まった。

歴史

池袋駅周辺には1980年代からアニメイトやアニメポリス・ペロといったアニメグッズを扱う店舗が点在しており、アニメグッズの購買層が女性に偏っていることから、秋葉原や中野(中野ブロードウェイ)に比べて女性客を集めやすい環境にあった。

もっとも、これらの店では当初特に女性向けの商品展開は行われていなかった。また、コミックレヴォリューションやサンシャインクリエイションなど、サンシャインシティで開催されている同人誌即売会は男性向けの傾向が強く、必ずしも女性向に特化した地域ではなかった。

しかし、アニメイトが2000年のリニューアルオープンに伴い女性向けの傾向を強く打ち出したことがきっかけとなり、男女のオタクが共存していた状態から女性オタク向けに特化した商品展開が目立つようになった。また、秋葉原が男性おたくの街として認知されるに伴い、男性向けの商品をそちらに重点的に配置する店舗が増え、結果的に女性向けの品揃えの店が池袋に集まった。このことが乙女ロード形成の主因となっている。また、乙女ロードに所在していないが、コミックとらのあなも、2013年4月に男性向けを扱う「池袋店A」と、女性向けを中心に扱う「池袋店B」の2店舗体制となった。

乙女ロードにはサンシャインシティ内をはじめとして安価の雑貨・化粧品・洋服の販売店や喫茶店が多いため、自身の趣味に対して比較的多額の投資を行うためそういったものにあまりお金をかけない女性オタクの消費行動とマッチしたという面もある。

2005年からは執事喫茶などもこの地域に開店している。

2006年時点で該当する周辺店は8店舗存在する。

なお、いわゆる「腐男子」の登場など、男女間の嗜好のボーダレス化に伴い、男性客も多く見られるようになった。女性客は数人のグループで行動していることが多い。

ソース: 乙女ロード – https://ja.wikipedia.org

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東池袋中央公園前
東池袋中央公園前
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東池袋中央公園
東池袋中央公園

東池袋中央公園

東池袋中央公園(ひがしいけぶくろちゅうおうこうえん)は、東京都豊島区東池袋3-1-6に所在する豊島区立の都市公園。面積は5993.61m2。

 

概要

後述の通り、本園は東京拘置所跡地を都市再開発して完成した。

 

歴史

1895年 – 当地を含む周辺一帯に警視庁監獄巣鴨支署が設立される.
1897年 – 巣鴨監獄に名称変更.
1945年 – 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により接収、名称が巣鴨プリズンに再度変更。
1948年 – 極東国際軍事裁判で死刑判決が出たA級戦犯7名の死刑が12月23日に執行。

1958年 – GHQによる接収解除。

1962年 – 巣鴨プリズンが廃止され、東京拘置所となる。

1971年 – 東京拘置所が、葛飾区小菅に移転。

1978年 – 解体後、サンシャイン60ビルが完成。

1979年 – 巣鴨刑務所跡地の都市再開発事業により、サンシャイン60・サンシャインシティと共に開園。

1980年 – 有田正憲が『永久平和を願って』と記した慰霊碑を建立。

2019年 – IKEBUKURO薪能の公演(9月21日)。

ソース: 東池袋中央公園 – https://ja.wikipedia.org

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東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って
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東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って
東池袋中央公園 永久平和を願って

東池袋中央公園 永久平和を願って

第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。

戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。

昭和五十五年六月

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日出町公園
日出町公園

豊島区立日出町公園

ここは終戦後進駐軍によって接収されていた土地で、昭和27年の解除の際、地元が返地を求めて陳情請願し、願いかなってやがて周辺の区画整理の結果できた公園です。かつては住宅地のなかの公園として、親子連れなどに大いに親しまれてきましたが、サンシャインシティ完成等の周辺の変化にあわせこの公園も全面改修がなされ、平成2年に生まれ変わりました。園内はブランコやスベリ台がある広場と、ゆるいカーブを描く流れからなり、それらを取り囲むように高木や植え込みが見られます。いずれも業務ビルなどが立ち並ぶ街の風景にうるおいを与えるもの。人々の心にも明るさとゆとりが生まれます。

