日比谷公園健康運動広場(スタート)→内堀通り→気象庁前→駿河台下→小川広場→御茶の水橋→東京医科歯科大前→サッカーミュージアム前→湯島天神→東大竜岡門・東大構内(昼食)・東大正門→本郷通り→六義公園運動場→都立六義園(入園・解散)(ゴール)

第18回  日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京都ウオーキング協会

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桜田門交差点(桜田門外の跡)
桜田門交差点(桜田門外の跡)
千代田区 総合防災案内板
千代田区 総合防災案内板

千代田区 総合防災案内板

千代田区 総合防災案内板
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法曹会館
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日比谷公園
日比谷公園
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長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
長洲藩上屋敷跡(日比谷公園)のさくら
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日比谷公園水飲み場
日比谷公園水飲み場

日比谷公園 水飲み

日比谷公園 水飲み
日比谷公園 水飲み

この水飲みは、日比谷公園開設当時(昭和36年)のものです。

(ちゅう)鉄製(てつせい)で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。

また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。

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日比谷公園 案内板
日比谷公園 案内板

日比谷公園

日比谷公園
日比谷公園
初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開
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初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開


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日比谷公園 健康広場 植物
日比谷公園 健康広場 植物
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ

シダレヤナギ

シダレヤナギ(枝垂柳、学名:Salixbabylonica)は、ヤナギ科の落葉高木である。

ソース: シダレヤナギ – https://ja.wikipedia.org

 

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日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
日比谷公園 健康広場 シダレヤナギ
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日比谷公園 自由の鐘 前
日比谷公園 自由の鐘 前
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日比谷公園 三笠山 前
日比谷公園 三笠山 前
祝田橋交差点
祝田橋交差点
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祝田橋交差点
祝田橋交差点
東京都千代田区 内堀通り
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〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1 内堀通り
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東京都千代田区 内堀通り
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二重橋前交差点
二重橋前交差点
〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑2 内堀通り
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和田倉濠
和田倉濠
和田倉濠
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和田倉濠
和田倉濠
一ツ橋門石垣跡
一ツ橋門石垣跡
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気象庁東京管区気象台
気象庁東京管区気象台
東京都千代田区 首都高速都心環状線
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東京都千代田区 首都高速都心環状線
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/錦町(大手町川端緑道案内図)
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陽光
陽光

サクラ

陽  光

陽光(ようこう)。アマギヨシノとカンヒザクラの交配(こうはい)品種(ひんしゅ)(はな)(あわ)(べに)(むらさき)(いろ)一重(ひとえ)(ざき)で、大輪(だいりん)です。

バラ科

東京都千代田区 首都高速都心環状線
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〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目 錦町トラッドスクエア
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目 錦町トラッドスクエア
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目1‐5
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〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3丁目20
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駿河台下交差点
駿河台下交差点
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小川広場
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小川広場
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〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目2‐5
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〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2丁目4
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御茶ノ水橋口交差点
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御茶ノ水橋口交差点
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順天堂大学
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順天堂大学
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サッカー通り
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サッカーミュージアム入口
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公益財団法人 日本サッカー協会(JFA)
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湯島二丁目
湯島二丁目
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新花公園
新花公園
湯島天神 表鳥居
湯島天神 表鳥居
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湯島天満宮
湯島天満宮

湯島天満宮

古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った婦系図の歌(湯島の白梅)(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットした。

境内の約300本の梅木のうち約8割は白梅である。

ソース: 湯島天満宮 – https://ja.wikipedia.org

湯島天満宮
湯島天満宮
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〒113-0033 東京都文京区 春日通り
〒113-0033 東京都文京区 春日通り
東京大学本部棟
東京大学本部棟
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東京大学本部棟
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東京大学構内
東京大学構内
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東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内



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安田講堂 (東京大学大講堂)
安田講堂 (東京大学大講堂)

安田講堂(東京大学大講堂)

安田講堂(やすだこうどう)は、東京大学本郷地区キャンパスにある講堂である。正式には東京大学大講堂(とうきょうだいがくだいこうどう)というが、東大の学内では「安田講堂」が用いられる。収容人数は1,144席(3階席・728席 / 4階席・416席)。

ソース: 安田講堂 – https://ja.wikipedia.org

安田講堂(東京大学大学堂)
安田講堂(東京大学大学堂)
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安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
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東京大学構内
東京大学構内
東京大学構内
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安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
安田講堂(東京大学大学堂)前
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東京大学 正門
東京大学 正門
東京大学 正門前
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東京都文京区 本郷通り
東京都文京区 本郷通り
浄心寺・浄土宗 東京都文京区 江戸札所十番
浄心寺・浄土宗 東京都文京区 江戸札所十番
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富士神社入口交差点
富士神社入口交差点
上冨士前交差点
上冨士前交差点
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六義園庭園内
六義園庭園内
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六義園庭園内
六義園庭園内
玉(たま)藻(もの)磯(いそ)・出(で)汐(しおの)湊(みなと)・妹(いも)与(と)背山(せやま)
玉(たま)藻(もの)磯(いそ)・出(で)汐(しおの)湊(みなと)・妹(いも)与(と)背山(せやま)

(たま)(もの)(いそ)()(しおの)(みなと)(いも)()背山(せやま)
妹山(いもやま)背山(せやま)