出典:豊島区

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〒170-0013 東京都豊島区東池袋4丁目22‐1
〒170-0013 東京都豊島区東池袋4丁目22‐1
護国寺
護国寺
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護国寺
護国寺
護国寺

護国寺
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護国寺

護国寺
護国寺

護国寺
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音羽講中 庚申塔一基 - 護国寺
音羽講中 庚申塔一基 – 護国寺
音羽講中(おとわこうちゅう) 庚申塔(こうしんとう) 一基
音羽講中(おとわこうちゅう) 庚申塔(こうしんとう) 一基

音羽講中(おとわこうちゅう) 庚申塔(こうしんとう) 一基

大塚5-40-1 区指定有形民俗文化財

この庚申塔は、全国にもその例を見ない形式で、当時の民俗や習俗を知る貴重な資料である。

塔は規模も大きく(総高210㎝)基壇部分、台座、塔部から形作られている。

塔部は台座上の三猿によって空中で支えられ、天明5年(1785)の銘がある。

台座は(しゅ)弥壇(みだん)形式(仏像をのせる台)で、その四面に肉彫り装飾、(かえり)(ばな)紋様が施され、その彫りは精巧かつ華麗である。其壇部分には、門前の音羽通りの人々76人の名が刻まれている。

当時お互いに力を合わせ、金銭を出し合う共同社会の成立や信仰心の深さなどを知る上で、貴重な資料である。

庚申信仰は、庚申(かのえさる)の夜(60日毎)講の当番の家で、般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱え、なごやかなに夜を過ごす

風習があった。

寝る戸体内の三尸(さんし)の虫が抜け出て、天帝にその人の罪を告げ、早死にさせるといわれていた。

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育員会

平成11年㋂

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音羽講中 庚申塔一基 - 護国寺
音羽講中 庚申塔一基 – 護国寺
護国寺
護国寺

護国寺

護国寺(ごこくじ)は、東京都文京区大塚五丁目にある真言宗豊山派の寺。神齢山悉地院大聖護国寺と称する。

 

概要

天和元年(1681年)2月7日、徳川綱吉は母、桂昌院の願いをうけ、高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じた。

本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音 (絶対秘仏)。本堂(観音堂)本尊は堀田正虎の母・栄隆院尼寄附の如意輪観世音菩薩。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所である。江戸時代には浅草寺、回向院に次いで出開帳の宿寺として人気があった。

境内には富士塚の「音羽富士」がある。

ソース: 護国寺 – https://ja.wikipedia.org

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護国寺
護国寺
護国寺境内案内図
護国寺境内案内図

護国寺境内案内図

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護国寺
護国寺
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護国寺
護国寺
大本山護国寺の縁起
大本山護国寺の縁起

大本山護国寺の縁起

真言宗 豊山派 大本山 護国寺當寺の創建は天和元(1681)年27日、五代将軍徳川綱吉公の生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし、幕府所属の高田薬園の地を賜り堂宇を建立し桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像(秘仏)を本尊として、号を神齢山悉地院護国寺と称し寺領三百石を賜ったことに始まる。

現在の観音堂(本堂)国指定重要文化財は元禄十(1697)年正月、観音堂建立の幕命があり、約半年余の工事日数でこの大造営が完成し、同年84日落慶式が挙行された。

後に六臂如意輪観世音菩薩(現本尊秘仏)が安置される。

元禄時代の建築技術の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一と称賛される。

もろもろの くのうをすくう

観世音 大悲の恵み

尊うとかりける

月光殿 国指定重要文化財は近江(大津市)の三井寺の塔頭日光院の客殿を移築した桃山時代の建築で書院様式を伝えるものとして貴重な建造物である。平成25511日、月光殿文化財保存修理工事が完了する。

護国寺の茶席 境内には月窓軒、化粧庵、艸電、不味軒、円成庵、宗澄庵等々の八席それぞれ数寄を凝らした茶席がありその基を築かれたのは明治から昭和初期にかけて再興に寄与された高橋箒庵翁の尽力の賜物である。