作庭当時、柳沢吉保が住む(むく)義館(きのたち)はこの後方にありました。館の

正面であるここからの眺めが庭園の主景観の1つと考えられます。左から(いも)()背山(せやま)妹山(いもやま)背山(せやま))、()鶴橋(づのはし)()(しおの)(みなと)と並ぶ風景は、(りく)()(えん)のモデルになったといわれる紀州(和歌山県)の和歌(わか)(うら)の地形にとても良く似ています。神亀元年(724)の聖武天皇の行幸の際、同行した山部赤人が詠んだ和歌「和歌の浦に 塩満ちれば 潟をなみ 蘆辺をさして たづ鳴き渡る」を具現化したものと言えるでしょう。

 

六義園絵巻 上巻(部分) 柳沢文庫所蔵

六義園を作った柳沢吉保は、園内に万葉集などの和歌や中国の古典にちなんだ名所を八十八箇所設け、「八十八境」としてその由来を「六義園記」に記しました。その八十八境を中心に庭園を狩野派の絵師に描かせたのが「六義園絵巻」(上・中・下巻)です。このパネルでは、絵巻を園内の描かれた名所の位置で展示しています。(六義園は明治時代に三菱グループの創設者、岩崎家の所有となり、その後昭和13年に東京市に寄付されました。)

 

絵巻には右から順に「(たま)(もの)(いそ)」「()(しおの)(みなと)」「(いも)()背山(せやま)」とあります。(たま)(もの)(いそ)と、()(しおの)(みなと)はゆったりとした浜辺という雰囲気ですが、(いも)()背山(せやま)は、松の木が屹立する荒々しい岩山として描かれています。

 

六義園が岩崎家の別邸だったころ、日露戦争の祝勝会が開かれたことがあります。写真は、その様子を記録した写真集「日露戦争凱旋写真帖 海軍」(明治38年)のものです。

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六義園庭園内
六義園庭園内
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六義園庭園内
六義園庭園内
出(で)汐(しおの)湊(みなと)
出(で)汐(しおの)湊(みなと)
六義園庭園内
六義園庭園内
()(しおの)(みなと)
六義園八十八境 十三
和歌の浦に 月の出汐の さすままに
よるなくたづの こゑぞさびしき
『六義園記』

()(しおの)(みなと)

六義園八十八境 十三

和歌の浦に 月の出汐の さすままに

よるなくたづの こゑぞさびしき

『六義園記』

「出汐」とは、船が湊(港)に入るために満潮を待っていることですが、夕方になり月が海上に出るのを持つ心も懸けています。

桂離宮など日本庭園では「月」が大切にされてきましたが、六義園でも月に由来する地名が多くあります。

また、後方にある白い建物は岩崎家に由来する蔵です。

かつては付近に岩崎家の邸があり、庭園を眺める重要な視点場となっていたようです。ここからは視界にビルがない庭園を楽しむことができます。

 

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六義園庭園内
六義園庭園内
初春の日比谷公園 菜の花 満開
初春の日比谷公園 菜の花 満開
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六義園
六義園
六義園庭園内
六義園庭園内
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六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
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六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
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六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園 しだれ桜(さくら)
六義園 しだれ桜(さくら)

六義園 しだれ(さくら)

東京都 昭和30年代

「シダレザクラ」は、「エドヒガン」という桜の品種の中で、枝が柔らかいために垂れながら成長していく種類のものです。

「ソメイヨシノ」より少し早く、お彼岸のころに咲きますが、4月に入ってから満開になる年もあります。

昭和30年代に、東京都によって植栽されたもので、樹齢は70年程度ですが、高さ約15m、幅約20mと大きく、形もよく成長しています。

薄紅色の花が満開になると、あたかも水しぶきを上げて流れ落ちる滝のような姿になり圧巻です。

「六義園のしだれ桜」として親しまれ、多いときには一日で3万人以上のお客様にご覧いただいております。

 

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六義園庭園内
六義園庭園内
新脩六(しんしゅうりく)義(ぎ)園(えん)碑(ひ)
新脩六(しんしゅうりく)義(ぎ)園(えん)碑(ひ)

新脩六(しんしゅうりく)()(えん)()

六義園の評判は作庭当時から高かったようですが、和歌の世界に憧れ、また皇室を尊んでいた(よし)(やす)は、さらに狩野派の絵師に描かせた本園の絵図を霊元上皇に献上しました。

完成して四年後の宝永3年(170610月には、これに対して霊元上皇が六義園の景勝地「十二境八景」を選び、加えて延臣達に命じて和歌を詠ませた巻物が(よし)(やす)に下賜されました。

一幕臣の屋敷の庭園に上皇を通じて和歌が贈られるのは極めて希なことでした。

これほど名園として名高かった六義園も、やはり六義園を愛した三代(のぶ)(とき)が寛永4年(1792)に亡くなって以降は荒廃の一途をたどっていましたが、文化6年(1809)、四代保光(やすみつ)が約1年の月日と多大な費用を投じて復旧工事を行い、一部新たな景勝を加え甦ることになったのです。その経緯について「六義園八景」と併せてこの「新脩六義園碑」に記されています。

 

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六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
六義園庭園内
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