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音羽幼稚園
音羽幼稚園
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目16‐3 ザ・パークハウス茗荷谷富士見坂
〒112-0012 東京都文京区大塚2丁目16‐3 ザ・パークハウス茗荷谷富士見坂
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大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
大塚一丁目交差点
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筑波大学
筑波大学

筑波大学

筑波大学(つくばだいがく)(英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市天王台一丁目1番地1に本部を置く日本の国立大学である。1973年に設置された。大学の略称は特にないが、筑波(つくば)筑波大(つくばだい)

文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。

広島大学と共に旧二文理大である。

ソース: 筑波大学 – https://ja.wikipedia.org

〒112-0002 東京都文京区小石川5丁目20‐7
〒112-0002 東京都文京区小石川5丁目20‐7
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播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木

播磨坂さくら並木

第二次大戦後の区画整理でできた「環状3号線」の一部として整備された。

この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられた。

昭和35年に坂の舗装が行われた際に、当時の花を植える運動の一つとして桜の木約150本が植えられた。

桜は、地元の人々の手で育てられ、立派な桜並木に成長した。

また、中央部は緑道として整備され、憩いの場となっている。

出典:文京区

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〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目4 春日通り
〒112-0002 東京都文京区小石川4丁目4 春日通り
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112-0002 東京都文京区小石川2丁目14‐5
112-0002 東京都文京区小石川2丁目14‐5
伝通院
伝通院

伝通院

将軍家の菩提寺として

慶長7年(1602年)8月に徳川家康の生母・於大の方が京都伏見城で死去し、家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。位牌は久松俊勝菩提寺の安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町→野田市)など各地に菩提寺を建立した。慶長8年(1603年)に家康は母の遺骨をこの地に埋葬し、現在まで残る墓を建立。寿経寺をここに移転して堂宇(堂の建物)を建て、安楽寺住職から受けた彼女の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした。

家康は、当初は菩提寺である芝の増上寺に母を埋葬するつもりであったが、「増上寺を開山した聖聡上人の師である了譽上人が庵を開いた故地に新たに寺を建立されるように」との増上寺十二世観智国師(慈昌)の言上を受けて、伝通院の建立を決めたという。慶長13年(1608年)9月15日に堂宇が竣工。観智国師門下の学僧廓山(後に増上寺十三世)が、家康から住職に指名された。

ソース: 伝通院 – https://ja.wikipedia.org

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伝通院

伝通院
伝通院

伝通院

伝通院 境内・墓地参拝図

伝通院 境内・墓地参拝図
伝通院 境内・墓地参拝図
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伝通院

伝通院
傅通院の墓所
傅通院の墓所

傅通院の墓所

当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了譽聖冏上人が開山されました。当時は小石川極楽水(小石川四丁目)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。

それから約2百年後の慶長7年(1602829日、徳川家康公の生母於大の方が75歳、伏見城で逝去。

その法名を「傅通院殿」と号し、この寿経寺を菩薩寺としたことから「傅通院」と呼ばれるようになり、以来千姫(天樹院殿―二代将軍徳川秀忠公・於江の方の長女)や孝子の方(三代将軍徳川家光公の正室)、於奈津の方、初姫など多くの徳川家の子女達が埋葬されるようになりました。

当山には開創6百年におよぶ長い歴史の側面を物語る著名な方々のお墓が現存しております。

 

史蹟めぐり、ご見学者の

皆様へのお願い

お参りになされる方は、

必ず観音堂にお立ち寄り頂き、お声かけ下さい。

観音堂にて、お線香、おしきび等をお買い求めください。

1.まずは本堂にご参拝下さい。

2.「参拝のしおり」は観音堂にご用意しています。

3.徳川家ゆかりの方々のほか歴代墓のお墓にもお参りしましょう。

4.境内での飲食は慎んで下さい。飲食は観音堂総合案内所内でお願いしております。

お帰りの際は観音堂までお声をお掛けください。

無量山 傅通院
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伝通院

伝通院
於大の墓 (区指定史跡)
於大の墓 (区指定史跡)

於大の墓 (区指定史跡)

享禄元年~慶長7年(15281602)、徳川家康の生母。三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘。

天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚、翌年に家康を生む。

後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とするわが子家康を慰め、音信を断たなかったという。

法名、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼にちなみ、この寺の通り名を「伝通院」とした。

東京都文京区教育委員会 昭和623

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伝通院

伝通院
千姫の墓 伝通院
千姫の墓 伝通院
千姫の墓 (区指定史跡)
千姫の墓 (区指定史跡)

千姫の墓 (区指定史跡)

慶長2年~寛文6年(15971666)。

二代将軍秀忠の娘。

慶長8年(1603)幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大阪城にはいる。

元和元年(1615)城を出て翌年桑名城主・本多忠政の子、忠刻と再婚するも死別とともに天樹院と号して江戸に帰り竹橋に住む。

東京都文京区教育委員会 昭和623

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千姫の墓 伝通院
千姫の墓 伝通院
伝通院
伝通院
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善光寺坂のムクノキ
善光寺坂のムクノキ

善光寺坂(ぜんこうじさか)のムクノキ

樹高約13m、目通り幹回り約5m、樹齢400年位とされている。当該樹木は、上記の空襲によって樹幹上部が欠損し、樹幹下部もその空襲によって幹に炭化した部分が見受けられるが、幹の南

文京区小石川3丁目18番(ポケットパーク内)

文京区 指定年月日:20130301

文京区 記念物

出典:文化遺産オンライン

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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
木造 閻魔(えんま)王(おう)坐像(ざぞう) 一軀
木造 閻魔(えんま)王(おう)坐像(ざぞう) 一軀

木造 閻魔(えんま)(おう)坐像(ざぞう) 一軀

源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。

右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が身心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして“こんにゃく”をお供えつづけたという言い伝えがある。

このことから、眼病治癒の『こんにゃく閻魔』として庶民に信仰を集めた。

像は、高さ100.4㎝。

ヒノキ材の寄木造(よせぎづく)りで、彩色を施し、王眼が嵌入(かんにゅう)

してある。

優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると、寛文12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。

この像は、彫刻美術品として優れているとともに、本区所の仏像のなかで、古い製作年代に属するものとして貴重な文化財である。

閻魔王は、冥界(めいかい)にあった死者の生前の罪業(ざいごう)を裁断する十王のうち、最も良く知られている。我が国の閻魔信仰は、平安時代後期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった。

常光山 源覚寺 小石川22314

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育委員会 平成5年㋂

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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺

源覚寺(げんかくじ)は、東京都文京区小石川にある浄土宗の寺院。『こんにゃくえんま』(こんにゃくゑんま)で知られる。山号は常光山。

 

歴史

当寺院は、寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れた。再建は明治時代になったが、その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた。しかし老朽化が進み、現在の本堂は1979年に再建されたものである。また当寺院は小石川七福神のひとつで毘沙門天も祀っている。また例年7月にはほおずき市が開かれ多くの人が訪れる。(近隣の伝通院の朝顔市とともに知られる)

 

こんにゃくえんま

当寺院の別称にもなっている「こんにゃくえんま像」は、鎌倉時代、運慶派の仏師の作と推定される、像高100.4センチの木造閻魔王坐像である。像内に寛文12年(1672年)の修理銘がある。文京区指定有形文化財になっており、文京区内にある仏像でも古いものに属する。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。

右側の目が濁っていることについては以下のような伝説がある。宝暦年間(1751年-1764年)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、満願の夜、老婆の夢に閻魔大王が現れ、「我、日月にも等しい両眼のうち一つをえぐり取って汝に授くべし(=我が片眼を汝に与えよう)」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたという。以来この閻魔王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われる。

ソース: 源覚寺 (文京区) – https://ja.wikipedia.org

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
汎太平洋の鐘
汎太平洋の鐘

汎太平洋の鐘

1960年 元禄 三年 粉河丹後守の鋳造により当山に奉納された。

1937年 昭和 十二年 サイパン島南洋寺に転出 南太平洋にひびきわたる。

1944年 昭和 十九年 サイパン島軍民玉砕して 以後消息不明となる。

1965年 昭和 四十年 米国テキサス州オデッサ市において発見される。発見者 ミツエ・ヘスター

1974年 昭和四十九年 カリフォルニア州オークランド市居住 D.V.クレヤー氏によって、サンフランシスコさくら祭りに展示され、その後当山に寄贈される。

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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)汎太平洋の鐘
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)

雲がハシル

 学徒が征ク

  空ニ」

同期ノ華

 参千六百

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常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)御百度石
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〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
〒112-0002 東京都文京区小石川1丁目 都道436号線
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こんにゃくえんま前
こんにゃくえんま前
カフェ・ド・クリエ文京シビックセンター
カフェ・ド・クリエ文京シビックセンター

カフェ・ド・クリエ文京シビックセンター

文京区役所(ぶんきょうくやくしょ)は、特別地方公共団体(特別区)である文京区の組織が入る施設(役所)である。

 

概要

文京区役所が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に完全竣工された。地上28階・地下4階、高さ142m。東京23区の区役所の中では最も高い建物である(複合施設に入居している豊島区の例や合同庁舎に入居している千代田区の例を除く)。中でも高速シースルーエレベータ10基があるのが最大の特徴である。

ソース: 文京区役所 – https://ja.wikipedia.org

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礫川公園(昼飯・トイレ)
礫川公園(昼飯・トイレ)
礫川公園(昼飯・トイレ)

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礫川公園(昼飯・トイレ)
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〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目 春日通り
〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目 春日通り
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湯島天神入口
湯島天神入口
湯島天満宮
湯島天満宮
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湯島天満宮

湯島天満宮
湯 島 天 満 宮
湯 島 天 満 宮

湯 島 天 満 宮

文京区湯島3301

社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された。

平成5年(1993)お木曳(きび)(造営の開始)の神事が行われ、遷座(せんざ)(さい)(完成)まで27か月を要した。

祭神は菅原道真(すがわらみちざね)である。伝承(でんしょう)によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢(れいむ)によって老松の下に(かん)

(じょう)したといわれている。

その後、太田道灌が社殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。

かって、湯島天満宮は“湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。

・銅製表鳥居(都市指定文化財)寛文7年(16679月創建され、同11年(1671)修理した銘がある。

下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。

奇縁(きえん)氷人(ひょうじん)(せき) 嘉永3年(185010月江戸で初めて建てられたもので、右側面「たづぬるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。

―郷土愛をはぐくむ文化財―

文京区教育委員会 平成9年㋂

 

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湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
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湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

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湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

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湯島天満宮

湯島天満宮
湯島天満宮

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湯島天満宮

湯島天満宮

上野恩賜公園案内図

上野恩賜公園案内図
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湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
湯島天満宮
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播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
旧 久(ひさ) 堅(かた) 町
旧 久(ひさ) 堅(かた) 町

(ひさ) (かた)

もと小石川村の内で、元和年間(1615 24)以後町屋を開いた。

明治2年、橋戸町、久保町、門前町(宗慶寺・善仁寺)や松平播磨守屋敷跡などを合併した。

町名は、町の永久の発展を願って久堅町とした。

 

文京区

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播磨坂さくら並木
播磨坂さくら並木
播磨(はりま)坂のさくら並木
播磨(はりま)坂のさくら並木

播磨(はりま)坂のさくら並木

この通りは、戦災復興事業における付近一帯の土地区画整理によって、都市計画道路環状三号線の一部として造られました。

江戸時代、この辺たりは松平播磨守の上屋敷でした。また、千川(小石川)が流れる低地一帯には「播磨(はりま)田んぼ」が広がっていたことから、新しくできたこの坂を「播磨(はりま)坂」と呼ぶようになりました。

立派なさくら並木(現在127本)は、昭和35年に「全区を花でうずめる運動」で植えられた若木(樹齢15年)が育つたものです。昭和47年からは、毎年4月初めに「文京さくらまつり」が行われ、多くの人々に親しまれています。

平成7年(1995)㋂には、全体が「水と緑と彫刻のある散歩道」として整備され、年間を通じて楽しめる新しい名所となりました。

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臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院

麟祥院(りんしょういん)は、東京都文京区湯島にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天沢山。徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺である。周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので「からたち寺」とも呼ばれる。

井上円了が哲学館(東洋大学の前身)を麟祥院の書院に設置。境内に「東洋大学発祥の地」と刻まれた石碑がある。明治時代には他にも数々の学校が境内に併設されていた。また当時の麟祥院には臨済大教校もあり、数々の名僧が学びの為に集っていた。

毎年10月14日に春日忌として春日局の法要を行っている。関東大震災で亡くなった中国人留学生の慰霊碑もある。

1624年に三代将軍家光公の台命で、当地に境内地一万坪寺領三百石の御朱印状を拝領し徳川秀忠の御明御殿を賜り、殿堂を造立し、報恩山天澤寺と号していた。

寛永七年野州宇都宮の興禅寺の渭川和尚の高徳であるのを局が聞き、当山の住職として拝請され開山となった。

ソース: 麟祥院 – https://ja.wikipedia.org

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臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
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臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
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臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
https://ji2.biz/20180304/臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所.JPG
https://ji2.biz/20180304/臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所.JPG

臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院

春日局の墓所

幼名は福。

父は明智光秀の重臣齋藤内蔵助利三、母は刑部少輔智道明の(むすめ)で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、正勝、正定、正利の三子をもうけましたが、慶長九年(1604)三代将軍家光公の乳母として召出され3千石を賜りました。

家光公が将軍職に就くために献身的な活躍をし、大奥の制度の確立に尽力致しました。

寛永五年家光公二十五歳の折、疱瘡(ほうそう)にかかられ、諸医の手当にも(しるし)がなかった時、局は(さい)(かい)沐浴(もくよく)して東照宮大権現の神前に詣で、「将軍の病が平癒(へいゆ)したら今後私が病気になっても絶対に薬を服用しません」と(いの)りました。その忠誠心に感応してか、日ならずして家光公の病気が恢復(かいふく)しました。

そのため局は身の終わるまで針灸(しんきゅう)薬餌(やくじ)を一切用いませんでした。

 

寛永六年京都へ上り御所に参内(さんだい)し、春日局の号を賜り、後水尾天皇より天盃を頂戴しました。

同九年再び台命に依り上洛し、明正天皇より従二位を(じょ)せられました。

寛永20年(164391465歳で(そつ)し、当院墓地に葬られました。

出典:文京区

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臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 春日局の墓所
春日局の墓・哲学館跡 春(かす) 日(が) 局(つぼね) の 墓(はか)
春日局の墓・哲学館跡 春(かす) 日(が) 局(つぼね) の 墓(はか)

春日局の墓・哲学館跡

(かす) () (つぼね)(はか)

春日局((てん)(しょう)7年~寛永(かんえい)20年・15791643)は、三代将軍徳川家光の乳母(うば)で名はお(ふく)

稲葉正成との間に三児をもうけるが、離婚して江戸城大奥に入る。

慶長(けいちょう)9年(1604)家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり、生涯家光に仕えた。そして、それが契機となり大奥の制度が確立された。

この(うん)祥院(しょういん)は、寛永元年(1624)春日局隠棲所(いんせいじょ)として創建され、「報恩山 (てん)澤寺(たくじ)」と称した。

局の死後、寺はそのまま菩提寺(ぼだいじ)とし法明にちなみ「天澤寺 麟祥院」となる。

墓地奥にある局の墓は無縫塔(むほうとう)で四方に穴が貫通した特異な形をしている。

 

(てつ) (がく) (かん) (あと)

明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の全身である「哲学館」が創立された。

創立者井上(えん)(りょう)は、安政(あんせい)5年(1858越後(えちご)国(新潟県)の寺に生まれる。

明治18年(1885)東京大学文学部哲学科卒業。

2年後の明治20年(1887916日、哲学と宗教の啓発(けいはつ)のため、私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて開校する。

哲学館では、授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を毎月3回発行し哲学の普及につとめた。

円了は大正8年(1919)大連で逝去。享年61

出典:東京都文京区教育委員会

 

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〒110-0007 東京都台東区上野公園1‐29
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